東北・仙台・不登校・引きもこり・アドラー心理学


仙台で不登校・引きこもりの問題をアドラー心理学で解決します!

アドラー東北
 


アドラー東北は不登校・引きこもりなどの子どもの悩みや家族間のお悩みをアドラー心理学で解決に導く各種セミナーを開催しています。
アドラー東北(仙台)の不登校克服勇気づけプログラム

お気軽にお問い合わせください

アドラー東北コラム

アドラー東北(仙台)子どもを取り巻く問題コラム

母親だって居場所が欲しい・・

居場所の必要性

日大の問題もここにあった・・

親の会は居場所の意味もある

人は居場所を求めて行動する

不登校の子どもは学校に居場所がないと感じて不登校になっているのですが、家庭内にいるということは家庭には居場所があると感じていると言えます。

この居場所があり、自分は役に立っていると感じることはアドラー心理学では幸福の前提として考えています。

子どもはたとえばフリースクールであったり、保健室登校でやれるという場合も、自分の居場所として大丈夫と感じることができるならば、行くことができます。

キーワードは安心・安全でしょう。

同様に親も居場所が欲しいと感じるのです。子供の問題、家庭の問題を一人で抱えるのは辛すぎると感じるのです。

それを受け止めてくれる場所があれば、そこへ行きたいと思うでしょうし、同じような境遇の方の話を聴いたり、自分のことを話したりすることで気持ちが楽になることは多いです。

アドラー東北(仙台)の親の会は、解決した後も通ってくる方が多いです。それは親の会が自分の居場所であると感じているからに他なりません。

親の意図とは違う解釈をする可能性は常にある・・

話し合う関係の必要性

日大の問題は他人事ではない

親子の擦れ違いはここから生まれる

子どもがどう感じているかは確かめなければわからない・・

日大のアメフト部の問題が大きく取り上げられていますが、アドラーを学んでいるとそれは起きるべくして起こったと言えると思います。

話し合いや確認をしていないのだから、自分の発した言葉を相手がどう捉えているかはわからないのです。

自分の意図したこととはまったく別の意味にとらえられている可能性は相手に確認しないのであれば常にあります。

だから話し合いベースの関係が必要なのです。

忖度や察することは今の時代には通用しません。

そんなつもりじゃなかったと親があとから後悔しても遅いのです。

親子が話し合える関係を築くことはアドラー心理学の子育てベースです。

今の時代に合った方法を親が身に着けることでその危険は大きく軽減されると言えるでしょう。

5月の親の会を終えて・・

上手くいかないことを話し合う

子どものペースに巻き込まれないこと

振り返りの必要性

子どもは親を巻き込む天才である・・

お子さんの不登校や子育てに悩んでアドラー心理学の子育て法を学んで実践していても、知らず知らずのうちに元のサイクルに陥っていることはあります。

不適切な行動に注目しないとわかってるのに、なぜか巻き込まれてしまう。

子どもには真摯に向き合うべきという親としての真面目さが裏目に出るのです。

不適切な行動で親の関心を得ようとする子供に親が付き合えば、子どもにとってはそれが成功体験になります。

「しめた、うまくいったぞ」と思うものです。

もしも今お子さんのしている方法が嫌だと感じたり、社会に出た時に通用しないと思えば、それを助長させてはなりません。

その方法を使わないで穏やかに静かに自分の要求や気持ちを話してもらいたいことを伝えなければならないのです。

もしかしたら不適切だとわからないでやっているかもしれませんし、わかってやっているかもしれませんが、他者に向けて好ましくないものは使わないように親が伝えることが大事です。

 

 

子どもの不登校が親の人生の岐路になる・・

当たり前でないことの不安

予測が立たない

親も自分の人生を考えるきっかけになる

親も子も不安を乗り越えて・・

私たちは積極的に変化を求めようとはしないものです。できるなら変わらない方を選ぼうとします。

お子さんの人生においても「小学校」から「中学校」へ、「中学校」から「高校」そして「大学」へ。

その路線を歩むものだと思い、当然と思っていることは「安心」を親御さんにもお子さんにももたらしています。

ですからお子さんが不登校になり、その予定から外れてしまうことは「安心」が脅かされたと感じるのです。

お子さんが「自分の人生これからどうなってしまうのだろう」と感じているように、親御さんも見通しの立たない「自分の人生はどうなってしまうのだろう」と感じています。

そういう意味で親も子も不登校をきっかけに自分の人生に向き合わざるを得なくなります。人生の岐路に立たされることになるのです。

 

 

親の焦りが子どもへの圧力になる・・

「いつまで待てばいいの?」

待つのではなく信じる

親の「待てない」を子どもは敏感に感じる

子どもを信じ切れるかどうか・・

アドラー心理学では究極的には根拠を求めず相手を信じ切れるかどうかが問われることになります。

これはとくに親子や夫婦と言った運命共同体の関係について求められるのです。

「いつになったら子どもは動き出すのだろう?」

「いつになったら自分の人生を再び歩みだすのだろう?」

もうかなりの時間が経過しているけれど、いつ?と焦る気持ちになるのは理解できますが、それは必ずお子さんに伝わっていることを忘れないでほしいのです。

子どもは自分で考えています。「このままではダメだ」と、自分でやらなきゃと思うものです。その時期は自分で決めたいし、信じてくれる親がいてこそそう思うのです。

子どもがいるから頑張れる・・

母の日に思った事「いるだけでいい」・・

子どもが不登校でもどんな状態でも

居てくれることがありがたい

あのころのあの子を思い出して・・

不登校無料10日間レポートの最後に私はこういう記述をしています。

「生まれた時のあの子」を思い出してください。

この世に生を受け、泣いたり笑ったりするだけで何もできないけれど、いとしいわが子を手に抱いた時の感激を思い出してほしい。

お子さんは居るだけであなたを幸せにしてくれたはずです。

アドラー心理学の究極はここにあります。

人は存在そのものだけで価値があるのです。今自分のお子さんが不登校であろうと、どうであろうと、わが子を初めて抱いた時の感動を忘れなければ、あなたとお子さんとの関係はきっと改善されます。

その時の気持ちに戻って、ありのままのお子さんをそのまま見てあげてほしい。そこからのスタートがアドラー東北(仙台)の不登校勇気づけプログラムであり、アドラー心理学の子育ての根幹なのです。

不登校に対する意味づけを変える・・

起こったできごとをどう意味づけるか・・

子どもが不登校になったとき

これは家族にとってどういう事だろう?

何ができるだろう・・

普段何も問題がないときには浮かび上がってこなかった家族の姿が何かが起こったときにクリアになってきます。

アドラー心理学を学んでいると、私にとって、ではなく私たちにとってという発想をするようになります。

お子さんの不登校は「私にとってどういう事だろう」ではなく「私たちにとってどういう事だろう」という発想が出てくるようになります。

家族皆の課題として家族で取り組む問題と言う意識が出てくるのです。

「不登校は私たちにとってどういう意味があるのだろう」「私たちに何ができるだろう」という考え方です。

行き過ぎた個人主義に陥った今、家族間でもこういう発想で考えることが当たり前になっています。家族はひとつの共同体なのです。

短所は長所・・

視点が変わるとたくさんの良いところが見つかる

子どもを勇気づけるために必要なこと

持っているものをどう使うか

他者との違いを活かす

うちの子暗くて・・

うちの子しゃべらなくて・・

もしかしたら暗いのではなく、むやみに人に合せないだけかもしれません。

しゃべらないのは、相手を傷つけないよう言葉を選んでいるのかもしれません。

不登校に限らず、親はついつい他のお子さんと比較して自分の子どもを見てしまいがちです。

他の子どもさんにはない自分のお子さんの良さに気が付いていきたいものです。

あなたがダメ出しをしているお子さんの欠点はもしかしたら他の人がうらやんでいるお子さんの長所なのかもしれないからです。

相手を変えようとしない・・

自分は変わることができるが相手は変えられない

悩みのほとんどは相手を変えようとすることから起きる

不登校の子どもを変えようとしないこと

ありのままの相手を受け入れる

すべからく人間関係の悩みは相手を変えようとするところから起きるのです。自分以外の人間を自分の思うとおりにしようとするところから悩みがはじまる。

相手を思うとおりにしようとすれば、思うとおりにならないから自分が悩むのです。

ありのままの自分を認めてもらうことはうれしいことです。

同様に子供もたとえ学校に行っていなくても今の自分を認めてもらえればうれしいのだと思います。

「なんとかして学校に行かせよう」という親の意図を子どもは瞬時に見抜くでしょう。

学校へ行く、行かないを一旦おいて、ありのままの自分や子供と向き合う時間を得られたのだと、今の状況を考えられるようになって初めて子どもと対等に向き合えるようになるのだと思います。

仙台SMILEを終えて・・

良かれと思っての対応が逆であること・・

実際の学びで気づくことが多い

別の方法を知らなければ使うことができないー不登校も別の対応があることを知ることが必要

新しい子育て法を学ぶSMILE

不登校にしろ、お子さんの問題行動にしろ、今までとは他の対応を・・・といってもどうしていいのかがわからなければやりようがありません。

今回は集中二日間で新しい子育て法を学んでいただきました。

今まで自分がやっていたこととは逆をやらなければならなかったんだと気が付いた方、本を読んでも実際どうしたらいいのかが分からなかった方、など多くの実りをお持ち帰りしていただきました。

遠くは秋田から埼玉からと8名の皆様と楽しく学ぶことができ、勇気づけの新しい子育て・人間関係法をこれから実践していただくことでまずは自分が幸せになってくださいねとお伝えしました。不登校も同じです。新しい方法を知らなければやりようがないのです。ぜひ不登校でお悩みの親御さんにも別の方法があることを知っていただいて、親子が幸せに暮らせる日々を取り戻していただければと思います。

新しい季節に起きること・・

大人も子供も環境が変わるのはしんどい

学校や職場に行くのも勇気がいる

自己受容は勇気のタンクが満タンな状態

子どもだって精一杯

大人が仕事場に行くことが嫌な時があるように、子どもにも学校に行くのが嫌な時があるのです。

私たちはどうしても職場に行く、学校に行くのが当たり前で当然と思いがちですが、毎日たくさんの自分の勇気を使っています。

勇気が補充されなければ、それは減る一方で、何か大きな出来事があれば、あっという間になくなってしまいます。

また小さなトラブルの積み重ねで少しずつ減ってしまって空っぽになっている場合もあるでしょう。

自己受容している人は、常に自分を勇気づけることができ、自分の勇気を必要以上に減らすことがありません。だから空っぽにならないのです。常に補充しつづけ、ほぼ満タンの状態で暮らしています。

アドラー心理学を学ぶことで、この自己受容をできてしまうと、人は大概のことは自力で乗り切っていけます。

不登校の子どもが持てないでいるもの

自分はここにいていいのだろうか?

自尊感情を育てるのは「褒める」ではない

子どもに必要なのは「勇気づけ」

ヨコの関係をアドラー心理学は目指す

不登校になっている子どもは次の三つを失くしています。

「自分はこの場にいていい・居場所がある」

「自分は役に立っている・役立つ人間である」

「自分は欠点もあるが自分を好きである・自己受容」

居場所がなく、役に立っていると感じられず、自分が好きになれないので「学校」に行かないのです。

ご家庭ではどうでしょう?

居場所はありそうです。でも親が子供に学校へ行くことを強要すれば、それもなくなってしまいます。

役立っていると感じるためには、親が勇気づけなければなりません。君がいてくれるから・・・です。

ダメ出しばかりしていれば、子どもは自分を好きにはなれません。良きところに注目することが大事です。

褒めることは、上からの評価です。学校へ行けない自分をダメなやつだと感じている子どもには、違和感を感じると思います。

学校へ行けない、行っていない、そんな自分でも親が認めてくれていると感じられることが大事で、そのためにはやはり「勇気づけ」というヨコの関係をベースにした対応が必要です。

親であるというよりも一人の人間として、傷つき自信を失っている子どもを支えると考えることが大事ではないでしょうか。

不登校の子どもに規則正しい生活は必要?

ガス欠を起こしていることを理解したい・・

いっしょの時間を優先しよう

管理は学校だけでたくさん!と感じている子ども

負担をかけない配慮が必要

不登校や引きこもりになっている子供さんが、勇気を持てずにそうなっているということは何度かお伝えしていますが、生活するエネルギー自体が枯渇している状態とも言えます。

そういうお子さんに対して「規則正しい生活を勧める」という話がよくあります。

これは「学校に戻る」ことが前提の話で、現在のお子さんにとっては苦痛以外の何物でもないと思います。

家の中でいることが精いっぱいの場合もあるのです。

お子さんの様子を見ながら、一緒にできることはして構いませんし、お子さんがそれを嫌がらないのであればいいのですが、そうでない場合、学校にいるときと同様に嫌なことをさせられると感じてしまうと逆効果です。なぜかというとさらにエネルギーを消耗してしまうからです。

家庭内でエネルギーを充電している状態、ということを親が理解していることが大事です。

自分はどうなりたいのか

何がしたいのか、どうなりたいのか、子どもは考えている

話してくれるのを待つ勇気

自分と向き合う時間・好きを見つける時間

考えていないわけじゃない

いったいこの子は何を考えているんだろう?

親に何も話してくれないと不安や心配だけが募っていきます。

それで無理に聞き出そうとします。

子どもは子供なりに一生懸命考えています。自分と向き合ったり、これからのことを考えたり。

子どもによって必要な時間は違うでしょう。

いつまで待てばいいのか?と親は思うかもしれませんが、待ってくれている、何も言わずに黙って・・と子どもが感じるとうれしいものです。

学校に行けなくなった自分でも、認めてもらっていると感じるからです。

何も言わなくても子供は時期が来れば自分で話したり動きだしたりする。それを信じ続けること、それが親にできることの一つでもあります。

親にできること

根拠なく子供を信頼し尊敬し自信を持たせよう

根拠なく可愛い・・親ばかになろう

自信が勇気につながる・・

謙遜しない、親ばか全開

親でなければしてあげられないことー子どもに自信を持たせること。

でも私たちはどうしても相手にダメ出しをすることが多いです。

ダメ出しでは自信を失わせるだけで自信を持たせることはできません。

そうでなくても世の中に出れば評価が付きまといますし自信を失うことも多い。

日本人の「謙遜」を重んじる文化が背景にあり、そのためにどうしても私たちは、自分や自分の子どもに対してできていないところ、ダメなところばかりを他者にアピールしがちです。

人に言わなくてもいいから、家の中だけでも完全に根拠を求めず子供を信頼するためには「親ばか」になることも必要だと思います。

親の会でお子さんの良いところを探していただくと、ほとんど出てこない方が結構おられる。

親の会は、別名「親ばか」の会と言えると思います。誰に気兼ねすることなく子ども自慢をする親が増えるといいなと感じています。

 

見逃されがちな心の安全

身体だけでなく心の安全も必要

自分が帯や咲かれているという感覚

不登校ひきこもりの子どもにとっては家庭内の安全も大事

逃げる必要を感じて不登校になっている子どもにとって家庭内が安全かどうかで、引きこもりになるかどうかが決まります。

親との接触を避けて引きこもりになってしまった場合、家庭内でも安らげず逃げざるを得なくなっているのです。

それにもかかわらず親が無理に介入しようとすると、必死で抵抗を試みるようになります。それが家庭内暴力になるのです。

身体のみならず心の安全を確保してあげることが優先事項になります。

親はあなたにとっての敵ではなく味方であるということを知ってもらう努力をしなければなりません。

また家庭内にいる限り、家庭内のルールに皆が従い引きこもっている子どもも仲間として協力するように働きかけなければなりません。

学校へ行く、行かないの前にそういった基本的な関係の構築からやり直す必要があるのです。

 

不登校の子どもにとっての進路選択・高校選択

高校選択より進路選択のほうがハードルが高い

親にできることは何か?

本人の不安と一緒に揺れよう・・

不登校になり事態が膠着したままでも、否応なく進学を決める時期はやってきます。

高校進学は、親も本人も「決めなければ」と焦りを感じる事案です。

子どもにとって「どこの高校へ行くか」という高校選択はそれほど難しいことではありません。

それよりもむしろ「行くか行かないか」の進路選択の方がハードルが高いのです。

行くと決めれば行かざるを得なくなりますので、本当に行けるのだろうか?という不安は本人が一番感じていると思います。

「また行けなくなったらどうしよう。」という不安です。

そんなとき「大丈夫だよ」と無理に背中を押すよりも、子どもの不安にとことん付き合うぐらいの気持ちを親が持つことです。

子どもの不安に付き合って親もいっしょに揺れる。

親も不安なのですから、それを子どもと共有し、ありのままの自分と子どもを受け入れることを試されるときでもあると言えると思います。

弱いのではない・優しいのだ・・

学校に行かないことは弱い子・・という決めつけ

人と違う・学校へ行っていないという劣等感をバネにできるのは

アドラー心理学の勇気づけ

どこかで私たちは弱いことが悪いことだと感じていたりします。

弱さは本当は私たちのバネになるのですが。。

弱さだったりいわゆる人と違うこと、学校へ行っていないとか、人より劣っているという感覚を劣等感と言いますが、アドラー心理学はこれをバネによりよく生きる、しかも自分や他者の役に立って・・と考えます。

「うちの子は学校へ行かない弱い子」ではなく、「学校へ行けない気持ちの優しい子」、その優しさをこれからどう生かしていけばいいのかと。。。

相手のよき側面を見て勇気づけることで、劣等感を子供さんが良き方向へ向けられることができるのです。

ぜひ勇気づけを親御さんに身に着けていただきたいと思う所以です。

不登校と引きこもりはなぜ長引くのか?

不登校・引きこもり・家庭内暴力

嫌な気持ちになるのになぜ行かせようとする?と子どもは思っている

親の空回り

「学校へ行かせよう」という結論と「そのための行動」をしている限り、不登校と引きこもりは長引きます。

なぜなら子どもは「自分の嫌がることを親が無理にさせようと思っている」と感じるからです。

親が自分の気持ちに寄り添ってくれていると感じればこそ親との話し合いはできるようになります。

自分が嫌がることをしようとする相手をどうして受け入れられるでしょう?好きになれるでしょう?

それは無理な話だと思います。

今の学校と言う枠組みがある限り、そこにぴったりはまらない子供、苦しいと感じる子供は必ずいると思うのです。

とは言っても、学校のシステムを変えようとするのは現実的ではありません。システムが変わったとしても自分の子どもがそのシステムに適応できるとは限らないのです。

当てはまらないと感じる部分は、実は本人の強みでもあります。その強みに気が付いてあげられるのは実は親しかいないとアドラー東北(仙台)では考えています。親の会ではそういうところを皆さんと見つけていけるといいと感じています。

不登校・学校の何が嫌だった??と聞いてみる

聴き方一つで子どもは心を開く

なんで?どうして?は詰問・何が嫌?は相手の気持ちを聴くことになる

子どもが答えられる問いをしてみる

不登校になったお子さんに多くの親御さんや教師はこう問いかけます。

「どうして学校に行かないの?」「なぜ学校に来ないの?」

これは原因追究の詰問調の問いなので、「あなたに原因があるのよ。」と言われたも同じで、言われた方は言葉に詰まってしまいます。もしくは子ども自身もなぜ自分は学校に行けなくなってしまったのか説明できないことも多いのです。

それに対して「何が嫌だった?」という問いは少なくとも自分の気持ちを聴いてくれているという安心感を子供の中に生みます。

また具体的に答えられる問いと言えるでしょう。

同じ不登校について尋ねていても子どもが感じる響きは全く違うのです。

「どう感じていたの?」「どんな気持ちだった?」でもいいでしょう。

学校ありきの問いから、子どもの気持ち優先の問いかけに代わるとお子さんの反応もきっと違ってくると思います。

子どもからの働きかけを待つ・・

きっかけづくりをしたい・放っておけない親心

何かしなければ・・・という親の焦り

不登校・引きこもりには会話を通して本人の提案を待つ気持ちが必要

放ってはおけない、何かしなければ、と不登校や引きこもりになると親は話をするだけでなく、何か提案をしがちです。

「午前中だけでも行ってみたら?」

「近くにフリースクールがあるけどどう?」

「明日は運動会だけど行けるかしらね。」

不登校になり引きこもってしまった子どもには、これらの働きかけはどう感じるでしょう。

私たち大人でも気分が沈んで、一人でいたいときがあるものです。

家事や仕事に手が付かない、やりたくないときもあると思うのです。

そんなとき無理に前向きにしようとか、やらせようと誰かがあれこれ言ってきたらどう感じるでしょう?

「放っておいてほしい」「余計なお世話」と思うでしょう。

子どもとの関係をアドラー心理学の親子関係をベースに変えていろいろと話し合えるようにしておくと、子どもは必ず「~してほしい」とか「~~に相談に乗ってほしい」「自分は~したい」と自分の気持ちを話してくれるようになります。

焦らず、子どもからの提案を待つこと。なんとかしようとするのは、子どもは自分の世界に勝手に親がずかずか入ってきたように感じて不快以外の何物でもないことを知っておきたいものです。

親として・・の前に、人として・・

親を仕事とするなかれ、子供には人対人として向き合うべし

何ができるのかを考えるとき・・

子どもとの対等な関係を目指すアドラー流子育て

子どもが不登校になる、引きこもる、暴力をふるう、拒食になる、自殺する、どれも子供にとっては命がけと言わざるを得ません。

自分が生き残るため、居場所を得るため、自分の自尊心(プライド)を守るために子供は必死なのです。

ところが親の方はあくまで、親であるから、とか親としてどうか、というところから抜け出せないことが多い。

子どもは人として向き合ってほしいと願っている。けれど親はあくまで親として向き合おうとする。

親ってなんだろう?と考えざるを得ません。

子どもは子どもとして理解してほしいのではないと思います。一人の人間として理解してほしいのです。

だから親にも人として対したいし、対して欲しいのです。

アドラー心理学でいうところのヨコの関係とはこういう事なんだと思います。

親として・・と言っている限り、どうしても「保護」「助言」「指示」が多くなり、上からの目線になります。

ここをどう親の側が自分の中でクリアしていくかが難しいところです。

不登校だと社会性が育たないのではないか?

人はいつからでも変わることができるとアドラー心理学では考える

今でなくてもいつからでも社会性は育てることができる

これ以上勇気をくじかれないこと・好きを見つけてもらう事が大事

この場合の社会性とはなんでしょう?他者とうまくコミュニケーションをとれて適応していけるという意味だとすると、学校へ行った行かないはあまり影響がないように感じています。

なぜかというとアドラー東北(仙台)に来られる皆さんはおおむね不登校だった方たちではなく、高卒以上の学歴を持ち、学校へ行っていらした方たちで、他者との適応について悩んでこられるからです。

学校で学ぶ知識の中には他者との関わりを学ぶコミュニケーション・適応の授業はありません。

それよりもこれからの社会で、自分の特性をどう生かして社会の中に居場所を見つけ貢献して人生を送れるかと言う事の方が大事です。

学校現場が一定のひな形の枠に子供を当てはめる画一的な教育を行っている限り、その枠に当てはまらない子供たちははじかれるのは仕方がない現実があるのです。はみ出したからと言ってその子にはその子の持って生まれた価値があり、型にはまらない能力があり、素晴らしさがあり、それを見つけてあげることができるのも、自分で発見してもらえるのも、人との違いからです。

私自身は不登校になったお子さんには、一定の型にはまらない特別な力があり、皆と同じを良しとしない芯の強さがあり、そして勇気くじきに反応する繊細さや敏感さという良さを持っていると感じています。

そういうお子さんの良さに着目して勇気づけていきたいものです。

自尊感情を育てる・勇気づけ

褒めるには限界がある

精神的自立を妨げる自尊感情の低さ

「褒める」ことで何を狙っている?と思われてしまうのでは逆効果

不登校に限らず近年問題視されているのが子供の「自尊感情の低さ」です。

自分に自信が持てず自分の価値を認められず自分が好きになれない子どもが増えています。

それでも昔は地域そのものがまるっと共同体で助け合い支えあって暮らしていましたので、自分の子どもでなくてもだれかかれかは子供について関心を持ち、そこから外れないような配慮が自然となされていたと思います。

今は完全核家族化していますから、その地域の支えもないので、子どもは家庭内で自尊感情を育てられないと、学校へ行く勇気も持てなくなるのではないでしょうか。

今まではこの自尊感情を育てるのに「褒める」こと以外方法がないように思われていましたが、子供に自立心が芽生える時期になるとそれも「何か狙いがあって褒めている?」と捉えられてしまい、その効果にははなはだ疑問が付きまといます。

また自尊感情が損なわれるのは「失敗」をしたときの場合が多いのですが、失敗した時に「褒める」ことはできないのはお分かりでしょう。

アドラー心理学の勇気づけは、失敗した時に「自尊感情を損なうことなく、またがんばるぞ、チャレンジするぞ」と子どもに思ってもらう方法です。

また結果ではなく努力の過程に注目して言葉をかけるので、結果がどうであろうと用いることができます。

この勇気づけと褒めるの違いは、なかなかぴんとこないことが多く、もちろん本を読んでもわかりません。実際に足を運んでこそわかる感覚なのです。

そういう意味でアドラー東北(仙台)には、毎月自分を勇気づけるために足を運ばれる方が多いです。

自分が勇気を持ててこそ、子供や他者を勇気づけられるからです。

不登校は逃げだが恥ではない

現実逃避できるから命があることもある

大人だって逃げたいことがある

逃げるのも一つの勇気である

逃げることは悪いことではないと私自身は考えています。私たち大人でも逃げることは良くあります。逃げられない、逃げることが悪いことだと考える人は、抱え込みが多くなり、自分自身がそれで苦しむように感じています。

もしもお子さんがいじめで学校から逃げる手段として不登校を選んでいた場合、逃げなければどういう事態が起こるでしょうか?

自殺したお子さんについての報道を目にするたびに「逃げてくれれば。。」「学校に行かないという選択をしてくれれば。。」と思わずにはいられません。

自分の安心、安全を確保できない環境で過ごす学校生活からはどういう意味をその子にもたらすとお思いでしょう。

不登校には一時的避難の意味もあると思うのです。逃げることが悪いことだとは限りません。

無理強いをしないこと

子どもだって休む時期が必要

どれだけ消耗しているか・・

子どもが自ら動き出すまで待つ

自立へ向かって子どもが自ら動き出すようになるには、人それぞれの時間が必要です。

不登校や引きこもりになった時点ですでに完全にガス欠になっていることも多いのです。

燃料がないのに、親は良かれと思って子どもの登校を促します。

このことが逆に子供のエネルギーをさらに消耗させてしまい事態を長引かせることもあるのです。

子どもの力を信じて待つ、親の忍耐と長い目でその子の人生を見る大人ならではの視点と勇気が必要なのです。

4月のアドラー東北(仙台)親の会を終えて

相談できる場を提供していける幸せ

親だって我慢しないで言っていい

本音を言える場でありたい親の会

4月の仙台親の会は新しいご参加の方を迎えて、いつもながら和気あいあいと、それでいて本音を語り合う場になっておりました。

はじめての方は、自分の心の痛みを始めて理解してもらえて、気持ちが緩まれる方が多いです。

親のつらさを話せる場はなかなかありません。いわゆる相談はまず自分や自分の気持ちと向き合う処からのスタートなのです。

親御さんもかなり我慢していることが多いので、ありのままを受容してもらえるというのは大事なポイントです。

勇気づけの記録を付けていただくことをお伝えして、次回お持ちいただくことになりました。

もっと多くの方にいらしていただけるとうれしいのですが、個人的にお話ししたい方も多いので、少人数にさせていただいております。勇気を持てるようになるのは、親も同じです。

子どもに勇気を持ってもらいたいのであれば親も勇気を持って行動していきたいものです。

学校に行くのはとても勇気のいること

「怖い」というメッセージを受け止める

子どもは自分の能力を信じられないでいる

安全基地の家庭から抜け出す勇気

子どもは家族と言う共同体の中で守られていると感じて育つのですが、幼稚園や学校は知らない人ばかりの新しい共同体であり、そこへ行くと言う事はとても勇気のいることでもあります。

たとえば私たち大人でも、見知らぬ人の中に入っていくのはとても勇気がいることはお分かりでしょう。

ドキドキしたり緊張したりしますよね。だから勇気がないと新しい環境にはなかなか入っていけない、それは大人も子供も同じです。

幼稚園へ行く道すがら、行きたくないと座り込んでいるお子さんを見たことがありませんか?

「知らないところへ行くのは嫌だよ~怖いよ~。」と言っているので「駄々をこねている」のではありません。知らないところ知らない人ばかりのいるところへ行くのが怖いのです。

だから勇気がないといけないのです。

一旦なじんでも、年度で担任やクラスメイトが変わったりします。それも子供にとってはとても勇気が必要なことなのです。

クラスわけで「知っている子がいる」と喜んでいる風景を良くご覧になるでしょう。それが勇気を持って新しいグループに入る足がかりになっているのです。

 

不登校は学校に居場所がないと感じて起きる

自分のいる場所がないと感じる喪失感

役に立たない、安全でない、いてもいなくてもいい。。

自分らしくいられないと感じている不登校の子ども。。

アドラー心理学では、人は居場所を求めて行動すると考えますので、居場所があると感じればそこに行きます。

不登校になったお子さんは学校に居場所がないと感じているので行かなくなるのです。

「自分がつらいんだ。」と思うのも、自分の居場所がないからです。

具体的には、そこにいても自分には価値があると思えたり、安心・安全だと感じたりということですが、究極的には「ありのままの自分でいられる」ということになるとアドラー東北(仙台)では考えています。

ありのままの自分でいられないと感じるので学校へ行かなくなるのです。

ありのままの自分でいると、ダメ出しをされたり、裁かれたり、はじかれたりする。。

安全ではない、安心できない、自分らしくいられない、ここには自分の居場所がない。。

そう感じているのです。他者との違いを認める教育がなされていれば、こうはなりません。

アドラー心理学だと「もともと人は皆違うものだ。」という前提から出発しますので、スタートラインからして考え方が今までとは違うのです。

ご自分のことを考えてみてもおわかりかと思うのですが、ありのままの自分でいても誰にも何も言われない環境こそ居場所があると感じられるのではないでしょうか?

だからこそ不登校に限らず親御さんや教師に必要なのは、お子さんに対しての絶対的な信頼と尊敬と受容がなのではと・・と思うのです。

不登校の子どもは親に何を求めているのか?

不登校になったとき解決を求めているわけじゃない。。

親の気持ちと子どもの気持ちのずれ

勇気をくじくのをやめることが最初にすべきこと。。

「つらいんだ」

お子さんが不登校になったとき、親に何を求めているかというとこの一言を理解してもらいたいということに尽きるとアドラー東北(仙台)では考えています。

解決してほしいわけでも原因を聞いてほしいわけでもありません。

自分のつらさをわかってもらえるだけでお子さんは救われるのです。

ところがそれとは別の方向に親も教師も走ってしまいます。

アドラー心理学ではこれを共感と言います。

「相手の目で見て、相手の耳で聞いて、相手のこころで感じること」

すなわち「お子さんの目で見て、お子さんの耳で聞いて、お子さんのこころで感じること」

自分が今お子さんに対してしていることは、不登校になったお子さんのつらさを理解しようとするのに役立っているのでしょうか?

もしもつらさを理解している、理解しようとしているなら、まず「勇気くじき」をやめることが最初のスタートになるのではないでしょうか。

今あなたがお子さんの為と思ってしていることは、お子さんを勇気づけることになりますか?それとも勇気をくじくことになりますか?

担任の先生の家庭訪問

子どもが嫌がるが、先生が来るのでどうしたらいいか。。

お互いの立場を理解したうえで話し合いで決める

子どもがどう感じているか、を伝える。。

担任教師との関係も悩みの種

お子さんが不登校になると、担任の先生が、お子さんをたずねて家庭訪問に来ることが多いでしょう。

むげには断れないし、かといってお子さんは嫌がるというのは想像に難くありません。

なぜかというと学校へ行かなくなった時点で、担任の教師との関係もあまりいいとは言えないことがほとんどだからです。

子どもと教師の関係は二者間の問題ですから、その辺は割り切って、家庭訪問についての希望を話し、お子さんのプレッシャーにならないようにしたいものです。

親御さんにとっても担任の先生と会うことはかなりのプレッシャーになることは否めません。

人によっては家庭についてダメ出しをされているように感じることもあるでしょう。辛いと言う事を伝えないと、その辺は理解してもらえないことも事実です。

電話でのやり取りに変えてもらうとか、頻度を少なくしてもらうなど、親御さんとお子さんの希望を伝えて理解してもらうようにしたいものです。

学校との連絡はどうしたらいいのか?

学校へいかなくなり、学校との連絡で困るという親御さんは多いです。

本人の気持ちを聴いたうえで決める

学校とのやり取りが逆にプレッシャーになることもある

学校と子どもとの間に入って悩む親は多い

お子さんが学校へ行かなくなると毎日の学校への連絡が億劫になることがあります。また行かないと言わなければならないことは親御さんにとってもかなりのプレッシャーですし、そういう親を見ていてお子さんは自分へのプレッシャーも感じます。

かといってまったく連絡を取らなくなってしまえば、いざ学校へ登校しようとお子さんが思った時に、困ってしまうのではないかと言う悩みも出てくるでしょう。

担任教師がどういう対応をするかにもよりますが、あまり負担がかかるようであれば、必要な時に連絡を取りあうぐらいにしておくのも、お互いの為です。

つながっていないことに不安を感じられることもあるでしょうが、ここはまず親子の関係を優先にして、割り切ることも時には必要だと思います。

ゲーム三昧・不登校で陥る現実逃避

学校へいかなくなり、ゲームに没頭するようになるケースは多い。

安心・安全を求めている

本人と話し合いをして時間を決める。。

ゲームにテレビ、ネットを見放題、やりたい放題になりがち

学校へ行かなくなって家で何をしているかというと、ゲームばかりしています。テレビばかり見ています。ネットばかりやっています。そんな声を良くお聞きします。

これは精神的な引きこもりの状態と言っていいでしょう。

誰と話す必要もなく、嫌なことを言われたり、嫌な思いをすることもないのですから。本人にとってこれ以上安全・安心な方法はありません。

穏やかに話し合える方法をアドラー心理学を通して親の方が身につけたら、こういった精神的な引きこもり時間について話し合うことが必要になります。

いずれにしても、現実逃避の方法としてゲーム等に夢中になっているので、現実と向き合う勇気が持てていないのであることはたしかです。

いつかは現実と向き合わなければならない日も来るので、その背中を勇気づけで押してあげられるのは親しかないのです。

不登校の理由を聞いても話してくれない

言ってもわかってもらえないと感じているか、言えば叱られると感じているか、自分でもよくわからないと感じている

実際本人は不登校をどう思っているのか・・

話し合える関係を築くことが大事

自分のことを話すのは結構ハードルが高い

今までの親子関係を踏まえて、今の事態がありますので、話し合える関係になっていないと子どもはなかなか自分の本音を話してくれません。

なぜかというと、自分の本音を言えば、否定されたり、評価されたり、叱られたりする可能性が高かったりするからです。

親の方がやんわりと子どもの言葉を受け止め「そうだったのね。」と言える関係になっていないと子どもは本音を言わないでおこうと考えます。

「言ってもわかってもらえない」関係から「言えば受け止めてもらえる。わかってもらえる。」関係に変えていかなければなりません。

そういう関係からまず整えていかなければなりません。そのためにSMILEの受講の必要があるのです。

不登校になると昼夜逆転が起きる?

学校に行かなくても家族と共に暮らすという生活のリズムは変えない

協力的に暮らす

自分は特別ではなく家族と言う社会の一員であると感じてもらう

家族という共同体の秩序を保つ

 

不登校になると昼夜逆転の生活になるわけではなく、周りがそれを許可してしまっていると考えたほうがよさそうです。

どう介入したらいいのかわからずに、そうなってしまった・・と言った方が自然かなと思います。

学校に行くにしろ行かないにしろ、勝手に生活していいと言う事にはならないのです。

勝手な生活をするようになると、自分はなんでも自由を許される特別な存在であると思ってしまいます。

家にいるならいるで、家族と協力して暮らせるように、朝は家族と共に起き、家族と共に食事をとり、といった最低限の規則正しさを保てるよう協力してもらうことは可能でしょう。

また昼間もできる範囲で家の中のことを手伝ってもらうことも必要です。

自分が何らかの役に立っているという貢献感を持ってもらいながら、勇気づけを続けていくことで事態は変わっていくと思います。

アドラー東北(仙台)の不登校親の会

現実に起こっている出来事をいったん整理する

突破口が見つかることが多い

自分で探せるとっかかり

やれることが見つかると希望が持て笑顔が出てくる

他の相談窓口やカウンセリングではどういう対応をされたのかはわかりませんが、皆さん大体「もう手がない」という状態でアドラー東北へいらっしゃいます。

あきらめようかと思いながらあきらめきれないところでいら社るので、こちらのご提案をダメもとでやってみようと考えられるようです。

アドラー心理学の場合、不登校について言えば明確な定義があります。

それは「勇気をくじかれて学校に行く勇気が持てない状態である」ということです。

お子さんに勇気を持ってもらうには、勇気をくじかず勇気を与える勇気づけを毎日していただくしかない。

勇気づけるためにはお子さんの良いところをたくさん探してもらいます。

ただこれは勇気づけという技法のほんの一部分を使って行う事なので、勇気づけには基本的な親子関係のスタンスが必要であり、それがないとすぐに塗りがはげてしまう。SMILEで学ぶ親子関係のベースがあってこその勇気づけになるのです。

そのために親の会とSMILEは必ずセットで・・という対応が必要になるのです。どんなに言葉が勇気づけに聞こえても、態度が違えば子供はわかります。矛盾のない対応を親がしていかないと子どもには見抜かれてしまい、逆に事態を悪くしかねません。

不登校・人生のストーリーが止まる・・

人生の流れが止まるという感覚

親も子も同じ気持ち

膠着した時間を動かす勇気づけ

人生の立ち止まりの時期

人生を私たちが振り返るとき、何歳の時にどんなことがあって、だれとどう過ごして、と記憶の日記に書いてあると思います。

不登校になった子どもは、その日記を更新するのをやめているのです。

新しい体験や出会いを書くことは、不登校になったその日から止まります。それは引きこもってしまった場合に顕著だと言えるでしょう。

それは親にとっても同じではなかろうかと感じます。

その子と紡いできた人生の歴史がその時点から止まるのです。

ストーリーをこれから先書いていくには、勇気と言うエネルギーがいります。ガス欠を起こしているのです。

いつそのエネルギーが充電されてまた人生を描き出すのかは誰にもわかりません。

大人でも心を病んだり、ガス欠を起こして動けなくなることはあります。

子どもでもそれはあることなのではないでしょうか。

それを受け入れられるのは親であるあなたしかいないと思うのです。

不登校により兄弟関係も悪化する・・

兄妹同士を比較しないこと

子どもは親をめぐって主導権争いをするもの

特別視をせず同等に対応するよう心がける

子どもは常に親を見ている

兄妹の中で一人が不登校になると、他の兄妹との関係も悪くなる場合があります。

親は不登校になった子どもにかかりきりになり、他の兄妹に目が行かなくなります。

不登校になったこと事体もショックなのに、他の兄妹も行かなくなったらどうしようと予期不安に襲われることもあるのです。

子どもの立場でこの状態はどう目に映るでしょう?

不登校になった子どもは、親の介入を不快に感じる一面で、不適切な行動をしたら(不登校になったら)親が自分に関わるようになった。学校へ行っていたとき(適切な行動)の時には目もくれなかったのに。。

不登校でない他の兄妹は、自分はちゃんと学校へ行っているのになぜ親は学校へ行かない子ばかりを構うのか?と思う。

ちゃんとやっている自分に注目せず、ちゃんとやらない子供に注目するのは不公平だと感じるかもしれません。

それは子どもが感じる劣等感です。劣等感を刺激すると兄弟間の仲が悪くなります。比較をするつもりがなくても子供は親をめぐって「自分の方が大事にされているかどうか?」ということを常に見ていることを意識しなくてはなりません。

もしかしたらという期待を持つ新学期・・

期待は子供への無言の圧力になる

子どもは親の気持ちに敏感である

親も達観しながら子どもを見守る

子どものペースを尊重する

新学期が始まります。今までは不登校だったけど、子供も新学期から行くと言っているし、なんとかなるかもしれない。とお考えの方もおられると思います。

お子さんの立場で考えると「親も心配しているし、期待に応えないと・・。」と思っているかもしれません。

ただ今まで行っていなかったのに学校へ行くと言うのは実はかなりの「勇気」を必要とします。

もしも新学期になってもお子さんが学校に行けなくてもお子さんを責めないで上げてほしいのです。また期待をあからさまにお子さんにわかるようにすることもお子さんにはそれだけで圧力と感じられます。

学校へ行く・行かないのはお子さんの課題だとアドラー心理学を学んで理解できていても、その辺がなかなか割り切れないというのは親の本音です。

親にできることをコツコツと続けること。お子さんのこころのコップが勇気で満たされるよう「勇気づけ」を続けること。

親にできることはそれしかないのです。焦らずに親も達観して見守る気持ちで新学期を迎えたいものですね。

不登校も親が変わる方が現実的・・

子どもさんが参加しなくても親が対応を変えるだけで子どもが変わる・・

お子さん連れのカウンセリングは無理強いしないことも大事

一番簡単な方法で不登校は解決できる

親の対応が変われば子供も変わる

アドラー東北(仙台)に来る前にどういった支援を受けておられましたか?とお聴きすると、お子さん連れでカウンセリングを受けたり、相談窓口に行ったりということをほとんどの方がなさっておられます。

これはお子さんにも親御さんにも大変負担のかかる方法です。

アドラー心理学の場合には、お子さんが来なくても親御さんの対応を変えるだけで明らかにお子さんとの関係が良くなっていきます。

現実にお子さんを連れていらした方はお一人もおられませんし、その必要はないことをお伝えします。

人の行動には必ず相手役がいる、とアドラー心理学では考えるので、相手役になっているであろう親御さんの対応を変えるとお子さんの反応が変わってくるのです。

泣いてばかりいた・・・

離婚後実家に戻って子どもが不登校になったばかりでなく、家族とも上手くいかなくなり・・

親の会とSMILE受講で子どもは学校へ行きだした。。

自立の意味を取り違えていた 仙台市・Kさん

自立とは何かを考える・・

ちょうどアドラー東北(仙台)の親の会にいらしたKさんは泣いてばかりおられて、混乱のさなかにおられるようでした。話しておられるうちに泣きじゃくるので何を言いたいのかもはっきりしません。

何度か通ってこられるうちに、離婚されてお子さんを連れて実家へ戻ったのだけれど、子供は不登校になり、実家のご家族ともうまくいかなくなり八方ふさがりであることがわかってきました。

親の会のフォローとSMILEの受講でお子さんは学校へ行きだしましたが、ご家族との関係は良くありませんでした。

離婚して実家に戻ったので「甘えてはならない」と思っておられることがSMILE受講後の親の会でわかりました。

ここにご両親や同居されている兄弟との気持ちのギャップがでてきます。

Kさんの気持ちとしては「これ以上親には迷惑をかけられない」

親の気持ちとしては「傷ついて家に戻ってきた娘の力になりたいが、それはいらないという。自分たちを都合よく使っているようで面白くない。」

離婚したので実家に戻ります。でも経済的にも困っていないし、助けはいりません。自分には関わらないで欲しい。

と自立の意味を間違ってとらえていたのです。

娘を助けてやりたいという親ごさんの気持ちを素直に受け取ればいいのだということをお伝えし、自立とは困ったときに協力、助けを求めることができることでもあるとご理解いただいて、その後は仲良くなる道を選ばれているようです。

子どもが不登校なのに仕事を続けていていいのか?

お仕事をお持ちのお母さんは皆さんが同様のことを悩んでいます。

SMILE受講後の親の会にて

仕事をやめたほうがいいのかな?どうしたらいいのか?

きっかけは子供の不登校

アドラー東北(仙台)で、ちょうど一年前ぐらいに不登校のご相談にいらしたMさん。最初はアドラー心理学勉強会のほうにいらしたのですが、そのうちお子さんの不登校で悩んでおられることがわかり、親の会のほうに参加していただきました。昨年末にSMILEを受講されて、新しい親子関係のあり方、子ども対応のやり方にびっくりされましたが、今はこれからも学び続けたいと思っておられます。いつもお忙しい中時間を見つけては通ってきておられます。

そんなMさんが、仕事を続けることがいい事なのかどうなのかという悩みを打ち明けてくださいました。

お仕事は好きですか?とお聞きしたところ、とても好きだとおっしゃいます。

お仕事を辞めると言う事はお子さんのために好きなことをあきらめると言う事になりますが、それはお子さんはどう思うでしょうね。と問いました。

がっかりするかもしれないし、自分の為に・・と悪い気がするかもしれません。。

お子さんがそう感じることは、あなたが望んでいることですか?

いいえ違います。

もう一つお聞きしますが、仕事を辞めると不登校が改善されるのでしょうか?

いいえ、それもないと思います。

それでも仕事を辞める理由がありますか?

ありません。。

ということで最後は仕事を続けます、とおっしゃって笑顔でお帰りになりました。

誰もが仕事を持って活躍する時代。お子さんのためにと言いながら自分のやりたいことをあきらめるのは、親にとっても子供にとってもいいことは何もないと思います。

家族みんなが救われた・・・

学び続けることで家族が救われたと感じています。

子どもの問題から家族全体が変わった

母親一人の気持ちが家族みんなを変えた

きっかけは子供の不登校

アドラー東北(仙台)でアドラー心理学を学び続けているNさん。通い始めたのはお子さんの不登校がきっかけでした。もう2年前になります。感覚の鋭いお二人の御嬢さんとの関係も悪く、経営者でもあり、自分のこととお子さんのことでいっぱいいっぱいになって、親の会にご相談にいらしたのが最初でした。

親の会や勉強会でフォローを受けながら、SMILEやELMを受講され、お子さんたちとの関係はとても穏やかで良いものに変わりました。

その後も通い続けながら、リーダーの資格も取られ、アドラー東北(仙台)のご相談者への対応を自分の勉強とするために今はおいでになっています。

先日そういった資格を取られた方のための講座にいつものようにおいでになったNさんが、ぽつりとこんなことをおっしゃいました。

Nさんはお子さんとの関係が改善したのち、職場の人間関係も改善されていましたが、ご主人との関係は最後までうまくいきませんでした。

でも毎回ご相談者に私が「仲良くなりたい?仲良くなりたくない?」と自己決定を促しているのを見て、「同じ家の中で一緒に暮らしているのに、主人とも仲良くできたらいいな。」とそう思ったんだそうです。

それでご主人にそれを伝えたそうです。そうしたらご主人も「仲良くなりたい」とご返事してくれたんだとか。。

「うちの家族はみんな、先生とアドラー心理学に救われたんだなと思っています。こんなに毎日が幸せで、本当に豊かな気持ちで暮らせるなんて。。」と。

「それはあなたが努力したからです。やり方は教えたかもしれませんが、やる!と決めて実際にコツコツとやり続けたのはあなたです。だからあなたの力なんですよ。」と申し上げました。

これからもずっと来続ける覚悟を持って毎月足を運んでくださっています。

子どもの心のコップに勇気を満たす

無料レポートを読んで学校へ行きだした、でもそれではまだまだ勇気は足りない

不登校の子どもの心のコップに勇気はほとんど入っていない

勇気づける親になることが必要で情報だけではダメなのである。。

行っているようにみえても・・

不登校の親の会で最初にお話しするのは、お子さんのこころのコップを勇気で満たしましょうということをお伝えします。その子にとって学校へ行けないのは勇気が持てていないからです。勇気が持てていれば行けるようになります。そのために親御さんに勇気づけを学んでもらう必要があるのです。親の会では簡単な勇気づけの方法をお教えして実際にやっていただきます。そのうえで基本的な勇気づけの子育て法SMILEを学んでいただいて「勇気づける親」になっていただくのです。

親の会でお伝えする簡単な勇気づけは、さわりの部分に過ぎません。これはSMILEのほんの一部をつかっているに過ぎないのです。

無料レポートを読んで学校へ行きだしたという方もおられますが、それはお子さんのコップの底に若干の勇気がたまった状態ですから、すぐに枯渇してしまいます。多少のことでは枯れないほど満々とたたえた勇気のコップを持ち続けてもらうには、親御さんが「勇気づける親」にならなければなりません。

そのためには学ぶことがたくさんあるのです。それが愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILEに集約されているのです。

 

 

長期的視野と大局を見ることが必要な不登校

親はどうしても目先のことに囚われがちだが、目標がはっきりしていると長期的視野と大局を見られるようになる

自分の思考を検証してみよう・・

拘っているのは目先のことではないのか?

日本と言う国は教育の場を求めればいろんな選択肢がある幸せな国である

アドラー心理学の育児の基本は「子育ての目標」を明確に設定し、それにそって自分の対応を考えてやっていくことです。

ここが定まっていないから「ぶれる」とか「その場しのぎの対応をしてしまう」ということが起きるわけです。

最終的に目指すのは「自立し社会のお役にたつ子供に育ってもらうこと。」

それはいつ実現するかは誰にもわかりませんが、親の基本スタンスとして子供とその能力を信じ続けるということが上げられると思います。

他者対応のノウハウなんていうのは小手先の技術であって、基本的に他者を信頼できるかどうか、を常に私たちは試されているのです。

その他者の際たる存在が家族であり、子供であると言えます。

長期的な視野で「自立し社会のお役にたつ人間」になってくれれば、今抱えているであろう「学校に行く、行かない」は目先の問題に過ぎず、そのことが理解できると、方法はいくらでもあると親が寛容さをもって現在の事態を理解できるようになります。

子育てと言う長いスタンスと、社会全体から見たひとりの子どもの人生、大局を見る目を養いたいものですね。

 

不登校でこじれにこじれた親子関係

中学生の子どもが不登校になり言い争いが絶えず家庭の中がピリピリ。。キレると暴力をふるい、家の中のものを壊したり暴れる子ども。子育てを失敗したと感じて社会から孤立した気持ちでいた。

「こんなに穏やかな日が来るなんて。。」

暴力をふるって暴れていた子供が雪かきを手伝ってくれた。(お子さん・中学生)

SMILEを受けながら親の会でフォローを受けることもでき安心して取り組むことができました。

夏休み前に親の会にご参加。中学生のお子さんが進学を前に学校に行かなくなり、家庭内が荒れて、わらにもすがる思いで岩手からご参加してくださった。

以前別のところでアドラー心理学を学んだことがあり、小学生の時にはそれで登校しぶりが解消したが、今回は子どもとの関係が悪化するばかりで手の施しようがないと感じておられた。

初回の面接で家庭内の様子をうかがったところ、ご相談者が良かれと思ってしてきたことが子どもに逆効果であり、自分は特別な存在だと思ってしまった節があることをお伝えした。

日々お子さんを勇気づけをすることと同時にまず「家庭内の秩序」を取り戻すことが大事であることをお伝えして、食事等本人を特別扱いしないことに取り組んでいただくことにした。幸いご家族の協力も得られ、SMILEが始まるころにはだいぶ家庭内で暴れたりと言う事も減ってきたようである。

SMILE終了時にはお子さんとの関係はとても穏やかで良好なものに代わり、冷静に進路について親子で会話ができるようになったとのこと。

さらに、自発的に家庭内の手伝いもしてくれるようになったので「こんなに穏やかな日を迎えることができるなんて夢のようだ。」とおっしゃっておられた。

また勇気づけは言葉かけだけではなく、その底には「根拠を求めずお子さんを信頼し続ける」という親としての覚悟が必要であることを学んだとおっしゃっておられた。

大変難しいケースであったが、SMILEを挟んでの親の会のフォローアップの必要性をひしひしと感じた事例である。

学んだあと来なくなるとどうしてもSMILEのテキストで学んだことを自己流に運用しがちなので、その辺のフォローは親の会でがっちりしていきたいと思っている。

不登校は増え続けている

昨年末の不登校についてのグラフから考える

増え続ける不登校の現実にどう対応する

画一的な授業・学校形態の限界

実際のところこのグラフを見る限り不登校は増え続けている。教育現場の混乱は察して余りあるものがある。

ただ最近の傾向として様々な選択肢が不登校のお子さんを抱えたご家族に提示できるようになってきてはいる。

最近の仙台での受講生の傾向としてできるだけ学校に戻るにしても地元から遠く離れたところといったことを望むようである。本人もご家族も世間の目から離れたいといった感情がうかがえる。

また田舎に行くほど選択肢がないのは、相変わらずであるが、最終的には子どもが自分のこれからの人生をどう生きるかを考え出せば「どこに行くか」「学校へ行くか行かないか」はあまり問題にはならないと感じている。

震災避難者へのいじめと不登校

「問題のあらまし」

福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学一年生の男子生徒が、いじめを受けて不登校になり、弁護士を通して手記を公表した。

「賠償金があるだろうと言われ抵抗できなかった」と心情を綴り、いじめによる子どもの自殺が相次いでいることを受けて「いじめがなくなってほしい「多くの子どもの少しでも励みになれば」と公開を決意した。

生徒と家族は東日本大震災後の2011年8月に横浜市に自主避難。直後から転校先の私立中学校で名前に「菌」をつけて呼ばれるなど複数の児童からいじめを受け始めた。

市教委の第三者委員会の調査によれば、加害児童ら10人ほどと遊園地やゲームセンターなどへ行くようになり、遊興費のほか食事代や交通費も含めて1回5万円~10万円の費用を10回近く負担。児童2人にエアガンを購入したこともあった。男子生徒は親の現金を持ち出していた。総額150万円以上。

事態に気付いた複数の保護者が学校に連絡。男子生徒の保護者も学校に問い合わせた。学校も調査を始めたが「信用してくれなかった」「無視された」と生徒は手記で述べている。

現在は小学校を卒業しフリースクールに通っている。

「以下手記の一部抜粋」

「加害者からお金を持って来いと言われた。」「メールでも言われた。」「人目が気にならないところでもってこいと言われた。」

「お金を持って来いと言われたときすごいいらいらとくやしさがあったけど、ていこうするとまたいじめがはじまると思って、なにもできずにただこわくてしょうがなかった。

「ばいしょう金があるだろうといわれ、むかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」

「00、00には、いつもけられたりなぐられたり、ランドセルふりまわされる、かいだんではおされたりして、いつもどこでおわるかわからなかったのでこわかった

「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられると思った。なにもていこうできなかった」

「いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった。」「なんかいも先生にいおうとするとむしされてた

「いままで何回も死のうと思った。でもしんさいでいっぱい死んだから、つらいけどぼくは生きると決めた。」

「アドラー東北所見」

世の中は理不尽なことが多い。それを小学校の後半から経験しなければならなった本人の辛さは察して余りある。

原発事故で居場所を失ったことも理不尽なら、そのことをタネにいじめにあうことも理不尽である。

しかしこの子は「勇気」を失わなかった。

「不登校」という選択をした。

そして「生きる」という選択をした。

また自分と同じように苦しんでいる子に役立てばと言う「貢献感」を持って告発をした。

小学校5年生でこういう共同体感覚を持てているとは、驚きである。

そこには彼のすべてを受け入れてくれ援助してくれ支えてくれる大人の存在があったことは確かだと思う。

ポイント・キーワードについてまとめてみた。(2017・3・26記)

  1. 不登校の目的ー自分の安全・命を守る・生きる
  2. 自己決定性①ー不登校という選択をした。この場合実に建設的と言える
  3. 自己決定性②ー「生きる」という選択。そのための不登校
  4. 大人の見守りー学校外の大人が彼を支えた・保護者や他生徒の親・弁護士
  5. 勇気を失わなかったー与えられた環境の中で自分でできることを考えた

いじめ⇒心身症⇒不登校

「問題のあらまし」

滋賀県高島市の市立小でいじめをうけた6年生の女児が心身症と診断されて登校できなくなる問題があり、学校側が、調査方法や構成メンバーなどについて家族らと事前協議をしないまま第三者委員会を設置、調査をはじめたことがわかった。

文部科学省は「第三者委員会の調査を始める前に開始時期や期間のめど、方法などをあらかじめ被害者側に説明するべき」との立場を示し、こうした内容を盛り込んだ「いじめの重大実態の調査に関するガイドライン」を2016年度に全国通知するとしている。

女児の家族らは「国の方針に逆行した対応」と反発。関係者によると第三者委員会は、弁護士、臨床心理士、社会福祉士の3人で構成。第一回の会合を開いた。事実関係や学校と市教育委員会の対応を調査し再発防止策を提言するのが目的とされる。

「アドラー東北所見」

当事者を置き去りにした大人の暴走と感じる。

不登校になった子どもの存在はどこなのか?と問いたい。子どもの気持ちは?どうなのかについては全く配慮されていない。

協力して支援していかなけばならない親と学校側が、事前の話し合いがないということで対立関係になってしまっており、何が優先事項で何が大事なのかが忘れ去られていると感じる。

「原因はいじめであるからそのことについて調査するのは学校側の責任である」、学校側はやるべきことをやっていますというアピールに過ぎないと感じる。これも責任回避の一つの表れであろう。

不登校になってしまった子どもには「心身症の症状が出る」のはよく見られる。現実に対応できない、困難を克服できないと感じると症状がひどくなる傾向がある。

不登校になった原因を追究しても子供を支援することにはならない事例だと思う。原因論の迷路にはまり人間関係も悪くなるだけである。そして当事者の子どもも救われない、何のメリットもない対応と言わざるを得ない。(2017・3・27記)

不登校を問題行動と捉える学校側の姿勢

「問題生徒の情報を配布」

埼玉の中学ー会議で自治会長らに

埼玉県熊谷市の市立中学で1月に開かれた非行防止などを目的とした会議で、問題を抱えているとして生徒13人の氏名やトラブルの内容と言った個人情報を載せた資料を、出席していた学区内の自治会長らに配布していたことがわかった。

熊谷市教育委員会によると、会議は1月に開催。自治会長や民生児童委員のほか、市教委や熊谷署の担当者ら17名が出席した。

その際、同校が非行や不登校などの傾向にある1~3年生の男女13人の氏名と学年をまとめた資料を全員に提供した。

うち非行の問題がある5人については顔写真も付けて「学力が低い」「性的なことへの興味関心が強い」などと記載。会議後に資料が回収される予定だったが、徹底されず一部が持ち帰ったという。

「アドラー東北所見」

こういう学校側の行動を見聞きするたびに学校とは誰のための場所であり、何のための場所なのかとはなはだ疑問を感じる。

また子どもの人格を否定しているように感じるのは、大人の基準でレッテルを貼っていることがあるからであろう。

不登校も非行と同様に問題であると考えている。これはまさに「生徒が悪い」という視点からの教育放棄に等しく責任放棄である。

アドラー心理学で考えれば非行に走っている子どもや不登校になっている子どものために私たち大人にできることは何かということを話し合うだろう。

レッテルを貼った情報を関係者間で共有化したところで「そういう認知でその子を見る」だけである。それを助長することに気が付かないのであろうか。

同じ人間としての温かさを感じない。こういうことに何の意味があるのかと憤りを覚えるだけである。(2017・3・28記)

調査してそのあとはどうするのか?が大事

「いじめの調査を充実せよとの遺族の訴え」

青森・中2自殺・遺族らー文部科学省に要望書

昨年8月にいじめの被害を訴えて自殺した青森市立中学のKさんの父親ら各地の被害者遺族が23日文科省を訪れいじめ調査の充実を求める要望書を提出した。

主に県教育委員会が設置する第三者委員会は調査能力が不十分で有効な再発防止策につながらない他加害者の反省の機会を奪っていると訴えている。

要望書は第三者委員会の問題点として①いじめに対する見識を持っていない委員がいる。②教委と利害関係のある委員が含まれる。③被害者に情報を開示しないことが多い。などを挙げた。

自殺と言った重大事態が起きた場合は関係者の口裏合わせなどを防ぐため発生直後から調査を開始することの重要性を訴えた。

「アドラー東北所見」

子どもを自殺で亡くした親御さんの心中は察してあまりある。文科省に訴えた気持ちも理解でき、現実ではいかんせん駄目であると感じてのことであろう。

しかしながら文科省が何かできるかというと実際には何もできないというのが実態ではないだろうか。

いじめについては自殺した場合の因果関係は証明できないことが多いというのが、数多くの事件報道を見ていての感想である。第三者の力では特定が難しい。しかし一人の大事な命が奪われたことは事実であるのだから「犯罪」として警察力の介入の方が現実的なような気がする。

またいじめられていることを周囲の大人が察知でき、話しを聴けて協力してその子を守るような子供との人間関係の確立を目指す方が大事と思う。

原因追究は警察力に任せ、今親として、または教育に携わる者として再発を防ぐことを目指すのであれば、子供との関係を見直すことの方が大事と考える。

命を絶つ子供は周りに対して何も言わずに黙って命を絶つ。そこに問題がある。なぜ話せないのか、根本的な親子の関係や周囲の大人との関係が改善されていくことを願ってやまない。

不登校になる、学校へ行かないという選択もあると思う。どうしたら子どもの命を守れるのか、何ができるのかを考えてほしいと考えた。

子どもを取り巻く事件が起こったときいつも思うのは「周りの大人と話し合えてさえいれば」ということに行きつくのである。(2017・3・29記)

盛岡・中学校教員余力なし

画像の説明を入力してください(フォントが小さく設定された文章です)

盛岡中学教員余力なしー指導の悩みを抱え込む

盛岡市の中学校教員が指導上の悩みを抱えこみ、やりがいを感じられない傾向にあることが盛岡市教育研究所の調査で分かった。悩みを誰にも相談しない中学校教員は教科指導で37%、生徒指導で12.2%もおり、いずれも小学校を上回った。教科指導や部活動など仕事量が多いと感じる割合も高い。学校現場は学習指導要領改定を控えており、相談しやすい環境づくりや研修が不可欠。生徒指導もいじめやトラブルの早期把握と情報共有が必要で、学校運営の工夫が求められる。

「アドラー東北所見」

学校教員の慢性的な忙しさは今に始まったことではない。常時現場の教員は追い立てられながら仕事をしている。そういう中で何か生徒にトラブルがあれば対応していかなければならないので、その場しのぎの対応になりがちである。とにかく余力がない。企業であればブラックに等しい状況であると思う。教員に余力がなければ問題は先送りされたまま、現状は維持されていくであろう。教育とは誰のためのものなのか?抜本的な多忙の改善が速やかに求められると思う。(2017・4・3記)