仙台・オンライン・子育ての悩み・不登校・引きもこり・アドラー心理学
アドラー東北は不登校などの子育ての悩みや親子関係悪化のお悩みをアドラー心理学で解決に導く各種セミナーを開催しています。
民間調査と文科省調査の違いは歴然としている
中学生に対する民間の不登校原因調査、文科省との結果の格差が浮き彫りになっています。
民間調査は中学生を主に不登校になった原因を直接LINEで本人に聞いています。
文科省調査では数パーセントにすぎなかった「教師との関係」や「いじめ」を原因として不登校になったと回答した子どもが20%を超える結果となって表れています。
グループに自浄作用は働かないのが大前提です。身内可愛さのフィルターがかかるのは学校に限ったことではありません。
子どもの本音、当事者の本音を知りたかったら第三者の介入が必要です。
誰かがやらなければならない。外の誰が協力的でないとしても。
アドラーの言葉です。
もしも今ご家庭というグループでお子さんの本音が語られない状況であれば、第三者の力を借りることです。
学校に限らず、あらゆる組織・グループに必要なのは第三者を入れ、内側から改善していくという勇気です。リーダーにその決断力が求められる時代と言えるのではないでしょうか。
関連性が希薄であるにもかかわらず現実には反応してしまう人が多い現実
最近起きた事件の加害者が学生のころ不登校であったという報道がなされており、加害者の人となりを説明するにしてもそこだけやけにクローズアップして伝えている印象が否めず、これでは不登校に対するイメージが悪くなるどころか、今不登校のお子さんを抱えた親御さんまで不安に陥れてしまうのではないかという危惧を持っています。
こんな時に必要なのがメディアリテラシーという情報を自分で精査していく力です。
メディアリテラシー力があれば、実際にはその加害者が不登校であったことと今回の事件を起こした背景には何の因果関係もないことがわかります。
マスコミの報道をうのみにすることはとても危険です。報道するほうは見てほしいのでドラマティックに内容を仕立てていることが多いからです。
メディアで報道されたことを批判的に読み解き、審議を見抜く目を持ち、必要以上に不安に駆られたりしないことが大事です。
以下メディアリテラシーについての説明です。
最近のお勧めの本は画像をご参考になさってくださいね。
メディアを主体的に読み解く能力。 メディアにアクセスし、活用する能力。 メディアを通じコミュニケーションする能力。 特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ) コミュニケーション能力。
みんなが学校へ行かないから・・みんなと同じだから・・
「ほんとはこんな気持ちになってはいけないんでしょうけど、夏休みになるとホッとするんです。いつもは自分の子どもだけが学校へ行っていないけど、夏休みはみんなが学校へ行かない。この時だけはうちの子も他の子と同じって、そう思うんです、」
もうお子さんが不登校になって2年になるA子さんはそんな風にお気持ちをお話になってくださいました。
ちょうど夏休みに入る前から登校を渋り出し、夏休み明けからはまったく学校へ行かなくなった中学生の息子さんがおられます。
「他の子と同じであってほしい・・そういう気持ちが最初はとても強くてなんとか行かせようとしました。でも息子は息子なりにもう学校へ行かなくなった時点で精いっぱいだったんですよね。」
「他の子と同じって安心でしょうか?」
「はい、そうだと思います。あとは後々の見通しが立つってこともあったと思います。親の安心なんてほんとにあっという間に揺らいでしまうんですよね。ですから、夏休みとかほかの子が学校へ行かない時期は、逆にうちの子も他の子と同じだって、ちょっとだけ気持ちが軽くなったりして。何にも解決していないのに。。おかしいですよね。」
「お気持ちはわかりますよ。ほかの人と同じって言う安心感。」
無理に行かせようとしたことで親子関係が悪化し、息子さんが引きこもり、だんまりになってしまい、うちへご相談に来て1年半。
今息子さんは通信制の高校に進学し、図書館通いをしながら進路に向けて勉強を進めていらっしゃいます。
もともと勉強は好きだったからこそ、不登校になったことが信じられなかったというA子さん。
夏休みが来るたびにほろ苦い気持ちを思い出すんだそうです。
それは今も変わらないんだと。。ほかの子と同じであることにこだわり続ける自分がいるということを認めておられますし受け入れておられます。
自分の大事にしたいものはなくさなくていいんですよと言われて初めて少しは手放してもいいかなと思えたと言ってくださっていたことがありました。
不登校のお子さんを抱えた親御さんにとって、少しだけ気持ちが軽くなる、ちょっとホッとできるのが夏休みなのかもしれません。
毎年繰り広げられる夏の親子戦争
夏休みが始まり、すでにイライラマックスという方もおられるのではないでしょうか?
イライラしているということは子どもの行動を不適切として注目しているということです。
理想の子どもがご自分の中にいて、そうでない現実とのギャップに劣等感が生じています。
その劣等感にイライラというマイナスの感情がくっついています。
さてそれではそのイライラとどう付き合えばいいのか、について書いていきます。
ご自分の子どものころを思い出してください。
「どうしてあなたはちゃんと宿題をしないの?」
「どうして夏休みだからってダラダラしているの?」
「どうして夏休みだからっていつまでも起きないの?」
親にそういわれたことはありませんか?
変換するとあなたにそういった親はこんな思考をしています。
「夏休みもちゃんと宿題はするべきだ。それなのにあなたは。。」
「夏休みもちゃんと生活するべきだ。それなのにあなたは。。」
「夏休みもちゃんと朝はいつも通りに起きるべきだ。。それなのにあなたは。。」
「ダメな人ですね。」と続きます。
きっと言われたあなたはとても嫌な気持ちになったと思います。なぜならあなたという人格を含めて否定する表現だからです。
でも親の言いたいこともわかるあなたは、「言われなくてもわかってるよ。」と思ったことでしょう。
本来は理想の子ども「子どもにこうあってほしい」と現実の子ども「今の子ども」とのギャップというのは誰の中に生じているのですか?
そうです、親の中に生じているのです。親の劣等感であり、親の課題です。
それをあなたを変えることでその劣等感を解消しようとしています。
「理想の子どもになれ」というわけです。
それを今あなたはご自分のお子さんにしようとしてイライラしている。
言いたい気持ちはすごくよくわかります。
ですからせめて言い方を考えましょう。自分が親にされて親も子も嫌な気持ちになった表現ではない言い方に変えましょう。
さてそれではあなたは、なんて言ってもらったら素直に言うことを聞けたかなと考えてみましょう。
「夏休みになって少しはのんびりしたいんだね。でもお母さんもそうだったけど、ためると勉強は後で大変になるから、少しずつやったらどうかな?」
「夏休みだから時間に余裕があってのんびりできていいね。せっかくだから何か余裕のある時にできることあるといいね。」
「夏休みでゆっくり寝てたいんだね。でも毎日そうしてると学校へ行くときつらくなるかもしれないね。」
「あとは自分で考えてごらんなさいね。」がプラスだといいかもしれませんし、ほかにもご自分で考えて見られると様々な言い方が考えられると思います。
いずれにしても「イライラ」は自分の問題です。どう解消するかは自分で考えて対処していくことが望ましいのです。
イライラすることであなたは何を得ようとしていますか?
ご自分のイライラの目的を考えることも大事です。
様々なアプローチがありますので、アドラーの考えをぜひ活かして、夏休みのイライラを上手に解消していってください。
ちなみに高橋は・・自分の世界にこもるという方法を採るかなと思います。
自分のことに集中すると言えばいいでしょうか。
そういうことでもだいぶイライラはしなくて済みます。見てしまう・・頻度を減らすのです。
お知恵の欲しい方はどうぞご相談くださいね。
あなたを見ると冷や汗が出て身体が震えて嫌悪感で涙が出る・・からの回復
子どもが全く親との接触を断ってしまう。ご相談の中にはそういうケースがあります。
口を聞かないのはもちろん、顔を合わせようとしない。
特にお子さんが女の子の場合で思春期に入っていると親との接触そのものがもう生理的にダメという状況に陥っている場合もあります。
親がどうしようもなくなってご相談に来られる。
こうなるとかなりの時間と親のかなりの覚悟がいります。
それをお伝えすると同時に決してあきらめないこともお伝えします。
どんなに時間がかかろうと親が子どものことを昭ん目なければ何とかなるのです。
アドラー心理学の技術というよりも土台部分をいかに実践できるかがカギになります。
子どもを根拠を求めず信頼し続け尊敬し続けること。
子どもとの連絡はLINEのみで返信なく、子どもが親を見ると「嫌悪感で涙が出る」といったケースでも、最後には子どもが自分の進路を決めて大学受験へ歩き出すケースもあるのです。
今がどんなにひどい状況であろうとも決してあきらめず、勇気づけし続けること。
それ以外に親ができることはないのです。あきらめずに自分と子どもを信じて継続した取り組みをしていただくことで活路は開けます。
子どもに問題が起きるとすべて自分が悪いんだと思ってしまう
うちの子が不登校になったのは自分のせいなんです。
私が悪かったんです。育て方を間違ったから、、、。
そういってご自分を責めてしまわれていませんか?
A子さんは、お子さんの不登校についてご相談にいらして自分がどんなにひどい親だったかと涙を流してお話しされました。
取り返しがつかないことをしてしまった、、私はあの子にどうやって謝ったらいいのか、どうこれからしていけばいいのか、毎日泣いて泣いていました、と。
ご自分を責める気持ちはわかります。もしかしたら自分のせいではないかと。
ところがこういう親御さんの状況は逆にお子さんをさらに傷つける結果になってしまいます。
学校に行かないことで自分は親を悲しませてしまっていると。
不登校になったことでお子さん自身が十分傷ついているのにさらにお子さんを傷つける結果になってしまいます。
どうしてこういうことが起きるかというと、他者の課題を自分のせいにしてしまうからです。考え方の癖です。
身近な誰かが機嫌が悪いと「もしかしたら自分のせい?」と考えてしまう傾向のある方に多いです。
機嫌が悪いのは相手の課題、学校に行かないのはお子さんの課題であり最終的にはお子さんの自己決定です。
相手の課題への取り組みについて自分に責任があると考える必要はありません。
課題分けについてはSMILEで詳しく学びます。次回は7月の開催です。他者のことで自分を責める傾向のある方にはぜひ受けていただきたい講座です。
ご案内はこちらから
気持ちを言葉で伝えあい認め合う関係になっていますか?
明日は学校へ行くよ、B男君のその言葉を信じて期待してしまうA子さん。
でもその日の朝になると起きてこない、起きられない。何か病気でもと思い病院を受診したところ「起立性調節障害」という診断。
学校へ行きたくてもトイレに駆け込んでばかりいる長女。親のC子さんが病院へ連れていったら「過敏性腸症候群」という診断。
診断名がついたとき、A子さんはこう思いました・
「起立性調節障害」って病気を持っているんだから仕方がない。
C子さんは「過敏性腸症候群」ってこれじゃ学校になんか行けないじゃないの。とそう思いました。
不登校のご相談をお受けしていると多かれ少なかれお子さんの体の症状についてのお話が出てくることがあります。
アドラー心理学的にはどうなんでしょう?
心と体はつながっています。これをアドラー心理学では全体論と言います。
学校へ行きたい、と本人も思っている。だけれども体の症状が出る。結果として行けない、行けない。
一見矛盾・葛藤に見える事態も、アドラー心理学では見立てる方法ははっきりしています。
行動が答えであるという判断です。
何を言っているかではなくどう行動しているか、どう行動しようとしているかが結論です。
ですから「行動への言い訳」として「体の症状」を使っているということになります。
これは本人が「学校へ行く」という本人の課題に取り組めない、その準備が整っていない、自信がない、などを言葉にできないため体の症状という形を変えて訴えているとも言えます。
それではどうしたらいいのでしょうか?
身体の症状を使わなくて済むようにすればいいのです。
それは言えない、言いにくいと感じていることも言える親子関係になればいいのです。
言えなかったことが言える関係になれば、体の症状を使う必要がなくなります。
身体の症状は無意識的に本人が自分を守ろうとして使っている方法です。
ですから「この子は言いたいことを我慢してる」とか「この子が本当の気持ちを言葉に出せる関係になろう」と考えていただければいいのです。
今は症状によってはとても効くお薬がありますが、症状をおさえることだけで問題が解決するわけではないのです。それは表面的な解決にすぎません。
もしもそれで済ませてしまえば、今度はまた別の症状を使うことになる可能性があります。
お子さんの気持ちを汲み取り、できれば話を聞ける関係に速やかになることが大事なのです。
身体の症状は本人ももちろんですが、見守る親御さんもつらいですよね。
こういう方法を使わなくて済む、言葉で率直に本音を伝えあえる関係、アドラー育児で実現していただきたいものだと思っています。
7月から開催
ー愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILE
個性として捉えるか例外で許せないものとして捉えるか
学校というところはすでに一定のルールに基づいて運営されているところです。
そこには「皆が一緒に」とか「皆が同じに」が尊重されます。そうでないと授業も進みませんしカリキュラムをこなせません。
行事も決められたとおりに開催できないのです。決められたひな型と秩序で成り立っているのが学校です。
皆が同じ価値に基づいて生活の規範としている戦前であれば問題は今ほど大きくならなかったかもしれませんが、戦後の民主主義の自由な気風が浸透するにつれて、その決められた枠に収まらない子どもが増えてくることは容易に想像できることです。
思想や選択の自由も認められるようになり、人はみな等しくそれらについても権利を持っていることが明記され少しずつではありますが、その思想を謳歌する世代に移行が進んでおり、すでに大半は理解されているのではないかと思います。
それは大人のみならず子どももそうです。大人たちが自由と権利を謳歌し、それを実現するとするなら、それを見ている子どもたちも当然自分たちにもその自由と権利は保証されていることを理解するのは当然と言えば当然でしょう。
ところがそれを大人と同様に子どもたちが行使しようとするとひな型からはみ出してしまうことがあります。
一定の枠にはめようとする組織、そして学校、大人たち。
その中にあって行使したいができない事態が子どもたちに起こっているのです。
これからの日本の様々な組織、学校の秩序とは何か、何を大事にするのかを考え直す時期に来ているのかもしれません。
子どもたちももがいています。学校の秩序に従うべきではないかという自分と、そうしたくない自分、従いたくない自分との葛藤で苦しんでいるのです。
適応させようとしても適応できない。
そうなった時の一つの形が発達障害と言われる状態であったり、不登校へつながってしまうこともあるでしょう。
民主主義という思想ばかりが先行し、組織の運営、枠組みは旧態前のまま。
今の様々な子供たちを取り巻く問題はそのひずみから生まれているのではないかと考えています。
子育てもそうです。親から子へ、そして孫へ、昔のやり方がそのまま継承されています。
ひずみから生まれる軋轢に一番直面しているのは子どもたちではないでしょうか。
親にできることは家庭を居場所にすること
お子さんが学校へ行かなくなり、ほぼ1年が過ぎたころ、あれこれ手を尽くしたけれどもなんともならずうちへご相談にいらしたA子さん。
「お友達に協力してもらったり、学校の先生にも一生懸命やっていただきましたし、スクールカウンセラーの方にもたくさんご相談に乗っていただきました。でもやっぱり子どもは学校へ行こうとしません。
その間毎日今日は行くか明日は行くかと期待と失望の繰り返しの日々を送ってきました。でも明日は行くと言ってもその日の朝になると起きてこないんです。
無理強いをしてもダメだということはわかっています。なのに焦って何とかしようとする自分がいて、自分の気持ちの持って行き場がなくなりました。
行かなくてもいい、そう思えれば楽なのに、そう思えず子どもに期待してしまう自分がいて苦しくてたまりません。」
「そうですよね。親としてはほかのお子さんと同様に進んでもらいたい、そう思うのは当然だと思います。なぜうちの子が他の子と違うのか、もしかしてご自分を責めていらっしゃるのではありませんか?」
「親として失格ではないか。。という気持ちになることはあります。自分だけが親の世界からはじき出された気持ちです。」
「親の世界からはじき出された気持ちですか?」
「はい、ほかの親御さんのご家庭はちゃんと子育てをしていて、お子さんはみな普通に学校へ行っています。その中からはじかれた気持ちがします。」
「はじかれるという感覚はどういう感じがしますか?」
「自分の居場所がない感じです。自分には価値がない、親としてすべきことができていない、そんな感じです。」
「もしも親というグループがそこにあるとすれば自分の居場所がそこにない感じですかね?」
「はい、いる資格がない、というか。。だから親の集まりにも行けないでいます。」
「それねえ、お子さんに当てはめて考えてみると、同じ状況かなと思うんです。」
「同じ状況ですか?」
「親の集まりに行けないと感じているあなたと、学校へ行けないでいるお子さん。そう考えてみるとお子さんの気持ちが少しはわかるかもしれませんね。」
「学校に居場所がない、自分には価値がない、学生としてすべきことができていない、と。。子どももそう感じているってことですか。」
「そうかもしれません。あくまで推測ですけどね。居場所がないって感覚って自分の存在価値にかかわる結構大事な問題なんです。」
「そうなんですね。。初めて実感しました。」
「そうすると居場所がある、自分には価値があると思ってもらえればいい、ってことになるかな。。。」
「どうすればいいんでしょう。」
「やれることはたくさんあるんです。まず今のご家庭をお子さんに自分の居場所だと思ってもらうことが先決です。今のご家庭がお子さんにとって居場所だと感じるところになっているかどうか。。についてはどうですか。。安心しておうちでは過ごせているんでしょうか。何でも話せて仲よくやれていますか?」
「つい学校についいて聞いてしまったりしているので決して心から安心というわけではなかったかもしれません。。」
「学校に居場所がないと感じて学校へ行かなくなった。家庭でも居場所がない状態というお子さんが増えていてね。いわば心のホームレスな状態というか。。これはとてもつらいことでね。実は私は仮面登校の生徒だったので。学校にも家庭にも居場所がないと感じて、どこにも行くところがなくて仕方なく学校に行くしかなかったという状況が何年か続いたことがあります。お子さんに居場所を作ってあげたいと私は思うんですけど、どうでしょう?ご家庭の居場所つくりからまず一緒にやってみませんか?」
「居場所つくりが今のあの子には必要なんですね。。」
「そう、自分にはちゃんと居場所があって価値があるんだと、感じてもらいたいと私は思っています。」
心のホームレス。今回のケースに限らず誰でも陥る可能性はあるのです。大人でもそうです。会社で社会で居場所がない。家庭内ですら居場所と思えない。
居場所があるという感覚を持てていることはそれほど私たちにとっては大事なことでもあります。
今ご自分にはいくつ居場所がありますか?
誰もが居場所を持てるそういう環境を作っていくことも私たち大人ができることの一つではないかとそう感じているこの頃です。
子育てに迷うことは多い
子どもにどうしても場当たり的に対応してしまう。
感情的になり、つい声を荒げてしまって後で後悔する。
結果が良くないとわかっていてもつい同じことをしてしまう。そういう悪循環に陥ってしまうことはあるものです。
その際に必要なことは子育てのゴールが自分の中で明確になっているかどうかです。
アドラーの子育ての場合には目標が明確で「自立」ということを目指します。
自分がした対応はこのゴール「自立」へ子どもに向かってもらうのに役に立つのか立たないのか?という検証です。
「声を荒げた」
声を荒げると子どもは自立へ向かうのか?ですね。
「~するようにと指示を出した」
指示をすると子どもは自立へ向かうのか?です。
自立とは「子どもが自分で考え、自分で決め、自分で行動し、自分で結末を引き受け、うまくない場合には最初に戻ってやり直す」ことの繰り返しから生まれます。
声を荒げれば、いけない、ダメだということはわかりますが、それではどうすればいいのかがわかりません。
指示を出せば自分で考えることをしなくなります。
自立に役に立つとは言えないのです。
子どもは大人が考える以上に能力を持っています。子どもの力を信じて子どもに任せ、失敗を通して自分で考えてもらい、失敗しても取り組んだことに注目して勇気づけしていく。
失敗させないようにという親心は自立とは逆の方向に子どもを行かせてしまいます。
あなたという親の存在が身近にあり、失敗しても安全な基地がお子さんにあるうちに多くの失敗体験をお子さんにしてもらい、自分で考え自分で行動する子どもさんになってもらいましょう。
今までの子育てから脱却しない限り、子育ての悩みは尽きません。親がいつまでも子どもの人生に寄り添えるわけではないのです。
子育てで悩んでいる方の思いは同じ
子育ての本、アドラーの本、たくさんの本を読んで何とか子どもへの対応をしてきてみたけど、よくなるどころか悪くなるばかり。
今のやり方が違うことはわかる。でもどうしたらいいのかがわからない。
これは今子育てで悩んでいる人たちの共通の思いではないでしょうか?
アドラーの本の通りにしてもうまくいかないのはなぜなのか?
それは子どもも親もそして家族もみな一人一人違うからです。マニュアル通りに子どもも親も行くはずがないのです。
マニュアルはある特定の場面を切り取っただけの、ワンケースにすぎません。
別の人間であるあなたがそれをやってみたところでうまくいくわけがないのです。
アドラー育児の基本技術やボディを学んでそれを自分や自分の子どもさん、そして家族に合わせて応用していかなければなりません。
そうして初めてあなたの問題は解決へ向かうのです。
本を読んでほかの人のケースを自分に当てはめてやってもうまくいかない理由がここにあります。
自分のケースにどう当てはめればいいのかについては講座中に随時お話していきます。
あなたの問題、あなたのお子さん、それを踏まえてアドラーの子育ては運用していくことが大事です。
最優先は子ども・・・わかっているけど
疲れ切って悲しい顔をしてしかもはじめていらっしゃるときには緊張をして私のところへご相談に来る方がほとんどです。
お子さんの悩みは誰にでも起こってあることなのですが、まずその問題を何とかしようとしがちですけれど、その前にご自分が深く傷ついていることに気が付いて欲しい、今回はそういうお話です。
A子さんは、お子さんの不登校や引きこもり、暴言などで悩んでご相談にいらっしゃいました。
疲れ切ったお顔をしてもうどうしていいのかわからない、打つ手がない、藁にもすがる気持ちで来ましたとそうおっしゃいました。
なんとかしようとするほど事態は悪化していく、でも何かしないではいられないんだと。
ダメだと思いながらつい声を荒げて子どもとけんかになってしまう。その繰り返しで疲れてしまっていると、そうおっしゃいました。
どこへ相談しても「様子を見ましょう。」と最後には言われる。様子を見るって?このままでいいの?親として何もしなくていいの?と焦りばかりが募っていく。
苦しさを語るその姿は親であるゆえに深く傷ついている一人の人間を見せられた思いがしました。
「お疲れになりましたでしょう。でもよくいらしてくださいましたね。」
労りの言葉など想像だにしなかったA子さんの目から涙がこぼれ落ちました。
「怒ると自分も疲れますよね。よくわかります。でも何とかしたくて怒るんですものね。」
「怒ってもいいんですか?怒ってばかりの私でもいいんでしょうか?」
「ええ、それしか方法がなければだれでもそうしてしまうと思います。ほかの方法をお教えしますのでそれに徐々に変えていけばいいので、まずは自分は自分なりに一生懸命やってきてしかもそのことで深く傷ついているんだということを自分に認めてあげたいですね。」
「うれしいです。そういっていただけると。母親のお前が悪いんだと両親や主人から責められるばっかりで自分はダメな親かもしれないけど、自分一人が悪いのかと、そんなに私はダメなのかと、そう思ってきました。」
「そんなことはありませんよ。悪くしようと思ってする人はおりません。本来ならば家族みなで協力して取り組むべきことを一人だけが悪者になって余計お辛かったですね。」
「ええ、誰も誰も私を批判はしても助けてくれようとはしませんでした。理解してくれようともしませんでした。私は一人でした。独りぼっちだったんです。」
「もう大丈夫ですよ。これからは一緒に歩んでいきましょう。あなたには親としてお子さんにできることがたくさんあるんです。さて何からやりましょうか。」
会場を後にするA子さんの希望が見えて少しだけでも明るく軽くなったお顔。それはいつも相談会で見る方たちのお顔でもあります。
今年もそういうお顔を一人でも多くの方に得てほしいとそう思っております。
単位が足りない、試験を受けない、卒業できない、このままでは進路が決まらない
「もう進路を決めなければならない時期なのに、学校へは行かない、勉強はしない、当然試験も受けない、うちの子いったいどうする気なの?」
そんな焦りと不安が募るばかりのこの時期です。
アドラー東北へのご相談も不登校のご相談プラス進路決定の時期が迫ってくることへの親御さんの不安と焦りの相談が多くなります。
「焦ってもどうにもならないことはわかっているんです。でもこのまま試験も受けないのでは卒業もできないし、単位も時間数も足りなくなるんです。」
「高校への進学をどうするのか、話し合いたくても子どもがその話をすると怒ってしまって、部屋に引きこもってしまい、どうしたらいいのかわからなくて困り果ててしまいます。」
冬休み前に三者面談もあるでしょうから、親としてどう対応したらいいのか、という悩みもあるでしょう。「学校の先生になんて説明したらいいのか?」
そんな時は「お子さんに決めてもらってください。」とお伝えします。
「試験をどうするのか?」「進路をどうするのか?」
「三者面談はどうするのか?」ですね。
そしてお子さんが決めたら、それを尊重して対応していきましょう。
「試験を受ける」と言えばそれを信じて待ちましょう。たとえ勉強しなくても、「受ける」という本人の決定を信じるのです。
「三者面談どうするの?」
もしかしたら「僕は行かない。」というかもしれません。
それでしたらあとは親御さんが自分はどうするのかだけ決めればいいのです。
学校の先生にも「本人が行かないというので私が行きます。」とか「本人が行かないので私も今回は見合わせます。」とか、親も子も自分がどうするかは自分が決めればいいのです。
面談がどうだったかは、親の主観抜きにそのまま伝えます。
「あとはあなたが決めることだから。」と言って「何か相談があれば聞きますよ。」という対応をしていきましょう。
お子さんとの関係を何とかしようとすると余計こじれます。ここは自分の焦りと不安をいったん置いて、お子さんの気持ちを聴く、本人の意志を尊重しそれを優先していくことが肝要です。
学校に行かないからってだらけた生活してていいの?
お子さんの不登校相談でかなりの確率でお話として出てくるのが「昼夜逆転生活」についてのご相談です。
夜遅くまで起きていて朝起きられないの繰り返しでだんだん昼と夜の生活が逆転してしまうのです。
不登校になった時点でのお子さんの精神的・身体的疲労がどの程度あるのかにもよりますが、まずはそれらの疲労を回復させることが最優先です。
学校という縛りでの疲労ですから、その縛りが亡くなった解放感をお子さんは味わいたいのでしょうし、親と学校の話をしたくない、しなくて済むというのがメリットだと思われます。
親御さんは無理に学校へ行っていたときと同じように生活させようとしますから、親と顔を合わせなくて済む夜に起きて好きなことをするという生活になってしまうこともあります。
昼間は寝ていれば親と関わる必要もありませんので、昼夜逆転はお子さんにとってメリットが大きいのです。
親子関係がそれほど悪くなく、学校の話題をお子さんが嫌がるうちは触れないという状況であれば、昼夜逆転生活を送るメリットはお子さんにありませんので、普通に起きて普通に寝る、家族と同じように生活しても構わないという状況になるかもしれません。
いずれにしてもどのケースにも当てはまるお子さんの状況というのはなくて、それぞれがそれぞれのケースで考えていかなければならないと思います。
ですのでご相談の時にはできるだけ詳しい状況をお知らせいただけると助かるのです。
親ごさんがどれだけ普段からお子さんのことを見ておられるか、観察しておられるか、情報の量と質が相談のカギになります。
できればメモを取ってご相談にいらしていただけるとヒントがたくさん見つかりますので、お子さんの状況は書いておいていただけると嬉しいです。
そうしておくことでご相談後、講座受講後の変化もわかるようになり、改善している様子も目で見てわかります。
勉強したくないから、先生が嫌いだから、そんなのただの甘えじゃない?
義務教育という言葉があるのですから、子どもにとって教育を受けるのは権利と同時に義務でもあります。
ですから学校に行かない、不登校は「甘えだ」という発想が出てくるのだと思います。
すべきことをしないのだからダメなんじゃないかとかただの甘えじゃないか、という考え方ですよね。
でも大人だって勤労の義務があります。職場が嫌だったら転職の自由があります。
子どもには転校の自由はありません。親の同意や協力がないとできないのです。
嫌だから変わるということが子どもにだけ保証されていません。
嫌なものを我慢して行き続けてきた結果として、我慢が限界に達して不登校になっているのです。それをあえてどうしても行けと言えるかどうかです。
学校に行かないという選択は子どもにとっては精いっぱいの抵抗であり、自己主張であり、結果なのだと思います。
もし自分がどうしても今の職場が嫌で行きたくなかったらと考えてみてください。我慢して行き続けた結果今は自殺や鬱になる、体調を崩す人がたくさんおられます。そうなって初めて「行かない」「変わる」という選択を取られる方が多いようです。
それは子どもも同じではないでしょうか。
大人に選択の自由があるのと同様に「どういう教育を受けるか」という選択の自由がそろそろ認められていいのではないかとそう感じています。
子どもに選ぶ自由と選択肢を与えてほしいものです。
現時点では子どもの意志を受け止めて味方になってやれるのは親しかいないということも改めて考えていただければと思います。
焦り・怒り・不安が募ればついお子さんに言ってしまう・当たってしまう
不登校のお子さんを抱えていると、焦りや不安、落胆、怒りなど様々な感情が親御さんの心の中に渦巻いています。
それを子どもにぶつけてはだめだと思いながらも、つい子どもに言ってしまったり、あるいはご自分を責めたりとしてしまうことがあるのではないでしょうか。
「なぜうちの子だけがほかの子と違うのか。」
「なぜうちの子だけがほかの子と同じように学校へ行くという当たり前のことができないのか。」といった気持ちはどなたでも感じたことがおありかと思います。
なんとかしようとすればするほどうまくいかない現実。子どもとの関係が悪化していく日々。
親の気持ちなど無頓着のように朝になっても起きてこない子供、ゲームばかりして勉強のことなど気にも留めない子供。
「このままでいいのか。。大丈夫なのか。」
そういう気持ちだけが募ってしまい、その気持ちを自分一人で抱え込んだままでおられるのではありませんか?
「なんとかしなきゃ」と思っても「なんともならない」現実に不安ばかりが募っていく。
親ごさんの気持ちが安定したほうがいいと言われることも多いですが、実際にそれはなかなか難しいのではないでしょうか。
冷静でなんかいられない、というのが正直なきもちではありませんか?
確かに親御さんの気持ちが安定していればお子さんも安定していくだろうということはわかりますが、どうしたら自分の気持ちが安定するのか、楽になって肩の力が抜けるのか、がわからなければできません。
安心して愚痴をこぼせるところ、今の状態をありのまま話せるところが必要ではないでしょうか。
そうして気持ちを吐露することで楽になることが多いものです。
アドラー東北の子育て相談会はそういう場としてご提供しております。いっぱいいっぱいでもう自分一人で抱え込むのは無理とお感じになられている方にぜひご利用いただければ嬉しいです。
同じようにお子さんの不登校といった問題で悩んでいる方がいらして、あなたの気持ちを受け止めてくれます。
話して楽になりませんか?
無理に何とかしようとすると傷口が広がる・親子の会話があるうちに相談してほしい
お子さんに問題が起きると一刻も早くなんとかせねばと思うのは親心です。
学校へ行かなくなった、引きこもってしまった、口を利かなくなってしまったなど、子どもから親への働きかけが亡くなってしまった場合には、特に慎重な対応が求められます。
子どもが話しかけてくるとか、親が話しかけて返事があるとか会話があるのはまだ何とかなりますが、この会話そのものが断絶している場合には、無理にこじ開けようとしないことが大事です。
ここで無理に何とかしようとすると、親子関係がさらに悪化します。
修復に長いことかかってしまうのです。
子どもも傷ついていますが、親もかなり傷つきます。双方が傷つけあう状態になってしまっているのです。
固く閉ざした心が解けていくのを待つしかありません。
いつでも君を受け入れる準備はしてあるという気持ちでいられればいいのですが、どうしても先を急ごうとしてしまいます。
理解はできるけれども、それは自分のためです。子どものためではありません。
自分が安心したいから子どもの気持ちを後ろに追いやっていいということにはならないのです。
逆に悪化してしまうケースです。
丁寧な聞き取りをして対応をご一緒に考えていきますが、お子さんとの会話がないとお子さんの気持ちがわかりませんので、反応を見ながら少しずつ状態を把握できる範囲でやっていくしかなくなります。
不登校や引きこもりになってしまったり、お子さんの問題が起きたら親子の会話があるうちにご相談いただけるのが理想です。
情報が得られれば対応を考えることができるのですから。
親はなぜ子どもにイライラするのか・・それにはちゃんと理由があります。
子どもに対して「イライラしてしまう」場面は子育て中の方にはほぼ毎日起こっていることではないでしょうか?
実はこのイライラで自分を攻めてしまっている方は多いのです。
そしてそのイライラの原因も様々です。今回はイライラする原因で一番多い「自分の時間が取れない」ということについて書いてみます。
実際に子育てしている方の中にはお仕事を持っておられる方も多いです。
仕事・家事・子育てとフルに動いておられるわけですから当然時間はあっという間に過ぎていきます。
毎日が目の回る忙しさで自分のことは後回し、自分の時間なんか持てそうもないと皆さんが感じておられるでしょう。
私たちはすでに核家族化の中で一人の部屋を与えられて育ってきておりますから、一人時間持ちながら育ってきている方がほとんどではないでしょうか。一人でほっとする時間や空間がなくてはならないもの、必要なものになっていることが考えられます。
ですから自分の時間が持てないということがどれだけストレスになるかは容易に想像できます。
まずはイライラする自分を認めていきましょう。頑張っているけどこの忙しさだもの、イライラしても仕方がないと自分を肯定したいものです。
そのうえで少しでもイライラを少なくするためにできることを考えていきましょう。ご主人のお力をお借りしたり、行政のサービスを利用する、親の手を借りるなどのことができるのであれば、一時助けてもらうことも必要です。
頑張っている自分をイライラするからと言って責めないようにしたいものですね。
宮城は全国2位。いじめや学校という枠組みへの不適応・家庭環境の影響か?
長期休みの子供が急増
文科省の問題行動。不登校調査で21年度の不登校数は全国で24万5千人弱となり、過去最多となったという報告が出ました。
文科省によるとコロナ過が原因での不登校の急増と捉えているようですが、もともと学校に行くことについて本人の中で違和感なり嫌悪感なり必要性を感じていなかった子(不登校予備軍)が、たまたまコロナをきっかけに行かなくなったということではないかと私自身は推察しております。
ほかにいじめによる長期欠席や、今回の調査に現れないまだら登校のお子さんを含めると数はさらに増えるのではないかと推察されます。
大事なのは学校に行かなくなった・不登校のバックグランドは一つとは限らないということではないでしょうか?
お子さん一人一人についてのきめの細かいケアが求められるし、心のケアももちろん必要になるかと思います。
子どもの教育を受ける権利をどう守っていくのか?学習の機会をどう設けていくのかということが国として喫緊の課題として対応を求められていると思います。
お子さんの不登校や発達障害について親としてどう向き合い克服してきたのか当事者の声が聴けます。
アドラー東北では8月末から動画を配信させていただき、一か月半がたちました。
動画は不登校や発達障害のお子さんとの関係で悩んでアドラー東北へいらした方たちが、実際にアドラー心理学の学びを通してどのような過程を経て克服への道筋をたどったのかについてご本人の口から語られているものが多いです。
今現在お子さんの不登校や発達障害で悩んでおられる方には大変役に立つ動画になっております。
不登校レポートをお読みの方には自動的に配信させていただいておりますので、まずは不登校10日間レポートをご購読ください。
口をきいてくれない、メールに返信さえくれない、顔を合わせようとしない
「子どもが学校へ行かなくなって、とうとう口を利かなくなってしまいました。」
「部屋に閉じこもって出てきません。声をかけてもメールやLINEで連絡しても返信はありません。どうしたらいいでしょう。」
すっかりお子さんが殻に閉じこもってしまい、何をどうすればいいのか困ってご相談に来るケースは結構あります。
学校へ行かなくなったことで親と学校に行くいかないで話しているうちに口を利かなくなるのです。
「話してもわかってもらえない」「どうせ行かせようとしているんだ」「自分のことより学校へ行くことのほうが大事なんだ」「学校の話はしたくない」
そんなところがお子さんの本音ではないでしょうか。
こうなると親御さんはお手上げ状態になります。話をすることすらできなければ学校へ行くいかないどころの話ではなくなるからです。
一刻も早く学校へ行かせたいと子どもを思う親心が逆効果になってしまっています。
嫌がることをし続ければお子さんは逃げるしかなくなるのです。そして親に対して心のシャッターを下ろしてしまいます。
こうなった場合には、親御さんのほうは学校のことは話さなくていいからとにかく口をきいてもらいたい、が優先順位となります。
口をきけばまた学校の話をしなければならない、そう思っているうちはお子さんはシャッターを開けようとはしません。
口をきいても学校の話は出ない、大丈夫と思えば口をきいてくれるようになります。
親御さんのほうが焦る自分の気持ちをいったんおいて、お子さんとじっくり向き合い関係を構築しなおす覚悟を持てた時、そしてできることから勇気づけを始めた時、固く凍ったお子さんの心の氷が解けていくことでしょう。
こじらせることはできれば避けたいのですが、それでも親御さんにしてみれば良かれと思ってのことであり、その結果ですので、ご自分を責めることなくご相談いただければと思います。
「自分なんか親として失格」-無力感にさいなまれる必要はない
意外と多いにも関わらず表面化しにくいのが親子間の暴力です。親が子供に対して、が一般的な認識かもしれませんが、子どもが親に、というのもうちの場合には結構あります。
相談会でお話をお聞きする場合もありますし、オンラインで個人的にお話をお聞きする場合もあります。
ある方は子どもが不登校になり、学校へ行かないことを巡って親子で争っているうちに子どもが母親に暴力をふるいだした。
殴る蹴る、いったん始まるとその暴力はエスカレートする一方で、その方は黙って耐えるしかなくなった。
話を聞いている会場の参加者は皆言葉を失うほどの壮絶な日常がそこにはありました。
「一人になりたい。」その方が最初に言った一言です。
親としての自信を完全に失ってしまっています。
「あなたが暴力を振るわれている時にご主人はいったい何しているの?」
「お前が悪いんだから当然だと。今単身赴任中でいないんです。だから責任は全部お前にあると言います。」
ひどいな。。。。まるで子どもの責任は母親一人にあるような無責任な態度に唖然としました。
「わたしが悪いんだから仕方がないんです。でも今家の中にいるのが辛くて辛くて、一人になりたくて、でも誰かに受け止めてほしくてわかってほしくてここに来ました。」
「うん、よく来てくれたね。来てくれてありがとう。」
「辛いことを思い返させて悪いんだけど、お子さんが暴力をふるう時って、何のきっかけがあるか自分で気が付いていることがあれば話してもらえるかしら?」
「自分が子どもに何かを言ったときです。どうするの?とか学校のことを話そうとしたりしたときです。」
「そう、やっぱりそうなんだね。あのね、お子さんに学校のことに関しては働きかけるのをしばらくやめてもらえるかな?今の状態で働きかけはかえって逆効果だから。」
「何とかしたくて、って思ってるんですけど、それをやめた方がいいんですか?」
「うん、しばらく我慢してもらえるかな。ご飯だよとか必要があることは言ってもいいけど、学校のことに関しては絶対に言わないでもらえる?」
「わかりました。やってみます。」
「それとあなたはすごく疲れてるよね。自分をなんとかしないと。」
「何もする気力がわかなくて、何も考える気持ちになれなくて。。」
「自分の気持ちがいくらか落ち着くとか楽になるなってことが何かない?」
「買い物がてら散歩をした時に。。一人になれたときですかね。近くに公園があって、ベンチに座ってボーっとしているんです。」
「そう、それなら外へ出て一人になる時間を持つことを心がけてね。」
「わかりました。」
「もしも今の問題が解決したとしたら何がしたい?」
「一人旅に行きたい。」
「そう、そういう先のこと、自分がしたいことを考えるのもいいんだよね。」
そんなやり取りを最初にして、それから数か月彼女は相談会に通って来続けました。そのたびに今今の必要なアドバイスをしていきました。
学校のことに関してどうしても話さなければならない時、切羽詰まったとき、どう対応したらいいのかわからない時には電話やメールのやり取りで乗り切りました。
「学校の先生から進路のことで電話がありました。どう本人に伝えたらいいですか?」
「先生から~の内容の電話がありましたよ。って事実だけ伝えてね。それ以外は言わないようにしてね。」
そんなことを続けて半年後、ある日こんなメールが・・
「先生と皆さんのおかげで、子どもが学校について自分から話してくれるようになり、これから先の進路を考え始めました。暴力を振るわれることもなくなりました。本当にありがとうございました。また機会があればお伺いしたいと思っています。」
アドラー心理学の目的論に基づいての対応を徹底したことが功を奏したケースです。
「子どもは何のために暴力をふるうのか?」何かを得ようとして、目的があって、その目的を達成するために手段として「暴力」を使っているという風に考えるのが目的論的思考です。
「なんのためか?」と言えば「学校のことを言わないで欲しい」「これからの進路についてあれこれ言わないで欲しい。黙ってほしい」だなと思いました。言葉にできない思い、わかってもらえない思いを「暴力」という形で実現しようとしていると考えました。
まず暴力をやめてもらわないと、と思いました。そのためには暴力を使わなくても目的「親が学校のことを言わない」を達成させればいいので、「学校のことについて言わない」を徹底してもらいました。
あとは徐々にお子さんとの関係を改善していくしか方法がないと考えました。
相談会への参加だけで解決してしまったケースは結構あるのです。
まだら登校だったのが自分が進路を考え始めたなどの自発的行動が出てきます。
今あなたを悩ませているどんな子どもの行動にもちゃんと目的があって、その目的達成のために「不適切と思われる方法」を採用しているのです。
アドラー子育てだと「言葉で伝えあう」ことを徹底しますので、「暴力」などという不適切な方法を使う必要がなくなっていきます。
お子さんの不適切な行動にお悩みの方にはぜひまず相談会や個別相談をご利用いただければと思います。
どんな些細なことでも一人で抱えて悩まないこと。話せば活路は必ず開けます。
「同じであれば安心、違うと不安」なのは私たち共通の感覚
お子さんが不登校になってしまうと、親御さんは皆さん「どうしてほかの子と同じようにできないのか」と考えてしまわれることが多いように感じております。
学校に行って普通に就職して結婚して子どもをもって、自分が歩んできたように子どもも歩んでいくものだと思っていたのに、学校へ行かない事態に直面して狼狽してしまっておられるのです。
それほどに私たちは自分と同じとか、他者と同じであることに安心感を覚えます。
人と違うことから不安になる。これは誰でも感じることではないかと思いますし、ましてお子さんが不登校になった親御さんの驚きと不安なお気持ちはとても大きいのではないでしょうか。
「みなと同じであることで安心する」というのは日本人特有の価値観です。欧米だと個性を発揮することのほうを尊重するのとは全く違うのです。
同じであることで安心感を得られるのは「予測がたつ」ことも要因としてあります。
実際には人生はそんなに順調ばかりなことばかりではないのですが、おおむね皆と同じであれば安心しているという感じではないでしょうか。
いま日本でも枠にとらわれない、人と違う能力を発揮する若者が増えてきています。また世界がボーダーレスになってよりグローバルな視点を持った人材が求められる社会になっていくことでしょう。
そう考えるとお子さんが今の学校という枠にとらわれることなく自分らしくありたいと願っていたとしたら、それはそれでこれからの社会を担う人材として頼もしいのではないかと感じたりもしています。
既存にNOを言える、枠にはまらない子どもをどうとらえるか、私たち大人の視野の広さが問われますし、親としての不登校のとらえ方も違ってくるかもしれませんね。
具体的な話がどこへ相談しても…えられないジレンマ
学校へ行かなくなってしまったわが子にどう対応したらいいのか、不登校のお子さんを持つ親御さんにとってこの日々のストレスは、かなり大きいのではないでしょうか?
今は学校へ行かなくなったお子さんの受け皿も増えていますし、相談できるところも増えています。
でも「具体的に~してください」ということを示してくれるところはほぼないのではないかと思います。
相談へ行っても「受け止めてあげて」とか「理解してあげて」と言った言葉を言われて、それじゃ実際にはどうすればいいの?と感じておられませんか?
受け止めるってどうするの?理解するにはどうすればいい?が示されないと親御さんも困惑するばかりです。
自分なりに考えて対応しても子どもが黙ってしまったり、引きこもってしまったり、逆に喧嘩になってしまったりということが起こりかねません。
親御さんであるあなたが必要としているのは具体的な対応方法なのではありませんか?
曖昧な表現はもうたくさん、と思っておられるのではないでしょうか。
誰も具体的にどうしたらいいのかを示してくれない。
これ以上どこへ相談しても仕方がない、もしあなたがそう感じておられるのでしたらアドラー東北の相談会へ足を運んでみませんか?
アドラー心理学の育児は明確に「ゴール」が決まっています。それはお子さんの自立です。自立へ向かうための具体的な方法がアドラー東北のご提供するプログラムや講座ですが、相談会ではまず今何をしたらいいのかというあなたにひつような具体的な方法をお伝えして実践していただいています。
何をどうするのかが明確になるので皆さん安心してくださいます。ホッとしたお顔やら笑顔が出ます。
どこへ行ってもダメという方こそ、アドラー東北の相談会をご利用いただきたいと思っています。
登校渋りや不登校の経験がある親御さんには心配の種となる長期休み明け
今年も夏休みが終わりました。終わりが近づくと、一度でもお子さんの不登校をご経験した親御さんはこんな心配にとらわれるようです。
「うちの子、いったんは学校へ行きだしたけど、今度の夏休み明けは学校へ行ってくれるかな。また行かなくなってしまうんじゃないか。そうなったらどうしよう。」
そういうご心配です。
一度お子さんの不登校というつらい経験をされているので、再度登校し始めたとしても、常にこの不安は付きまといます。
再登校しはじめたと言っても、そうそう達観できるはずもなく、お子さんが学校へ行かなくなるという経験は親御さんにとってもとても傷が深いのです。
自分が親としてダメなんじゃないかとそう感じられてしまうようです。
親御さん自身の人間的価値がお子さんの出来不出来で決まるわけではありません。
ご自分をどうしても責めてしまい「自分が悪いんだ。」と落ち込んでしまわれる方が多いです。
アドラー心理学で考えるとお子さんが不登校なのはお子さんの課題であり、親の問題ではないので、本来は親御さんが落ち込む必要はないのですが、子どもの問題は親の問題とイコールである、子どもの問題はすべて親の責任と感じておられる方がほとんどなので、こういうことが起きるのです。
ご自分がどうであろうとお子さんはお子さんの意思で行動しています。不登校は親であるあなたに責任があるわけではありません。
学校で勇気をくじかれて行かないとお子さんが自分で決めているのです。
親ができることは、勇気をお子さんに与える「勇気づけ」をしていくことしかないのです。親に勇気づけられた子どもは、また自分の足で立ち上がり自分で歩き始めることでしょう。
「明日から・・」「来週から・・」「夏休みが終わったら。。」期待が高くなる分失望も大きい
「僕明日から学校へ行くよ。」「来週から行くよ。」「夏休みが終わったら行くよ。」
そんな言葉をお子さんが言うことがあります。それを聞いて飛び上がるほどうれしく、親はとても期待してしまいます。
ところがいざその日になってみれば子どもはやっぱり行かないのです。
期待が大きかった分、親御さんの失望も大きく、繰り返されるたびに「裏切られた」という気持ちが大きく膨らんでいきます。
子どもは親を悲しませたくありません。また学校へ行った方がいいこともちゃんとわかっています。
それでとっさにそういう言葉を言ってしまうことがあります。
それを信じてしまうのは、親として「子供に立ち直って欲しい」という気持ちの表れで信じてしまうのですよね。
でも結果はいつも別の結果を受け取ることになってしまいます。
こういう言葉を出す子どもは追い詰められています。
「言わなければならない」という気持ちでそう言ってしまうのです。そうでないと自分が認めてもらえないと感じています。学校へ行くということで人として認めてもらえる、信頼されると感じています。
アドラーの子育てでは「根拠を求めず信頼する」という態度を親がとることが求められます。
お子さんが正直に自分の気持ちを言える関係であれば、こういう親が失望するような言葉を言わなくて済むのです。
言わせてしまう関係そのものを見直す必要がありますし、失望する必要はありません。まだこの子は言葉とは裏腹に勇気が持てていないだけなのだと捉えることです。
発達障害の症状で学校に適応できず不登校になるケースが多い
「うちの子・・もしかしたら発達障害?」
「じっとしていられないし、集中できないし、読み書きいくらやってもできないし。。」
お子さんの様子を見てそんな風にご心配を感じておられませんか?
「もしそうだったらどうしよう。。学校にいられなくなるんじゃないか、ほかの子と一緒に勉強できなかったら特殊教室に入るの?学校に行きたくなくなるかも。。」
不安や恐れが先行して診断を受けることも怖くてできない状態におられるかもしれませんね。
また診断がすでについているという方もおられるでしょう。
実際に不登校のご相談を受けていると「うちの子、発達障害があるんです。だから授業中もじっとしていられなくて先生には怒られるし、みんなに合わせられなくて。叱られてばかりいるので教室に行くのが嫌になったみたいで、学校へ行かなくなってしまったんだと思います。」というお話は多々あります。
「ほかの子と違う」ということを感じるととても不安になられるでしょう。
学校のみならずこれから社会に出ても適応できないんじゃないかと先を考えるとその不安が膨らむばかりですよね。
ところが、アドラーの子育て法を学んでいただくと、親御さんはまったくそのお子さんの症状が気にならなくなってしまいます。
あれだけ気にしていた「落ち着きのなさ」とか「集中力のなさ」であるとか、気にしておられたあなたはどこへ行ってしまったの?と私の方が思ってしまうほどです。
話が出てこなくなる。
アドラー心理学をベースに医療に関わっておられる先生方に言わせると
「アドラーの子育てをやってみて、親や教師が気にならなくなるものは心配がない。むしろ個性である。アドラー子育てをやってもどうしても残ってしまう特異な症状だけがいわゆる発達障害と言われる問題となるものである。」
すなわちアドラー子育てで勇気づけをお子さんにしていくと、今まで問題であると感じていたその子の特性は個性のジャンルに親の中で分類されるようになるので気にならなくなる。
そしてその特性を活かす方向で学校へも行き始める。そういう事例は後を絶ちません。
不登校の問題と発達障害の問題がアドラー子育てでセット解決してしまう。早い方だと2週間ぐらいで「いったい何?」と親が苦笑いするぐらいあっさりと学校へ行きだしたりします。
いずれにしてもこういうケースのご相談を受けて見て感じるのは「ほとんどのいわゆる発達障害という症状は気にしなくていい」ということです。
どうしてこういうことが起きるかというと、アドラー心理学では子どもの不適切な行動には注目しません。注目を与えるのは適切な行動のみです。お子さんのいわゆる発達障害の症状と思われる行動が不適切であるなら、その行動には注目を与えないという方法をとるのです。
適切だと思うことにのみ注目して子どもさんに対していきますので、それを続けていると不適切が気にならなくなるという状態が起きます。
またアドラー心理学は使用の心理学と言われ、すでにその人の中にあるものをどう使うかという心理学です。お子さんの発達障害と言われる行動特性もすでにお子さんの中にあるものとするならば、その特性の使い方を変えればそれは長所になると考えます。
こうしてもともとの適切に注目し、不適切も長所として使うようにしていくことが可能なのです。その結果として発達障害の症状そのものが問題にならなくなります。
発達障害と不登校、そのいずれにしてもアドラー子育てはやってみる価値のある方法だと感じています。まずは相談会へいらしてお話をしてみませんか?相談会ではお話をうかがった上ですぐにできる対処法についてお伝えします。やってみて効果が感じられれば講座の受講をご検討いただくようにしています。
あなたの今の不安や恐れを解消するための勇気ある一歩をお待ちしております。
相談会のご案内、お申込みはこちらからどうぞ
人生一度のつまずきで終わったりはしない
「学校に行かなくなってしまってこの子はもう駄目なんじゃないか?」
そんな絶望に陥っておられませんか?
「この子の人生終わりだ。学校も出ていなかったら社会に出ていけない、社会に出ても通用しない。」
そんな風に思っておられませんか?
確かに今まで学校へ行かない、不登校になるなんて考えたこともなかったでしょうから、そのお気持ちはよくわかります。
そんな方に良くお伝えすることがあります。
人生は今何年でしょうか?平均寿命はこのままでいくと100年時代に入ります。
人生100年のうち2年やそこら学校へ行かなくなることがそれほどダメージの大きいことなのかどうか、ということです。
たったの2年でお子さんの人生がすべて決まるとは、言えないと私は思っています。
「学校へ行かない」と本当に人生は終わりなんでしょうか?
私はそうは思いませんし、きっとそう感じているあなたも実はそう思いたくないのではないかと感じています。
諦めきれないからこそ何かを得たくて情報を探しておられるのだと思います。
うちへご相談に来て一定期間来続けた方たちは、皆さんこの今の状態を脱して、お子さんと親御さんご自身と以前の笑顔を取り戻しておいでになります。
まずは一度ご相談にいらしてみてください。あなたに添った対応の方法が必ずあります。それを試してから諦めるかどうか決めてほしい。
やらずに後悔するよりやってみての後悔ならまだ自分が納得できるとそう思っております。
アドラー心理学で考えると「発達障害」はほとんど気にしなくていい
「うちの子・・もしかしたら発達障害?」
「じっとしていられないし、集中できないし、読み書きいくらやってもできないし。。」
お子さんの様子を見てそんな風にご心配を感じておられませんか?
「もしそうだったらどうしよう。。学校にいられなくなるんじゃないか、ほかの子と一緒に勉強できなかったら特殊教室に入るの?学校に行きたくなくなるかも。。」
不安や恐れが先行して診断を受けることも怖くてできない状態におられるかもしれませんね。
また診断がすでについているという方もおられるでしょう。
実際に不登校のご相談を受けていると「うちの子、発達障害があるんです。だから授業中もじっとしていられなくて先生には怒られるし、みんなに合わせられなくて。叱られてばかりいるので教室に行くのが嫌になったみたいで、学校へ行かなくなってしまったんだと思います。」というお話は多々あります。
「ほかの子と違う」ということを感じるととても不安になられるでしょう。
学校のみならずこれから社会に出ても適応できないんじゃないかと先を考えるとその不安が膨らむばかりですよね。
ところが、アドラーの子育て法を学んでいただくと、親御さんはまったくそのお子さんの症状が気にならなくなってしまいます。
あれだけ気にしていた「落ち着きのなさ」とか「集中力のなさ」であるとか、気にしておられたあなたはどこへ行ってしまったの?と私の方が思ってしまうほどです。
話が出てこなくなる。
アドラー心理学をベースに医療に関わっておられる先生方に言わせると
「アドラーの子育てをやってみて、親や教師が気にならなくなるものは心配がない。むしろ個性ある。アドラー子育てをやってもどうしても残ってしまう特異な症状だけがいわゆる発達障害と言われる問題となるものである。」
すなわちアドラー子育てで勇気づけをお子さんにしていくと、今まで問題であると感じていたその子の特性は個性のジャンルに親の中で分類されるようになるので気にならなくなる。
そしてその特性を活かす方向で学校へも行き始める。そういう事例は後を絶ちません。
不登校の問題と発達障害の問題がアドラー子育てでセット解決してしまう。早い方だと2週間ぐらいで「いったい何?」と親が苦笑いするぐらいあっさりと学校へ行きだしたりします。
いずれにしてもこういうケースのご相談を受けて見て感じるのは「ほとんどのいわゆる発達障害という症状は気にしなくていい」ということです。
発達障害と不登校、そのいずれにしてもアドラー子育てはやってみる価値のある方法だと感じています。まずは相談会へいらしてお話をしてみませんか?相談会ではお話をうかがった上ですぐにできる対処法についてお伝えします。やってみて効果が感じられれば講座の受講をご検討いただくようにしています。
あなたの今の不安や恐れを解消するための勇気ある一歩をお待ちしております。
相談会のご案内、お申込みはこちらからどうぞ
結果に気が付いていますか?「押してもダメなら引いてみよう」
「うちの子さっぱり言うこと聞かないんです。何回同じことを言ってもわからないんです。」
「言っても言ってもわかってんのかわかってないのか返事もしませんし、言われたこともやらないんです。」
「とっととやらないとあとで困るよ、って言ってるのにいつもぎりぎりまでやらないんです。」
今のシーズンだと夏休みの宿題などをめぐってこんな親御さんの言葉が聞こえてくるようです。
こういう状態が続くのは親御さんにとっても疲れることですし、うんざりしたり悲しくなったり、おだてたりなだめたり怒ってみたりと、感情をフルに使うのでご本人の疲労は激しいと思います。
言いたくなる気持ちはすごくよくわかります。自分が言わないとこの子はほんとにやらないから、とそう思っておられるのですよね。
さてここで冷静に考えてみましょう。
「何度も言う」という行為であなたは望む結果を得ていますか?
得ていませんよね。そうするとその方法を変える必要があると思います。
「押してもダメなら引いてみる」です。言ってダメなら言わない、言わないとダメかもしれないが、あなたの精神的な労力は減ると思います。どうせ同じ結果ならです。
アドラー子育ては「誰に何も言われなくても自分で進んで自分のことに取り組む子ども」になってもらう方法です。
その一つの方法として「口を出さない」という方法があります。運用については講座でご紹介しています。
案内のページを見てみてくださいね。
みんなほかの子も学校へ行かないことで安心する親心
夏休みが始まると多くのお母さんたちは「大変だ。」という状態になり疲れ切ってしまったりしますが、夏休みは不登校のお子さんを抱えた親御さんにとってホッとする時期のようです。
「なんだかホッとするんですよね。学校へ行かなくていいので。あとほかの子たちも行かないので学校へ行かないのはうちの子だけじゃないから。でも変ですよね。他のママたちは夏休みを嫌がるのに、自分はホッとするんです。」
私たちは他の人と同じ状況にいることで安心を得ています。
普段学校があるときは、ほかの子が学校へ行っていて自分の子どもだけが学校へ行かないので、自分の子だけ違うという感覚を持ちます。
ところが夏休みはほかの子も学校へ行きませんから、学校へ行かないのは自分の子だけではない状態になり、肩の荷が少し降りたような感覚になるのです。
「あんなに大変で疲れて嫌だった夏休みが、ホッとするなんて、自分でも変だと思うんですけどね。」
「わかりますよ。自分の子どもだけ違うことに焦るんですよね。」
「そうなんです。何とかしなくちゃ、早くほかの子と同じように学校へ行かせなきゃ。って。」
同じことで安心している親心。でもちょっと考えて見てください。
ほかの子と違うことってそんなにいけないことなんでしょうか?
アドラー心理学では「持っているものをどう使うか」という視点で考えるのですが、その観点で考えるとその子がほかの子と違う性格や感覚を持っているということになると私は思っています。
不登校という方法はあまりいい選択肢ではないかもしれませんが、同じであることがいいこととも限らないということは考えて見たいものです。
一時ホッとしても、親御さんにとっては新学期が近づくと居ても立っても居られない気持ちになるのですから、不安がなくなるわけではありません。
少しでも早めにご相談いただければと思います。あなたが気持ちが軽くなり心の負担が減れば、不登校に対する捉え方、お子さんを見る目も変わっていくと思うのです。
なんか最近学校に行きたがらない・・・
なんだか最近うちの子学校へ行くときになるとグズグズする。行くのを渋る。
お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、朝起きれなかったり。
もしかしたら「登校渋り?」「不登校になるかも?」と感じた親御さんは
「それだけは絶対阻止しなければ・・・・。」と考えるのです。
なんとなく感じた不安が的中する、気が付いたら不登校に、というケースは大変多いです。
お子さんの登校渋りが始まった時に無理やりなんとしても不登校にはさせない、行かせるとして親が無理を強いるとお子さんはますます勇気をくじかれた状態になってしまいます。
登校渋りが始まった時というのはお子さんのガス欠の兆しです。
残り少ないエネルギーをなんとか持ちこたえている状態になります。それを無理に消費してしまうことは好ましいことではありません。
単発や部分登校でもできる範囲で、が基本です。お子さんは親御さんが学校へ行くことを期待していて、それに応えないと親から愛されないと思っています。ですのでぎりぎりまで頑張ってしまいます。
気がつけばエネルギーは一滴も残っておらずそのまま学校へ行かなくなってしまいます。
明らかに不登校の原因となる要因があるならともかく、「疲れ」による登校渋りの場合には「少し休んだら?ちょっとぐらいなら大丈夫だよ。」と相手の心身の体調に合わせて話し合ってみてください。
小さな体、未成熟な心で学校というところで頑張っているお子さんの気持ちに寄り添いたいものですね。
子どもの不登校で親の人生も大きく揺らぐ
お子さんが不登校になったことでご家族の生活も激変してしまいます。
特にお子さんが小学校の低学年ぐらいですと、一人で置いておけないからです。
今はお母さまもほとんどの方がお仕事を持っておられますから、仕事にも行けない状態になります。
出産も乗り越えてやり続けてきた仕事、やり甲斐をもって従事していた仕事をやめなければならないのかと。
「子どもさえ学校へ行ってくれれば今まで通り仕事に行けるのに。」と、なんとか学校へ行かせる方法を探そうとされるのです。
でも特効薬はあるはずもなく、焦りばかりが募っていきます。
ところが幸いなことにアドラー育児はお子さんが低年齢なほど勇気づけの効果が出るのが早いです。
実際にお仕事も諦めることなく、お子さんが元気で楽しそうに学校へ行けるようになったケースもあります。
低年齢の不登校のお子さんをお持ちの方はぜひ早めにご相談と講座の受講をお勧めします。
お子さんが不登校になってしまった。どうしたいいのかわからない親の気持ち
わが子が突然学校へ行かなくなり、不登校という現実を突きつけられた親。
「え?なんで?なんで学校へ行かないの?」聞いても答えは返ってこない。部屋に引きこもるか、黙ってしまう。または体の不調を訴える。
その現実が続いたとき、親の苦しさが増していきます。
「いったいどうして?」「何をどうすれば学校へ行ってくれるの?」
いろいろ働きかけや考えを巡らせる日々。でもどれもうまくいきません。
考えても考えても「どうしたらいいのか」がわからない日々。辛く長く苦しい日々。。家の中に重苦しい空気が漂い、自分が親としてもダメなんじゃないかと考えたりもします。
アドラー育児はそういう「何をどうしたらいいのかわからないあなた」に一つの明確な答えを与えてくれます。希望の光が灯るのです。
受講された方たちに笑顔が戻ります。それは確かな手ごたえとしてあなたに親としての自信を取り戻す礎になるからです。
不登校になりいつの間にか昼夜逆転してしまった子どもの生活
不登校相談の中で最も多いのは、生活リズムが崩れての昼夜逆転生活にお子さんが陥ってしまっていることです。
学校へ行かないなら「せめて家ではきちんと生活してほしい」と親御さんは思っています。そして「きちんと生活してさえいればいざ学校へ戻ることになっても適応できるから」と考えておられます。
ところが昼間は一人でいることが多い不登校のお子さんは自由に寝たり起きたり、することがないのでゲームやスマホをいじる、動画にはまるなどの好き勝手に行動してしまうことが起きるのです。
アドラー育児で考えると、学校へ行かなくなった時点で親子での話し合いが考えられますが、こちらへ相談に来た時にはかなり親子関係が悪化しているケースが多く、まずは「話し合いできるまでの関係修復」を目指すことになります。
「そんなに集中してゲームができるなら学校へも行けるでしょ?!好きなことばかりやってこれから先通用すると思っているの?」「お願いだからしっかりしてよ。」
悲しさと怒りの入り混じった思うようにならないわが子への親の思い・そんな風に考えてしまう親御さんのお気持ちを受け止めながら、その時その時の最善策を相談会や講座を通して考えていきたいと思っています。
学校へ行くことが当たり前だと多くの親御さんは思っています。
「学校へ行くって当たり前のこと。なのになんでそんな当たり前のことが我が子にはできなくなったんだろう。」
お子さんが不登校になってあなたはそう感じておられるのではないでしょうか。
そうです。私たち大人にとって今まで学校へ行くことは当たり前のことで何の疑問も持ちませんでした。
ですからあなたの気持ちはとてもよくわかります。「当たり前ができない子どもは認められない、認めたくないのです。」
どうしてうちの子が・・と悲しさや困惑やら、親としての自信すら失うような気持になっているのではありませんか?
多くの親御さんがお子さんの不登校に直面した時にそう思います。あなただけではありません。
その子どもを受け入れられない自分をダメな親だとすら感じているのです。
そして中には「自分が悪かったんだ。」とお子さんの不登校を自分一人の責任と感じてしまい自分を責め続けてしまう方もおられます。
でもアドラー心理学で考えるとそれは違うんです。あなたと同じような対応をお子さんに対してしている親御さんのお子さんが皆不登校になるわけではありません。
あくまで本人の自己決定であるとアドラー心理学では考えます。ですからあなたのせいとは言えないのです。
そうは言われても不登校という現実は変わりませんので、今のあなたの苦しさは同じかもしれませんが、それを和らげるにはお子さんに対して親として何かできることがあれば・・とお考えになっておられるのではないでしょうか。アドラー子育ては不登校という選択をしたお子さんへの働きかけをご提供できる「勇気づけ」という方法を使うことができます。まさにお子さんの「学校へ行かない」という選択は「勇気をくじかれた状態」と捉えるからです。
自分にできることがたくさんある、それを知るだけでもあなたにとっての希望になると感じています。
まずは相談会へ足を運んでみませんか?
自分の思い通りにすることが結果としていいわけではない
親にとってよくある悩みと言えば「うちの子は勉強をしない」ということではないでしょうか。
勉強は確かに子どもの課題ですから取り組んだ方がいいことです。
しかしながら認知論で考えると親の考える「勉強をしているとはどういう状況なのか?」と子どもの考える「勉強とは?」が違っている可能性もあります。
親のイメージする「勉強している状態」と子どもが考える「勉強している状態」は違うかもしれません。
親のイメージでは「勉強とは~のようにするものだ。」から実際のお子さんの様子はかけ離れているかもしれませんが、お子さんにとっては「これが自分の勉強方法だ。」と思っているのかもしれないのです。
どうしても勉強しているように見えなければ、お子さんに聞いてみたらいいと思います。
あなたにとって勉強するということはどういう状態になっていることなの?と確かめてみてください。きっとお子さんはお子さんなりに考えているはずです。
不登校の何が問題なのかは一人一人違う
不登校のご相談に応じるようになってかれこれ10年になります。相談会にいらした親御さんに、今のお子さんの状況について詳しくお聞きしますが、「不登校の何が一番問題だと感じておられるでしょうか?」とお聞きするとなかなかお答えが出てきません。
そうしますと質問を変えます。「学校へ行って何を得てほしいとお感じになっておられますか?」
それで「友人関係を通して人とのかかわりを学んでほしい」とか「今のうちに学力をつけておいて欲しい」とか「体を動かして健康な体と体力をつけてほしい」とか「楽しい時間を過ごして欲しい」とか、色々出てきます。
これは親御さんの希望ですが、お子さんがそれをしたいと思っているかどうかは別の問題です。ただ親御さんが大事にしたいと思っている価値であることは確かですから、それは持っていて構わないものとも言えます。
親子のさしあたっての共通のゴールを設定するためには大事なポイントです。
不登校の何かつらいのか・・・それは親が自身の感情に悩まされること
子どもが不登校になると親が一番つらいと感じるのは、自分が不安で不安でたまらなくなり、どうしたらいいのかわからなくなる、という精神状態がずっと続くことです。
何も手につかなくなり、悪い方悪い方へ考えが向かい、子どもの些細な言動にも敏感に反応し悪い方へと意味づけしがちです。そして不適切な行動にばかり目が行きます。
こういう状態になると不安にともなう悪循環にはまり不安のサイクルから一人で向けだすのは難しくなります。
早めに個別相談や盛岡・仙台の会場でご相談いただければ、気持ちがとても楽になるのですが、人は動かないでいた方が安全だと考える傾向があります。
来られた方がいつもおっしゃるのは「もっと早く来ればよかった」という言葉です。その言葉は相談することの意味を表しています。希望が持てる、気持ちが楽になる、何とかなりそうだという気持ちになるからではないでしょうか。
個別でもグループでもみなさん順に取り組んで克服へ向かわれます。
コロナ以前はグループでの相談会や講座しか開催しておりませんでしたが、コロナになってからマンツーマン講座や個別の相談を始めたところ、そちらの方が人気があるようになっています。
個別で相談したうえで講座を受講し、その後サポートを受けて克服というパターンが大体の順です。
今の時代グループは難しいところもあるのかなとそう思うところもあり、個別の方がいいのであれば平日はいつでもご希望に添って受け付けるようにしております。
いずれにしても話すことですっきりするのは確かですから、そのあとをどうするかよりも、まず一度話してみることをお勧めします。
お子さんのライフスタイルによる行動パターン
個別相談や相談会でお子さんの状況についてお話しいただくと、ほとんどが消極的なお子さんであったり受動的なお子さんで会ったりすることが多いです。
積極的・能動的なお子さんは外へ向かって出て行ってしまいます。反社会的な方向へ行ってしまうのです。
それに対して消極的・受け身的なお子さんは、うちに籠って黙ってしまい、引きこもってしまいます。
消極的で受け身と言うことは別の側面からみると、主張できなくなっています。もともとそういう特性があったにも関らず、勇気が持てなくてさらに押し黙ってしまっています。
自分の主張ができることはこれから世の中に出ていくお子さんにとって伸ばしていきたい能力です。
家の中でまずそれが自由にできる関係になりたいものですね。
特別な才能であるがゆえに・・・
不登校のご相談で多いのはお子さんが発達障害をお持ちでクラスになじめない、他のお子さんと同じようにできない、ということが原因で不登校となってしまうことが多いようです。
アドラー心理学の発達障害についての捉え方は、アドラー子育てで対応してみて、症状が落ち着いてしまった場合には、発達障害とみなさないという考え方です。
アドラー子育てをしてもその症状が残った場合にはそれは発達障害と言われる症状であろうと考えます。
実際に受講されアドラー実戦をされたお母さん方を拝見していると、発達障害の症状をはじめのころは「不適切」とみなしてなおそうとしておられますが、実践をやり続けていくと「不適切」と感じていたものが別に「不適切でも適切でもない」というフィールドに収まって気にならなくなるということが起こります。
不適切とかんじなければ気にする必要もなんとかする必要も感じませんので結果として気にならなくなる。そういう状態になるようです。
「学校に行かせること」をゴールにするとうまく行かないわけ・・・
お子さんが不登校になると親はなんとかして「学校へ行かせよう」とします。不登校になった時点で子どもは「行かない」と決めていますから、行かせよう・行かないという力の引き合いになるか、対立構造になります。
お逆方向へ引き合えば当然事態は動かなくなりますし、対立構図になれば親子関係が悪くなります。
親子関係が悪くなくても、親が学校へ行かせるようにしたいと思っていれば、子どもの心の向きとは逆になりますから「膠着状態」は当然起きるわけです。
ほとんどのケースでは「親子関係の悪化」と「膠着状態」がみられますので、いったん「学校へ行かせる」という目標を置いておいていただいて、親子関係の改善と、他に目標が一致できそうなところがないかを探していただいて取り組んでいただくといった対応をさせていただいています。
試行錯誤の挙句・・・
うちへ相談に来る方はほとんど自分自身が疲弊しきってしまっています。
自分でなんとかしよう、なんとかしなきゃと思って頑張った挙句、どうしようもない事態になってから、やっとうちへ来るのです。
その状態だとお子さんを勇気づけるためのエネルギーが親自身も枯渇していて、まず自分が元気になることをはじめにしなければなりません。
もう少し早く来てくれれば・・・といつも思うのですが、私たち人間は危機感を感じないと動かないのです。
今あなたが気持ちがすり減りそうなのであれば一刻も早く相談会でご相談いただきたいと思っています。
はじめて参加のご感想をお聞きしてみました。
相談会の新規の方は2名までと決めています。2時間はいらした方のお話をお聞きすることにほとんど費やします。
自分の気持ちやお子さんの状況などありのままに自由にお話していただきます。
最後にこちらから簡単な勇気づけの方法と次回までに取り組めそうな課題の提示をして次回の報告を待つことになります。
この繰り返しでお子さんの状態が改善できそうであれば、講座の受講等をご検討いただきます。
あくまでご本人の意思を尊重して進めていきます。
はじめて参加のご感想をお聞きしてみました。
昨日は1月の相談会オンラインでした。初めて参加の方に「どうですか?」とお聞きしましたところ「すごく緊張したし不安でしたけど、参加してみたらとても気持ちが楽になりました。」と。
「もっと早く参加すればよかったな。」と言う方もおられました。
少しの「勇気」が必要なのよね、とはいつも来てくれるサポートメンバーの言葉。
その少しの勇気があれば、きっといい方向へ物事は進んでいく、そう感じた穏やかで実りある会となりました。
不登校は何のため?という問い
アドラー心理学は目的論の心理学なので、「なんのため?」という問いをします。
子どもの不登校の問題であれば、「不登校は何のためにするの?」です。
よくあるパターンは「親の注目を引きたいから」、「安全でいたいから」「取り組むべき課題を能力がないと感じて避けるため」なんですね。
友人関係でつまずいたとすると、他者関係の課題で傷つくのが嫌で恐れて取り組めないでいると考えます。
目的がわかると支援する側・親にできることが見えてきます。
いずれにしても、どの目的であったとしても子どもが学校へ行かないことの不利益はとても大きいです。
目的が何であれそれを達成する手段としての不登校の代償は大きいと感じるのではないでしょうか。
目的はそれぞれでも基本形はある
勇気づけしたいと思っても何をどうすればいいのか、本を読んでもさっぱり勇気づけの意味がわからない。
勇気づけと褒めるの基本的な違いを理解しておかないと、勇気づけたつもりが褒めてしまい、かえって勇気をくじいてしまうことがあります。
介入のタイミングとやり方は実際にお話をうかがってから、あなたにピッタリな方法を相談会でお伝えしています。
いずれにしても「不登校になる現実」には決まったサイクルがあります。
それを図解したものを掲載しておきます。
不登校のメカニズム掲載ページはこちら
本を読んで自己流は危険
アドラーの本はたくさん出ています。相談会や講座に参加せず本を読んでやってみるという方もいらっしゃるでしょう。
問題になるのは本をどう解釈するかは一人一人違うということです。
正しい解釈に基づいた対応をしないとかえってお子さんとの関係が悪化したり、不登校が長期化する恐れもあります。
きちんとアドラーの専門家のいるところで正しい解釈に基づいて対応することで事態の変化をもたらすのです。
自己流の解釈・自己流の対応をして悪化した場合にはさらに長期化する可能性があります。なぜなら子どもが「勇気づけ」を受け付けなくなっている可能性が高くなるからです。
はじめの一歩はまず相談会からをお勧めする理由です。
コロナを見据えながら暫定リアル会場再開
私たちには「より良く生きたい」という向上心が誰にも備わっています。
不登校の当事者であるお子さんも決して「今のままでいい」とは思っていません。
何も考えていないように思われて(なぜなら話してくれないから)ついあれこれ口を出してしまったりしてしまいがちですが、アドラー子育ては「まず子どもに備わっているその能力を信じましょう。」というところからのスタートになります。
信じている親はおのずと対応が違ってきます。親であるあなたの関わり方ひとつで子どもはどんどん変わっていきます。
不登校という壁に直面している子供を応援する親になって欲しいものです。
2022年からオンラインと仙台リアル会場の二か所で相談を受け付けます。まずは自分の気持ちを話してすっきりするところから始めてみてはいかがでしょうか。
不登校を自分で乗り越えることが自信につながる
不登校はお子さんにとっての人生で初めての試練と言えるかもしれません。
学校へ行かないという選択をしたことでお子さんはどういう気持ちでいるかというと「自分はダメなんだ。」とか「自分はどうしようもない」とか自分を認められないままでいるかもしれません。
その時に「あなたはダメじゃない。」「あなたはあなたの良さがあるのよ。」と自信をつけるような言葉をかけたいものです。
不登校はアドラー心理学の課題で言えば「子どもの課題」です。
学校へ行かないと決めた子どもに親は何をしてやれるのでしょうか。
「親は自分の味方(友であり仲間である)だ。」「親は自分が能力があることに気が付かせてくれた。」と子どもが感じるような関わり方をしていきたいものです。
子どもの課題である不登校を親が解決しようとしたりすると子どもは自分の能力を信じられなくなります。
「自分は何もできない。」「無力だ。」と感じてしまうかもしれません。
不登校という試練はあまりにも親にとって大きな問題と考えられるかもしれませんが、「この子を信じよう。」と思えるかどうかも大事なポイントになると思います。
子どもの世界は友人関係が主たる世界
友人関係のトラブルをきっかけに学校に行かなくなってしまった、というお子さんはかなりの頻度でおられます。
子どもの世界は大人に比べて狭いので、生活の主たる学校での人間関係がうまく行かないことはお子さんにとって精神的な負担は大きくなります。
友人関係を簡単に築ける子と築けない子がいます。友人がいないように見えても、自然になんとなく友人になっている関係もあるのです。
一回のトラブルで全員との関係がダメになるわけではないのですが、子どもの視野ではそう考えてしまうこともあり得ると思います。
そんな時温かくお話を聞いてあげて欲しいものです。
まずは不登校の辛さを認めること
理由がどうであろうとも「嫌だ」「辛い」と感じて子どもは不登校になっているのです。また「面白くない」「何のために学校へ行くのかがわからない」などもあるかもしれません。
そんな時、私たち大人はつい「辛いことから逃げてはいけない」とか「嫌なこともやらなければいけない」とか「学校へ行く意味が今はわからなくてもそのうちわかるよ」とか、そんな風に考えて伝えてしまいます。
これでは子どもは「親は学校へ行かせることが大事で自分の気持ちはさっぱり理解してくれようとしていない。」と思ってしまいます。
自分のことを理解してくれていると子どもが感じてくれるにはどういう言葉かけをしたらいいのでしょう?
「嫌なの」と言われたら「そう、嫌なんだね。何がどう嫌なのか教えてくれない?」
「辛いの。」と言われたら「そう、辛いんだね。どう辛いのかお話してくれるかな?」
そんな風に返したいものです。もしそのあとの子どもの話や説明がさっぱり理解できなかったとしても(そういうことは往々にしてあるのですが)、「この子はこの子なりに考えているのだ。」ということを認めて否定せずに「あなたの考えを教えてくれてありがとう。」と言葉をかけたいものです。
そうすることで「親は自分の考えを理解できないかもしれないがわかってくれようとしている。」ことは伝わります。
この「わかってくれようとしている」は共感ということになり、少なくても不登校で学校へ行けなくなった自分を責める敵ではなく自分の味方だということが子どもには理解できます。
学校に行く行かないをゴールにすると出口が見えない
不登校でご相談に来られると、大概親御さんは「学校へ」の方向を向いておられるし、お子さんは「学校へ行かない」方向を向いておられます。
そうすると⇒の向きが逆になりますので、双方が逆方向へ動こうとするので動けなくなります。
また心理的には対立の構造になりますので、こちらも動けなくなります。
ですのでまず親ごさんがお子さんの伴走者になり、同じ向きに走り出します。
同じ向きに走るためには「学校へ行かせる」という親なりのゴールをいったん棚上げして「自立すればいい」に変えます。
ゴール設定が変われば親子がともに走り出せるようになり、エネルギーの流れが統一され二者間の力が合わさりますので加速していくことも多くみられます。
子育て相談会ではこういうご説明を通して「自立した子どもになれば道筋は一つとは限りませんよね。」というお話もさせていただいています。
相談することでわかること、できるようになることがたくさんある。
不登校のご相談で最初は皆さん焦っておられるのですが、相談に来る、もしくはアドラーコンパクトやSMILEを受講され続けるうちに次第に自分を取り戻していかれます。
気持ちが落ち着く、軽くなる、という状態になってきます。
そして感情のコントロールも講座では学びますので、叱ったり怒ったりというマイナスの感情を使わずに子どもに対処できるようになっていきます。
この辺まで来るとようやく、子どもさんに対して「見守り」「寄り添い」「共感(理解しようとする気持ち)が芽生えてきます。
そして親子関係が落ち着いたところでようやく本題(学校はどうするのか、これからどうしたいのか)について話し合いをすることができるのです。
不登校に特効薬はありません。まず落ち着いて大事なことを話せる関係になるのが先決です。そうでないと親子の関係が破壊的なものになってしまいます。
子どもの心が親から完全に離れてしまうと取り戻すのはますます大変になります。学校どころの話ではなくなるのです。
不登校の対応を自分も子どもと一緒に育つつもりで、という心構えが欲しいところです。
今までの対応で「今」がある。それなら「これから」は逆をやってみる。
中学から高校の思春期にお子さんが不登校になった場合、親子関係がかなり悪化している状態でご相談をお受けすることがあります。
たとえば「暴言・暴力」がある。もしくは完全に親を無視する、などです。
不登校でまず親は焦ります。そして何とかしようとやっきになります。このことがさらに親子関係の悪化を加速させてしまうのです。
不登校にプラスして暴言や暴力が始まり、親を無視し反抗するという段階になってようやくご相談に来られる方は多いです。
また面と向かっての反抗がなくてものらりくらりとして「何を考えているのかさっぱりわからない。」と不安を感じてご相談に来られる方もおられます。
最初に「不適切」(学校のこと・暴力暴言・無視など)に注目したり反応しないで下さいということをお伝えします。
そして連絡しなければならないこと、伝えなければならないことは話してもいいが、もし話す内容が子どもにとってダメ出しであったり勇気をくじいてしまう可能性があるなら言わないで黙ってくださいとお願いします。
「何かしなくていいの?」「何もしないでいいの?」とお感じになられる不安はよくわかりますが、介入したことで今の結果があるとすれば、逆をやらなければ改善はありません。大変不思議なことに思われるかもしれませんが、これだけでも続けていただくと、子どもが自然に自立へ向かって自分で進路を決めて動き出したりするのです。
年齢によってさまざまな目的が考えられる
アドラー心理学の目的論では「何のために?」と考えます。
不登校で置き換えると「何のために学校へ行かないのか?」「行かないで得られることは何か?」という発想をします。
年齢が小さければ「安心したい」があるでしょう。また「親の注目を得たくて」もあるかもしれません。
年齢が上になると「居場所がない」ので「居場所がある」と感じられる家にいようと思っているのかもしれません。
いずれにしても目的がわかれば、「学校へ行かない」という子どもにとってデメリットの大きい選択ではなく、メリットのある方法を一緒に考えてあげることができます。
子どもにとって不幸なのは、経験値が少ない分どうしても自分にとってあまり役に立たない方法(不登校)を採用してしまうことです。
役に立つ方法を一緒に考えてあげることも親の大事な役目です。
不登校レポートはこちら⇒不登校レポート
親の会はこちら⇒親の会
アドラー心理学という共通項でつながる人々
日曜日にELM(勇気づけ講座)の最終回を開催していました。
不登校をきっかけにアドラー東北の講座を受け、自信を取り戻した方の笑顔はとても素敵なオーラを放っていました。
辛さを乗り越えたからこその笑顔です。そしてグループ内の他者を信頼することを学び身に着けた自信は、各各々のグループへ戻っても発揮されているようでうれしく感じています。
きっかけは子どもが作ってくれたと感じておられるようです。今お子さんの不登校や様々な問題で悩んでおられる方にも希望をもって足を運んでいただければと思います。
自分をあきらめず、子どもをあきらめず、取り組むことでその願いは必ずかなうのだと信じていただければうれしいです。
不登校レポートはこちら⇒不登校レポート
親の会はこちら⇒親の会
実際に起きていることを冷静に観察してみる
不登校は勇気をくじかれてなっていることは、アドラー東北の不登校レポートでお伝えしていることです。
勇気をくじかれるというのはダメ出しをされ続けて自信をすっかり失ってしまっているということでもあります。
まず「ダメ出しをやめる」ことを親の会でもお伝えします。言いたくなってもしばらく我慢してもらうのです。
そしてダメ出しの代わりにヨイ出しをしてもらいます。良きところ、できているところ、努力に注目して声をかけてもらうのです。
しばらく続けているとお子さんとの関係が良くなっていきます。そうして初めて学校をどうするのかの話し合いの段階へ進めるのです。
不登校レポートはこちら⇒不登校レポート
親の会はこちら⇒親の会
表面的な行動に注目するのではなく「気持ちを考えてみる」
学校へ行かない・不登校である、口を聞かない・黙っている・昼夜逆転生活・ゲームばかりしている・反抗的である・ダラダラしている
不登校やお子さんの問題でご相談が多いのは上記のケースです。中にはお子さんが暴力的であるというものもあります。また死にたいと言っているというご相談も増えてきました。
さてこれらのご相談者の視点は「子どもが~だ。」「子どもが~と言った。」というお子さんの行動や言動に着目しての問題意識です。
大事なのは「学校へ行かないこの子は今どう思っているのだろう?」「口を聞かないこの子は今どういう気持ちなのだろう?」ということです。
ダラダラしていていることに注目すれば、焦りや怒り、があなたの中に起こるかもしれません。
が、ダラダラしている子どもが「きっとリラックスしたいんだなあ」とか「一生懸命自分は取り組んできたけれど、今は何かに取り組むのに疲れていると感じているのかもしれない。」
そんな風に考えてみてほしいのです。相手の気持ちを理解しようとする気持ちが「共感」です。勇気づけは共感的に相手を理解すること関わろうとする気持ちを持つことなのです。
ホッとする、気持ちが軽くなる、希望が持てる
アドラー東北の不登校親の会は、月1回ペースで開催しておりますが、例年GW明けと夏休みなどの長期休み明けにご相談が急増します。
現在はコロナのこともあり、学校が臨時休校になったことがきっかけになる場合もあるようです。
今年も例年通り最近になってご相談が増えています。
どこに相談していいのか一人で悩んでおられる方は多いでしょう。親の会に参加してご自分の今の気持ちやお子さんの状況をお話しするのは勇気がいるかもしれませんが、思い切って参加するととても気持ちが楽になることは確かです。
また話すことで自分の頭の中が整理されますから、すっきりするようです。いずれにしても一人で抱え込んでいるうちは同じところをぐるぐると回り続けており良い方向へ向かって行かないのです。
家族に笑顔を取り戻すためにアドラー東北の親の会をご活用いただければ嬉しいです。
緊急開催親の会・5月29日(土)午前9時~参加費1000円 オンラインで開催します。お申し込みはこちらからどうぞ⇒オンライン講座お申込み
褒めることが「承認欲求につながる」
昨日は4月からスタートしたSMILEの第2回目でした。
ちょうど「褒める」ことの弊害について学ぶ章でした。「褒めること」は、その際の評価基準が親の方にあります。
それは子どもにとって「親の期待に応えること」です。
期待に応えられるうちはいいですが、答えられないと感じると子どもは勇気をくじかれてしまいます。
最初のうちは「褒められてうれしい」だったのが「褒められて苦しい」に変わっていくのです。
勇気づけは基準がお子さん本人の側にあります。昨日より今日できたこと、適切だったこと、進歩したこと、努力したことに注目した言葉かけです。
結果は問われません。結果はただの結果にすぎません。そこへたどり着くまでの経過が大事なのです。
自分の経過をちゃんと親が見てくれていて、失敗したとしても頑張りを認めてもらえたらお子さんはとても勇気づけられると思います。
認めなくても受け止めることはできる
「子どもが部屋から出てこなくなった。」「口をきかなくなった。」
部屋から出ると・・口を聞くと・・どういうことが起きるから「部屋から出てこないのか」「口を聞かないのか」を考えてみましょう。
部屋からでるとあなたはお子さんに対してどう接していますか?
口を聞くとあなたはどうお子さんに対して対応していますか?
ここに答えがあると思います。今の接し方、今の対処法を変えるしかないのです。ところが話をお聞きすると「さて?どうしてたんだっけ?」と自分のことが分からない方もおられます。
考えずに対処していることが状況を悪化させていることに気が付きましょう。
その前に無理強いをせず今の状態を受け止めることが大事です。
認めなくても受け止めることはできます。
「部屋から出てこない。認めることはできないが今はそうしたいんだな。」「口を聞かない。認めることはできないが今この子はそうしたいんだ。」と思うだけでいいのです。
「来ないでください」「自分で判断してください」など学校側から言われる
コロナ過で学校の対応も様々だという話が講座で出るようになりました。
コロナをきっかけに不登校になってしまったケースもあります。もともと学校が好きではなかったのが、休校をきっかけにしてぱったり行かなくなったりします。
また「来ないでください。」といった濃厚接触のケースでははっきり言われた、とか「どうしたらいいのか?」という問いかけに「ご自分の判断でお願いします。」との一点張りだった、というお話もお聞きします。
アドラーの子育てをやっている方は、こういう状況でもあまり困らないと思います。普段から「本人のことは本人に決めてもらう」「大事なことは家族で話し合う」という習慣があるからです。
事前に取り組みを始めている方が多い・・
アドラー子育ての本を読んでやってみた、アドラー東北のHPを参考に対応を変えてみた、などやってみてから相談というケースが最近の不登校相談に増えています。
それはそれでとても素敵なことではありますが、人は物事の捉え方が一人一人違うという前提で考えると、同じフレーズを読んでも解釈は一人ずつ違うので、できればアドラーコンパクトやSMILEを一度受講していただくことが望ましいのです。
自分はこのフレーズをこう解釈していたけど、学んでみたら全然別の意味だった・・・ということはありえます。
そのうえで親の会やHPの情報を活用していただければ不登校のお子さんに対してアドラー心理学をもとにした対応ができると思うのです。
自己流は状況を悪化させることもあるのでくれぐれもご注意いただきたいものです。
コロナ過の今だからこそわかることがある・・
コロナ蔓延の今の時代にあって、今までの価値観・当たり前と思っていたことがひっくり返り始めています。
私自身は、子どもは時代を映す鏡であるといつも思っていますが、親が自分の価値観を見直したりすることができないと、不登校をめぐって親子の意見は対立し続けることでしょう。
親の価値観に従うことを強いられれば子どもは生きにくさを感じながらこれからの時代を生きていかなければなりません。
「支配する親から支援する親へ」SMILEというアドラー育児プログラムのフレーズです。このキーワードは、これからの時代にこそ必要な考え方と思います。
様々な価値観が共存していくであろう社会にたくましく自分の価値を見出しながら居場所を得られるよう子どもを支援していきたいものです。
特別扱いしてほしくない・・
学校に行かなくなったお子さんに特に気を使ったり、世話を焼いたりする親御さんは多いと思います。
特別扱いしたり腫れ物に触るようにしたりです。
それは不登校が「普通でない」と認識しているからです。
そうすると不登校になっている本人は「自分が学校に行かないことは自分は普通ではないのだ。」と感じます。
結果として普通でないと思われていると感じた子どもは反発したり、その特別扱いを利用したりするようになります。
お子さんが不登校であろうとなかろうと「あなたは私の大事な子どもであることには変わりがないのだから。」と普段通りの接し方をしていくことが大事です。
心は穏やかではないかもしれませんが、それでもできるだけ普段通りに過ごしていることを示していきたいものです。
勉強でアドラー心理学で、直接子どもを勇気づける・・
「勇気をくじかれて学校へ行けなくなっている」
アドラー心理学では不登校をそのようにとらえています。ですから「勇気を持てるよう勇気づけをする」のです。
今までは親御さんにアドラー心理学を学んでいただいてお子さんを勇気づける親になっていただいてきました。
間接的なかかわり方ですが、それでもそれなりに成果を上げてきました。
ところが現在は不登校の数が激増しています。特に宮城県は不登校の生徒数が全国トップと言うありがたくない現実があります。
自分にもできることをしていかないとと感じて、今年度から「勇気づけのオンライン学習塾」と「お子さん向けアドラー心理学講座」を開催していくことにしました。これからは直接的な関りを増やしていければと思っています。
「怒る」「叱る」は百害あって一利なし・・・
怒っている間は子どもは何を親がわかってほしいのかがわかりません。
「なぜ?どうして?学校へ行かないの?」と叱られても答えられないのです。
怒りの感情を含んだままなんとか子どもを学校へ行かせようとすれば、親は自分の気持ちよりも学校へ行くことの方が大事だと考えているんだと思ってしまいます。
まずは親の方が落ち着いて対応できるようになることが大事です。
SMILEやアドラーコンパクトを受講されると大体2回目が終わったころから親の方がだいぶ落ち着いてお子さんに対応できるようになり、陰性感情を持ったまま子どもに対することを止められるようになります。
「言いたいけどここはちょっと我慢」ができるようになっていきます。
不登校改善のケースはひとそれぞれ・・・
不登校をきっかけに、親子間で争うようになった。夫婦仲が悪くなった。子どもが口をきかない、反抗的で時に暴力をふるう、昼夜逆転生活になり朝起きてこない、ご飯を食べないで寝てばかりいる、ゲーム三昧になってしまった、勉強についていけなくなり進学ができるかどうか心配だ。
不登校相談と一口に行っても様々な問題があり、人によってはどれが一番の問題だと感じているか、心配なのかは違います。
親子関係が悪い場合には、アドラーの子育て法をSMILEで学んで実践していただくと、ほとんどが良好な関係に変わっていきます。
穏やかで優しい親子関係に変化していきます。それに伴って家族の雰囲気も変わっていきます。
子どもの意見は意見として聞き、親の意見は親の意見として伝えられるようになるのです。
この段階まで行ってようやく学校のことも話すことが可能になります。
「学校へ行ってくれないと困る」という焦りと怒り・・・
「なんで学校へ行かないの?!」怒りと不安でいっぱいになって、こんな言葉を不登校になったお子さんにかけてしまっている方は多いのではないでしょうか?
勇気をくじかれている子どもにはとてもつらい言葉です。さらに勇気をくじかれ勇気を持てなくなっていきます。
親にとっては自分が学校へ行く行かないということが大事で、自分の気持ちはどうでもいいんだ。。。そう解釈されかねません。
自分の気持ちを理解しようとしない親に対して、きっとお子さんはこんな対応をするはずです。
不登校であるだけでなく、口をきかない、反抗する、部屋に閉じこもって出てこない。こういう状態であれば、基本的な親子関係から変えていかなければなりません。
圧倒的に数が少ないという現実・・・
「不登校特例校」聞きなれない言葉かもしれません。
増加する不登校のお子さんに対して「教育機会均等」の目的で設置が進んでいる「オンラインでもリアルでも登校とみなされ授業時間数にカウントされる学校」のことです。
現在はまだ全国に9校しかありませんし、東北には一校もありません。不登校数が全国一多い宮城県でさえないのです。
学校に行かない、行けなくても「学び」の意欲のある子どもさんはおられますし、さっぱり勉強する気がないと感じられるお子さんにしてもただ一人ではやり方がわからないだけかもしれません。
そういう不登校のお子さんたちに教育の機会を提供する場が急がれます。
受験や進路決定が目前で・・・
受験シーズンですね。不登校のご相談を受けていると、進路を決めなければならない時期なのに、進路はどうするのか?とかなり焦ってこられる親御さんが多いです。
でも相手の人生は自分の思い通りにはなりません。それをわかったうえでもなお「焦る」のは、自分の中で最悪のシナリオを描いてしまっているからです。
最悪のシナリオは大概は根拠がありません。2月からの親の会はそういうことも工夫して進めていきたいとお持っています。
最悪のシナリオから現実的なシナリオに変えることでこの焦りの気持ちは落ち着いていくことでしょう。ご参加の上でお試ししていただければ、と思っています。
対処を変えれば反応が変わる・・
子どもが反抗する、言い返してくる、黙ってしまうなどの反応は、親側の対応がもたらしています。
あなたが相手に責められた時のことを考えてみましょう。
有無を言わせず言うことを聞かせようとしたり、自分の思い通りに動かそうとしたり、失敗を厳しくとがめられたりしたときにあなたはどうしますか?
きっと反論したり、言い訳したり、黙ってしまったりすることでしょう。
それは相手が望んでいることでもありませんし、もちろんあなたが望んでいることでもないはずです。
相手が怒るとしたら、相手の問題としてしまうと相手を変えようとして多大なエネルギーを強いられます。
それにたいして、相手を怒らせてしまう自分の対処を自分のほうが変えていくほうが楽であり現実的なのです。
ダメだと思う気持ちが子どもの勇気をくじく・・
仙台不登校親の会では、お子さんの良いところ探しをすると同時に、お子さんにダメ出しをしている場合には、それをいったんできるだけやめていただくようにとご提案しています。
現在不登校になっているということは、学校へ行く勇気が持てていない状況であり、子どもの勇気が枯渇している状態です。
そこで学校へ行かないことを含め勇気をくじいてしまうと、さらに勇気が持てなくなってしまいます。
勇気づけの簡単な方法はお伝えしますが、それすらやれる自信がないとおっしゃる親御さんは多いのですから、せめてこれ以上勇気をくじかないようにするだけでも、親子関係は徐々に改善していくと思います。
関係を変えることで学校について、不登校について、これから先どうするのかなどの話し合いができるようになっていきますので、まず親子が仲良くなることを目指していただければと思っています。
起こった出来事の両面から考える・・
今は会社の在り方も変わってきている時代。当然のことながら学校の在り方も変わっていくと思います。
ほとんど出社せずに在宅で仕事をこなすやり方も増えてきているようです。ミーティングもネットを使って行っています。
このまま不登校が増えていくようであれば、選択肢として在宅授業も認められるようになるかもしれません。
無理に学校へ行かなくても勉強はできるということになれば、不登校そのものが問題にならない時代が来るでしょう。
学校に会わない子どもも、教育の機会均等と言う視点から言えば、それもありなのではないかと思います。
不登校が問題にならない社会が来るのかもしれません。
実際に実践して結果が出るケース
こちらが不登校親の会でお伝えしたことを「まずやってみよう」と思われて実践された方からは、いろいろな気付きやご報告をいただいています。
1月の親の会にご参加の方からはさっそく「どういうわけか子どもが学校へ行きだしました」「自分から成績表をもってきてみせてくれました」など、明らかに親子関係が変わってきていることをお知らせいただいています。
自分は~だから、きっと子どもも~だと思っていたが、そうではなかったなどの気づきは大きいです。
なぜなら良くも悪くも親子の場合には「同一視」というフィルターがかかるので「親と子は別の人間で違う」ということがわかった時点で「客観視」できる状況が生まれているからです。こうなると子どもをある程度観察する余裕がうまれます。
やってみようと思い、やってみたからこそ得られるので、自分のやり方に固執して「でも~」と思っているうちは何も変わりません。今までの自分のやり方でうまくいっていないから今の現実があるのだということを考えてみてほしいといつも思っています。
仙台・不登校親の会へのご参加をお待ちしております。
お子さんの持つ特徴に気が付いていますか?
不登校のご相談を受けていて感じるのは、学校へ行けなくなったお子さんたちは、なんらかの大きなほかのお子さんにはない特性を持っているということです。
たとえば、学校へ行って先生をはじめ様々な大人と関わる中でその大人の矛盾に気が付いて「許せない」と感じていたり、ほかの生徒さんのことで心を痛めたり自分が心を痛めたりといった繊細さを持っていたりします。
アドラー心理学では、その子の欠点を修正するという発想はしません。欠点もその子の持っている大事な特性ですから、それを生かす方向へ使うようにしていきます。
不登校になっているあなたのお子さんにもきっとほかの子にない優れた特徴・個性があるのです。それを見つけて注目していきたいものです。
学校という枠にはまるのは苦しいと感じている子どももいる
不登校になっているお子さんには、二つの側面があり、自信を失って学校へ行けなくなってしまったお子さんと、学校の在り方そのものに疑問を感じていかなくなったお子さんがいるように感じています。
後者の場合には、民主主義の世の中であるはずなのに民主的でない学校という場に子どもが違和感や疑問を感じているのです。
個性を大事にとか個性を生かしてといいながら、個性を発揮することのかなわない現実に嫌気がさしているとも言えるのではないでしょうか。
そういうお子さんにとっては学校の存在そのものが自分にとっては何らの価値もないと感じているのかもしれません。
勇気をくじかれたケースだけではない現実を私たちは不登校の子どもから教えられているといっていいでしょう。
「何が嫌なの?」と聞いてみるとそういうお子さんの口からは学校現場での多くの矛盾が語られることと思うのです。
条件を満たすから親なのではないように子どもも条件を満たすから子どもなのではない・・
相手を信頼するのに根拠を求めたり条件を付けたりすることは無意識に行われていることが多いです。
この根拠は求める側にとって都合の良い根拠かもしれません。
ちゃんと学校に行くからいい子であり、学校へ行かない子はダメな子、悪い子・・なのでしょうか?
もしもあなたがお子さんに「親としての根拠」を求められたらどう感じるかを考えてみると答えが見つかるかもしれません。
私たちはつい相手に信じるに足るだけの根拠を求めがちですが、都合のいい時には信頼し、都合の悪い時には信頼しない、のでは本当に子供のことを考えているとは言えないのではないでしょうか。
自分に都合の良い愛は決してお互いを幸せにはしないと感じています。
抱えている状況はみな違っても子どもを思う気持ちは同じ・・
1月の不登校親の会は11名のご参加でした。うち初めてのご相談は5名様でした。
それぞれの抱えた状況はもちろん違いますし、危機的な状況のレベルも違います。
親にできることといえば、不適切な行動に注目せず適切な行動に注目を与えていく勇気づけしかないのです。
学校へ行く行かないの前にお子さんの気持ちをまず考えたいものです。本人が一番不安なのです。
学校へ行けなくなった行かなくなった自分が一番不安でいるのです。それを理解してあげたいものです。
子どもが学校へ行かないのに自分が仕事へ行くことの罪悪感・・
「自分が不登校になったら母親が仕事をやめた」
そうなったとき子どもはどう感じるでしょうか。「自分のそばにいてくれるなんてうれしいな。」と感じ、母親を自分のそばにいさせるには不適切な行動をすればいいと学ぶかもしれません。
「自分のせいだ。お母さんに迷惑をかけている。自分は学校にも行けないしダメな人間だ。」と思うかもしれません。
いずれにしても子どものこれからにとって良い結果にはならないことはお分かりかと思います。
不登校にもアドラー心理学で考えるとちゃんと子供なりの「目的」がありますので、その目的がなんであれ「不登校」という方法を使って達成しようとするのは好ましいこととは言えないと思います。
学校に行けなくなって一番傷つき不安を感じているのは子ども自身・・
学校へ行かなくなって表面的にはどうであろうと、一番自信を無くして不安を感じているのはお子さんです。元気に見せていたり自由にふるまっているように親御さんには見えるからもしれませんが、不安であり自信がなくて、そういう自分を見せたくなくてそうしていることもあるのです。
その際に無理に叱ったり、学校へ行かせようとしたりすると、さらにお子さんは自信を失います。
お子さんに残っているのはプライドだけです。今までの子育て法では、そのプライドすらズタズタにしかねません。プライドを傷つけると親子関係が悪化していきます。
まずお子さんとの関係を「信頼と尊敬」をベースにしたアドラー心理学の親子関係に変えていくことで、その恐れはなくなります。
理解してもらえ受け止めてもらえることで気持ちが軽くなる・・
アドラー東北の親の会には、ご相談に来られた方をサポートをしてくださる方が何人かおられます。
皆さんお子さんの不登校の経験者です。今はお子さんとの関係が良好になり、親子関係の困難を乗り越えてこられた方たちです。
経験者だからこそ今不登校という現実に向き合っているあなたの辛さが理解できるのです。
サポートスタッフがいる心強さも、アドラー東北の親の会の大きな魅力といえると思います。
あなたの気持ちがきっと軽くなることでしょう。
何をどうしたらいいのか悩んでいる親御さんへの支援・・
アドラー東北では全国各地から不登校のご相談を受けていますが、実際に足を運んでSMILEや親の会で何が得られるかというと、具体的な接し方を学ぶことができるのです。
当事者には一番知りたいことですから、まずそれをお伝えします。
ほかの地域での開催を望まれる声は多く、アドラーを学ばれる仲間たちと連携していければそれも可能になります。
ただ不登校といっても様々な側面があり、支援する側の力量が問われるので、なかなか連携も難しく、一つのひな型があればいいのだが・・・と感じています。
根拠を求めず信頼し続けられるか・・
あなたは今のお子さんがどうであれ、自分のお子さんに対してイエスを言えますか?
アドラー心理学の愛のタスクは「根拠を求めず信頼し、尊敬する」というとても厳しいものです。
たとえ不登校でも、勉強をしなくても、ゲームばかりしていても、暴力的であったり時には犯罪に手を染めるような子供であったとしても、人としての価値、あなたの子供であるという価値に変わりはないと思えていますか?
その態度が厳しく問われるのが、不登校などのお子さんの不適切と思われる行動に対してのあなたの態度なのです。
アドラーの子育ては厳しいですが、いったん身につくとあなたのお子さんとの絆はちょっとやそっとのことではぶれなくなり、動かなくなります。
そうしてはじめて対等な立場で自分の意見を言い合えるのです。
不登校の現実に向き合いお子さんとの絆を深く強くする、それはとてもこれからのあなたの人生にとって大事で建設的なことではないでしょうか。
たくさんの気づきとともに・・
今月も10名を超えるたくさんの皆様にご参加いただいて親の会を開催しました。
実際にアドラー心理学でどう考えればいいのかということを含め、新しく参加の方のお話をお聞きし、最後にお子さんの「良いところ探し」を以前から来ているメンバーさんにお手伝いいただいて書きました。
ある方が「子どもがいるから頑張れる」とおっしゃったので、とてもいいところに気が付いたなあと感じ、「それってお子さんは、いるだけであなたのお役に立っているってことですよね。」とお伝えしたら、はっと気が付かれたようでした。
この「人はいるだけで(存在しているだけで)価値がある」は、アドラー心理学でいうところの究極の気づきでもあり、初回からこれがでたことに皆さんとともに感動しました。
いつも来てくださるメンバーさんも、すでに不登校で悩んでいる親御さんにとって「いるだけで勇気づけられる存在」になっていることに私自身も気が付くことができました。年の終わりにこんな素敵な会を持てて参加者皆で出会いを喜び合うことができ、とても幸せな気持ちで終われて、今年一年続けてこれたこと心からかな者したい気持ちでいます。
まずは子どもとの関係を良くすること・・
考えてみれば私たち大人でも嫌いな人の話は聞かないものです。
顔を突き合せれば、自分の出来ていないところ、欠点ばかりをあげつらう人と仲良くなりたいと思いますか?
到底仲良くしたいとは思わないでしょう。子どもも同じです。たとえ相手が親でも嫌だ嫌いだと思えば話は聞いてもらえません。
あなたが学校へ行ってもらいたい、勉強してほしい、ゲームをやめてほしいなど自分の気持ちを伝えたところで親子関係が悪ければ聞いてもらえないのです。
アドラー東北が不登校へのアプローチとしてまず親子が仲良くなること、そのためには今までの親子関係を基本から変えていくこと、をお勧めするのはそういう理由があります。
どうすれば子どもと親に勇気を与えられるのか・・
アドラーを学ぶ仲間である山梨の深沢孝之先生が編者となり、何名かで分担執筆した不登校に関するアドラー心理学の本が出版されました。
かなり中身の濃いもので、臨床にかかわるだけでなく親ごさんにも手に取って欲しい内容です。
特に「元不登校児へのインタビュー」は、子どもの気持ち・本音がはっきり書かれており、親にとっては耳の痛いことも多いかもしれませんが、まず親は子どもに興味関心をもって相手の気持ちを知ることが大事だとアドラー東北は考えています。
簡単に目次を見ただけでも、今不登校に悩んでいる親御さんにとって、また不登校の支援をしておられる方にはとても役立つ本だと感じました。
不登校に特化したアドラー本はなかなかありませんで、支援する側にとっての礎となる良書だと感じました。
親として焦る気持ちばかりが先走る・・
進路について決めなければならない時期になって、お子さんが不登校になってしまった・・・ということは良くお見受けするケースです。
実際のところ、焦るのは親御さんの方で、もう進路を決めて取り組まなければならないこの時期に、よりによって学校へ行かなくなるなんて・・と焦りばかりが先に立ってしまいます。
お子さんには「結果を出さなければならない」というプレッシャーがかかっているはずです。
こんな時、ついおしりをたたいて頑張らせてしまいがちですが、本人もどうしたらいいのか困っているはず。
今まで頑張っていたのに、頑張れなくなっているのかもしれません。アドラー子育ては「結果」ではなく「経過」に注目します。
結果はどうあれ、お子さんの今までの努力について注目して勇気づけしていきたいものです。
子どもと話し合いで「どうするか」を決められる親子関係・・
自分の人生は、自分で決めたいと大人なら誰でも思うことです。
ところが親になると子どもに対しての期待が大きくなりますし、その期待に応えてほしくて子どもにあれこれと手出し口出しをしてしまいます。
特に「不登校」といった大きな出来事があると、それはあってはならないことと思ってしまい、なんとかして「学校へ行かせよう」とするのです。
親であるあなた自身が他者の期待に応えるためにいるわけではありません。
同様に子どももあなたの期待に応えるためにいるわけではないのです。
「どうするか」は自分で決めていい・・
11月の親の会は10名のご参加で、勇気づけリーダーさんを中心にグループでの話し合いで進めていきました。
同じ悩みを抱えた者同士、また超えたからこそわかる今不登校で悩んでいる人の気持ち。
共感に満ち溢れた会場は時に笑いあり、涙ありの空間になっていたようです。
どうしても口を出したくなった時、今の不安を自分が解消したいという気持ちになっているかと思うのですが、今の不安を解消することを目指すのか、それとも口を出さずに将来の安心を手に入れることを目指すのか、それも自己決定であり、自分でどうするか決めればいいのだと思います。
各自に困難を乗り越える力が備わっていることを感じた親の会でした。ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
次の親の会は12月は受付終了しております。年明け1月のお申込みを受け付けしております。
親の会の詳細・お申込みはこちらから
まずは病院へ行って危険な疾患の除外診断をする・・
学校に行かなくなったお子さんは、時に体の症状を訴えることがあります。
「学校へ行きたくない」という言葉の代わりに「頭が痛い、お腹が痛い、朝起きれない」という症状を使っている可能性があるのです。
症状がある場合には、まず病院へ行って危険な病気がないかどうか除外診断をします。そのうえで何も病気がない場合には、言葉の代わりに症状を使っていると言えるでしょう。
本来自分の気持ちを素直に親に言えるのであれば、その方がいいのですが、気持ちをうまく言えなかったり、言ってもわかってもらえないと感じたり、叱られたり、意見されたりすると、別の方法を使わざるを得なくなっているのです。
「行きたくない」と言える親子関係に変えていくことが大事で、「根拠を求めず子どもを信頼する」「子どもの気持ちをジャッジしないで聞く」姿勢が求められます。
親がまず変わらなければなりません。
長期的視野が持てるには「子育ての目標が明確化している」ことが大事・・
子育ての目標が明確になっている親御さんは少ないように感じています。
漠然と「優しい子供になってくれたら」とか「人の気持ちがわかる人間になってくれたら」といったようなことを考えてはおられますが、最終的に「明確」であることは少ないものです。
子育ての目標が明確でないと子どもの一挙手一投足に一喜一憂することになります。
その点でアドラー心理学の子育ては目標が明確です。「自立」へ向かって親が指針として取り組むことができるようになります。
目標が明確であれば、親が子どもの行動に振り回されたり一喜一憂することもありません。不登校も長い人生の視点から見ると一つの自立への通過点の出来事にすぎないと考えることができそうです。
「これはどういうことだろう」「自分にできることは何だろう」・・
不登校に限らず子どもの不適切な困った行動については、家族・親子というグループ単位で発想する習慣が付くのがアドラー心理学の実践です。
不登校という現実は、家族・親子にとってどういうことだろう?自分はこの問題に対して何ができるだろう?という発想ができるようになります。
すなわち「現実の問題」を自分たちが取り組むべき課題として認識できるようになり、皆の問題として考えるようになるのです。
親は現実に向き合う「勇気」を持てているか・・
アドラー東北の親の会に参加すると、子どもが不登校になっているのは「適切な行動をする勇気が持てていない」とか「勇気をくじかれて学校へ行けなくなっている」といったお話をします。
親が子どもに「勇気を持てるよう勇気づけをしていきましょう。」ということもお伝えします。
ところが子どものことで親自身も勇気を持てていないことが多いのです。
自分がまず「勇気」を持てていないと子どもに勇気づけはできません。
そういう意味でも親が自分を勇気づけることが必要になるのです。
自分を勇気づけることができ、親自身が「勇気」を持ててこそ、不登校の子どもに「勇気づけ」ができるようになるのです。そのためにはまず親自身が「勇気づけ」を学んでいかなければなりません。
普通って何だろう・・
不登校を一つの能力として認める考え方があってもいい、枠組みにはまらない子どもを特別として排除する社会であってはならない、とアドラー東北は考えます。
枠にはめようとするから本人も苦しむし、それを求めるから親も苦しい。
ところがその仕組み・システムが今の世の中にはまだないので、家にいる。
勇気をくじかれて勇気を枯渇させてしまっている子どもにとって、ありのままの自分を認めてくれる存在は不可欠ではないでしょうか。
それは親しかないのではないかと思うのです。子どもの良さを見つけられないのは、それが欠点にしか見えていないということもあるでしょう。
でも視点を変えればそれはそれはその子の能力なのかもしれません。
子どもは大人の世界から学んでいる・・
神戸の小学校で起きた教師間のいじめは、当人同士の問題に収まらず、結果として生徒4名が不登校になるという事態に発展しています。
生徒にいじめについて諭さなければならない教師が、いじめをしていたのでは、話になりません。
これを深刻な事態としてとらえず放置していた学校側の責任は大きいと思います。
いじめは「タテの関係」が背景にあります。上と下の人間関係があって、上の立場の者が下の立場の者へ「逆らえない」という前提のもとなされるパワーハラスメントです。
閉鎖的な学校という中で起こったこの事件、何かがあるたびに影響や最終的な被害を受けるのは生徒・子供だということを忘れてはなりません。
大事なことが聞けない親子関係・・
お子さんが不登校になってしまった時にご相談で親御さんから話されることが多いと感じるのは「うちの子が何を考えているのかわからない」ということです。
それは普段から話し合える関係が築けていないということでもあります。
不登校という現実に直面したからこそわかることでもあります。
アドラーの子育てはお子さんとの話し合いがベースです。不登校をきっかけに親子関係を見直し、関係の構築をし直すチャンスでもあるのです。
これから社会に出て様々な困難にお子さんが立ち向かえることができるように「勇気づけ」をベースにした親子関係に変えていく。ピンチはチャンスでもあるのです。
「学校に行かないなんでとんでもない」と決めつけない・・
近年のいじめの報道を見ていて、現実問題として当事者になったとしたらあなたはどうしますか?
もしも命の危険を感じていたとしたら、学校へ行かないということは選択肢の一つとしてあると思うのです。この場合には不登校そのものが不適切とは言えません。
親であるあなたも安全が確保されていない場所に子どもに行ってほしいとは言えないでしょう。
またただなんとなく行きたくないという漠然とした気持ちで学校へ行かなくなっている場合もあります。その際にはよく子どもの気持ちを聞いていかなければなりませんし、本当の気持ちがわかるまで時間がかかるかもしれません。
学校へ行かないことが「不適切」であるかどうか、それは状況や子どもの気持ちにもよると思います。
親が最もだと思う理由があるかもしれません。また子供には子どもなりの筋道があってそう考えています。
学校へ行かない(不登校)を「悪」と決める前に子どもとじっくり向き合い、話をきける親子関係を築いていくことの方がこれからの子供の将来には必要だと感じています。
不適切な行動の四段階の最初の段階であることが多い・・
子どもが低学年の場合、また同年代の子供より精神的に幼いといった場合には、子どもは「注目」を得たくて不登校という方法を選択している可能性が大きいと思います。
親が速やかに「勇気づけ」の子育てにシフトすると、短期で改善の可能性が高いです。
不登校という自分にとってあまりメリットのない方法を使わなくても、親が自分に注目してくれることを理解できるからです。
不登校のお子さんが低学年の場合、また精神的に他の子より幼いなと感じている場合には速やかにアドラー東北にご相談ください。
発達障害等の事情がないのであれば仙台・親の会に参加してSMILEを受講することで改善する可能性は高いと思います。
高学年に行けば行くほど改善は難しくなります。なぜなら学校に行かないという決定は自己決定であり、揺るがないことが多いからです。その際には別の進路を話し合いで決めていく方法が有益と感じています。
学校に行く、行かないだけで見ると気が付かない適切な行動・・
不登校は親にとってみれば許せないほど不適切な行動かもしれません。
それでも家にいる子どもはその不適切と思われる生活の中でも多くは適切な行動をしています。
家にいるということは、少なくても家族や家庭を安心していい場所だと認識して親に対しても自分の味方だと思っていることはあると思うのです。
親の方が学校に行く、行かないにこだわり、そこだけを見てしまうと、不適切で片づけてしまいがちですが、子どもの生活全般をよく観察して不登校でも家庭内で適切な行動をしていることに気が付き勇気づけをしていくことが大事になります
とても大事なことは、より広い視点でその子をよく観察するということです。
目先の不登校「学校へ行く行かない」だけをみているとそういうことにはなかなか気が付きません。
より広い視野が持てるよう、仙台親の会では話し合いをしています。
生活のリズムを整えることが大事・・
学校へ行かなくなって毎日家にいるようになった子供が昼夜逆転・ゲーム三昧で困っているというお話は親の会でよくお聞きします。
家庭には家庭のルール、リズムがあると思うのですが、それが全部崩れてしまっているのですが、不登校になる前からそうだったのであれば、家庭の運営そのものを見直すことが必要ですし、もしもある程度のルールやリズムが出来上がっていたのであれば、それをできるだけ子どもに協力してもらって維持することが大事です。
規則正しい生活を家にいてもある程度保つことができていれば次のステップにも進みやすいのです。
家にいても何か簡単な役割を担ってもらってやってもらうなど、自由気ままに過ごさせるのは好ましくありません。
不登校だからと言って家族というグループに所属している一員であることには変わりがないのですから、それなりの役割をもってルールを守ってもらうことを考えていきたいものです。
お子さんが不登校になっている今、あなたはどこに視点を当てていますか・・
不登校になってしまうと子どもが全部だめになってしまったかのような気持ちになってしまう親御さんは多いです。
普段からどういうときにお子さんに声をかけておられるのかお聞きすると、できていないこと、不足なところに声をかけておられます。
そうすると子どもは勇気を持てないのです。子どもは本当にできていないことばかりなのでしょうか?不足なところばかりなのでしょうか。不登校になってしまったら人生が全部終わりなのでしょうか?
アドラー心理学の子育ては、子どもの見落としがちな当たり前にできていることに注目するトレーニングを行います。
ちゃんとやっていること、できていることに親御さんが注目して声をかけると子どもはとてもうれしく感じ、勇気を持てるのです。
勇気をくじかれて不登校になった子どもでも適切な行動はたくさんしています。
学校に行かなくても家にいてリラックスしているのであれば、家は子どもにとって安心、安全な場になっているということです。これは親を含め家庭、家族をお子さんが信頼していないと信じていないとできないことだとアドラー東北は考えています。
仙台親の会でもひとそれぞれ・・
勇気をくじかれている子どもにとって「学校へ行け」といわれたり、「行かされる」というのは、とてもつらいことです。
それでもなんとしても行かせようとする親がいるのはなぜなのでしょうか?親の側のゴールは「学校へ行かせる」と決まっていて、どうしたらそこへ子どもを導けるかと考えます。
それは誘導であり、操作です。反発できるぐらいのお子さんであればいいのですが、ほとんどのお子さんは黙って我慢するか、精神的に引きこもって親に対して本音や何も言わなくなるか、実際に自分の部屋に引きこもってしまいます。
家庭の役割は、学校や社会にでる前の良好な人間関係の訓練の場でもあるのです。グループの中に「操作する側」「される側」という関係があると、子どもは他者と良好な関係が築けず不適応を起こしてしまいます。
家庭内で穏やかな人間関係が築けてこそ子どもは外へでかけて他者ともそういう関係を築けるようになるのです。
そういう意味で学校へ行く、行かないよりも、親子関係がどうか・・・のほうが長い目で見ると大事だということがわかります。仙台不登校親の会ではそういったことについてもお話ししております。
ゴール設定はひとそれぞれ
仙台親の会に来られる方でも「不登校」についての捉え方は人によって違います。
学校へ行かないなら行かないでいいが、今のまま(家から外へ出ないとかゲームばかりしているとか)では良くないと感じておられる方。
なんとしても学校へは行かなければならないという考えの方。
不登校という現実に対しての目指すゴール設定は人それぞれです。
ところが本来どうしたいか・・・は子どもが決めることです。子どもの期待を満たすために親がいるのではないと同様に親の期待を満たすために子どもがいるわけではないからです。
親が今までの子育てから勇気づけの子育てに変わることで子どもがどうしたいのかを自分で決められるようになる。
それが子どもの自立の始まりでもあり親の自立の始まりでもあるのです。
大事なことは目に見えない
親も余裕がない中で子どもが不登校になる、そんなケースを多く見るようになってきました。
余裕がない中で子どもの問題・不登校に向き合おうとするとどうしても「学校へ行かないこと」や「ゲーム三昧」「昼夜逆転」に目が行くようになります。
そういう状況では子どもの支援や子どもとの基本的な関係を立て直すことはできません。
やらなければならないことを増やすのではなく、やらなくていいことを決めるという考え方の転換が求められます。
アドラー心理学の課題分けを学び実践すると自然に「これは私の課題」「これは相手の課題」と分けることができ、自分の課題でないものは優先順位を下にしたり、しなくていいことに分類することができるようになります。
いっぱいいっぱいだった心のコップに余裕が生まれます。子どもの支援の前に親の余裕をどう作るかも大事なことなのだと考えさせられた会でした。
夏休み前から登校しぶりがあったものがとうとう行かなくなる
「いやだいやだ」と思いながら行っていた学校にとうとう行かなくなり、夏休み明けに不登校になってしまった、というケースはよくお見受けしますしご相談も多いです。
お子さんには我慢の限界が来てしまって、夏休みでぎりぎり我慢していた糸が切れてしまった状態になります。
だいぶ不登校に対する世の中の認識が変わり始め、支援も増えだしているとはいえ、まだまだ「学校に行かないことはいけないこと」という悪の評価は付きまといます。
なんとなく夏休み前からその兆候があり、親御さんの危惧が的中してしまったというお話もよくあります。
登校を無理強いしないこと、休ませてあげる気持ちで対応できればいいのですが、こんな時焦ってしまうのも親心です。
親子関係を見直す時期に来ているという気持ちで、これから先のことを考えて行きたいものです。
仙台親の会ではそういうご相談に応じています。
人はそれぞれのペースでできないとストレスがたまる
学校は時間で物事が進んでいく場所です。家庭で自分のペースで暮らしてきた子どもが適応するのは、なかなか難しいことですが子供たちはなんとか自分なりに適応していこうとします。
それでも物事をこなすことが早い子どもとのんびりした子はいるものですから、追いつけない子供も出てきます。
給食を食べるのが遅かったり、グループで決めること、こなすことを時間を区切られているのにできない子がいたり・・・です。
そういう子に対して邪魔にしたり排斥したりするようになると、その子は居場所を失います。自分がそこにいると邪魔になるのだと感じ、迷惑をかけていると感じ、いない方がいい・・と感じるのです。
そういうことも不登校のきっかけになるでしょう。自分のペースでやれて、やり遂げると自信が付きますから、また勇気が持てるようになります。
のんびりしたお子さんには少なくても自分のペースでやれる場所や時間を作ってあげられればいいのだがと感じることが多いです。
良いところとは不適切でない適切な行動に注目すること
仙台不登校親の会では、アドラー心理学で不登校をどう捉えているかについてお伝えした後、必ずお子さんの良いところ探しをします。
シートにお子さんの良いところを書いてくださいね、と申し上げるとほとんどの方がなかなか書けないことが多いです。そして欠点しか思い浮かばないとおっしゃいます。
そこで親の会に参加している他のメンバーの力をかります。
「朝は一人で起きてきましたか?」「ご飯を一緒に食べましたか?」「何か言葉を交わしましたか?」などです。
え?そんなことが良いところ?と皆さんびっくりされます。良いところとは特別に何かをできると言う事ではありません。当たり前と見過ごしていることこそ適切な行動であり勇気づけるところなのです。
勇気を持って足を運んだからこそ得られることがある
28日に親の会を仙台で開催しておりました。早速次の日にご参加の方からうれしいメールをいただきました。
初めて参加して自分の話を一生懸命聞いてもらい、子どもの良いところを一緒に探してもらい、うれしかったこと。
さっそく勇気づけを始めたら子どもたちがうれしそうであったこと、などをお知らせいただきました。
勇気をくじいていなかったので(お子さんとの関係がもともと悪いわけではなかったので)このままやり続けていけば子どもは自立へ向かっていくと思います。
不登校親の会に勇気を持ってくればこそ「希望が見える」のです。
子どもが勇気をくじかれて学校へ行けなくなっているのであれば、親が勇気をまず持つことが大事です。
仙台の不登校親の会はそういう人を応援する会です。
勇気をくじかれた子どもが勇気を持てるように支援する
不登校に限らず子どもの不適切と親が感じる行動について親が変えようとすると軋轢が起きます。
立場を変えて考えてみるとよくわかるのですが、だれかがこういったとします。「あなたのそこが私は嫌なので私の気に入るように変えてください。」と言ったらあなたはどう感じますか?
アドラー心理学の基本前提は「相手を変えようとせず自分が変わる」です。
その考え方で不登校を考えると「学校へ行かせようとする」のは、相手を変えようとすることであり軋轢が起きるのは当然なのです。
それでは親御さんはどういう風に考えたらいいでしょう?「どうしたら学校についてこの子と話し合えるだろうか?私の意見に耳を傾けてもらえるだろうか?」と発想を変えるのです。
そう変えると「自分にできること」が見つかります。
親には親の意見があり、それを伝えることは構いません。それを受けてどうするかは子どもが考えることです。
困難を親子で乗り越える試練
「あなたはどういう家族になればいいと思っていますか?」
この問いにすぐに応えられる親はいない。自分は自分のことで精いっぱい、子どもは子どもで忙しい。
日々のルーティンに追いまくられて子どもとの関係を見つめることもできないというのが親の現実である。
子どもに何か問題が起きて、不登校になってようやく子どもに目が行く。
そういう家族にとっては不登校は家族のあり方を考えるきっかけにもなる。
相手がどんな状況でも共に暮らす仲間として何ができるかを考えるのがアドラー心理学である。その時にあなたの人生が問われると言っていい。
公的支援はどこまで当てになるのかならないのか・・
不登校のお子さんに対しての行政の支援は、自治体によってかなりの差があるようです。すでに何らかの形で設置したところもあれば、今後も設置の予定がないところもあります。以前に比べれば設置状況が進んでいるのはそれなりに努力をしていることであり、その姿勢は大いに評価したいところですが、方や今後も設置予定がないと回答した自治体の言い分として「利用が見込めないから」というのがありました。
これでは最初からやる気がないのと同じだと思います。子どもの支援と教育にかかわる分野は行政が積極的に取り組むべき問題だと思うのですが、不登校になって学校の枠にハマらない子供の面倒までは見られませんということです。
画一的な枠組みにハマらないものを排除する、見て見ないふりをするそんな論理が子どもの教育にまかり通ってはならないと思います。
子どもは社会の宝である、大事にしようとする姿勢が欲しいものです。
個別の対応を・・・と考えがちであるが
不登校になっているお子さんには、必ずなんらかの複合的要因があります。
たとえば「学業不振」-学校の授業についていけないとか、「いじめ」-クラスの中でいじめがあり、いじめられて孤立して辛い、とか。
いずれにしても親がアドラー心理学を学ぶことでお子さんに対してできることはたくさんあります。
まず話を聞いて受け止めてあげること。評価せず黙って聴いてあげるだけでもお子さんはホッとしますし、安心して話せる人が傍にいることが勇気づけにもなります。
受け止めて認めてもらったことでお子さんがまた勇気を持てて前に進めればいいのです。
形が問題なのではありません。どういう方法でもどういう進路でも、お子さんが自分なりに前に進もうと思えることが大事なのです。
そういう意味で不登校には様々な付帯要因があるけれども、アドラー心理学で考えると、「勇気をくじかれている」から「勇気づけをする」という基本スタンスはとてもシンプルで効果のあるアプローチと言えます。
自分を責める必要はない・・
お子さんが何か問題を起こしたとか、不登校になったとしても、あなた自身の価値は何も変わらないということを親の会でも講座でも繰り返しお伝えしています。
アドラー心理学では「自分は役に立っている」という貢献感を大事にしていますが、あなたという存在があってこその子育てなのです。
ですから方法を変えたり工夫する必要はありますが、子どもを生んで育ててきた今までのあなたの価値には何の変りもありません。それどころか大いに自分を認めるべきだとアドラー東北は考えます。
自分は世の中の役に立っている、家庭内で子育てしていることが本当は今の社会の根っこを作っているのだということを理解していただきたいし、大いに自信を持っていただきたいと考えています。
勇気づけのクラスに変える・・
不登校に限らず不適切な行動をする生徒の対応に困ってアドラー東北に足を運ばれる教員の先生は多いのですが、目先の対応で何とかしようとするとうまくいきません。
まずクラスを勇気づけにあふれたクラスに自分が買える事。
生徒が思わず身を乗り出すような楽しくよくわかる授業をすること。
この二つだけで、生徒にとっては学校に行く意味があるようになるのです。
自分は変わらないで学校のシステムや親の不出来を嘆いていても現実は変わりません。
誰かや何かのせいにするのをやめて自分にできることを探すのです。現場の先生方も変わる必要があるのです。
子どものサインを見逃すな・・
政府白書によると若年層の自殺は増加しているという。
「死にたい」と考えている子どもに対する原因の調査では、小学生・中学生では、「家庭不和」「家庭内のいざこざ」「親のしつけ」などが原因としている。
高校生になると「学業不振」や「進路」が多くなる。
不登校も子どもが「今の現実が嫌だというサイン」の一つであり、普段からの親子関係がどうであるかが問われる。
死にたいと思っている子どもが増えていることを私たち大人は真摯にとらえ取り組まなければならないと感じている。
アドラー心理学で言うと自殺は「復讐」という目的が大きい。自分を理解しない認めない周りの大人への復讐を自らの命を絶つという方法で達成させてはならない。
教育の機会を奪わないために・・
今の学校教育という枠に収まらない個性豊かな子供たちに、不登校になって後、教育の機会をどのように提供して行ったらいいのか。
教育現場でも試行錯誤が始まっています。今までは保健室登校や、放課後登校などの部分登校の措置が取られていましたが、来たという事実認定のみが優先で、子どもの教育を受ける権利の補償には到底及ばないものでした。
そんな中である学校では、学校内にフリースクールを設置するという画期的な対応をしているようです。
文科省が学校のシステムを変えない以上、個別にこういった英断的試みが学校側の判断でなされることはとても子供たちにとっては意味のあることだと思いますし、これからもそういった学校が増えていくといいのだがと考えています。
愛は伝え方を間違うと勇気をくじく
子どもへの愛を持っていない親御さんはいないと思います。
でも子どもが不適切な行動をしたり登校しぶりになるのは「勇気をくじかれているから」であるとするなら
今の愛の伝え方では勇気を与えてあげていることにはなりません。
子どもはどんな時も愛されていると感じると、自分なりに努力をするものです。また勇気が持てます。
アドラーの子育ては、親の愛の伝え方を変える子育てです。子どもに愛が伝わると子どもは勇気を持って困難に立ち向かっていくのです。
「管理」をする組織からは人材は生まれない
学校の規則が細かいのは、トラブル回避の管理組織に学校がなっているからです。
様々な価値観の親とそしてその子どもが集う場として全体を把握し、問題を起こさないようにするとそういう細かい規則が必要になります。
その学校で作った細かい規則に縛られた枠にハマりたくないと思っている子どもがたくさんいるでしょう。ハマりたくない子どもは我慢して行くか、それとも行くのをやめるか、の選択に直面します。
管理社会化している学校と言う組織から、豊かな人材が育まれるとは思いません。不登校のお子さんこそ、規制の枠にハマらない才能豊かな資質を持った人材なのではないでしょうか?
親は理由は聞くが気持ちは聴かない・・
「どうして学校へ行かないの?」
お子さんが不登校になるとたぶんほとんどの親御さんはそう聴くでしょう。
理由を聞かれても答えられない場合が多いのではないでしょうか。
「どんな気持ち?」とお子さんの気持ちを聞くことはほとんどないのではないでしょうか?
本当はどちらが親として必要なことなのかよく考えてみたいものです。
不登校をめぐっての様々な出来事・・
アドラー東北の親の会はお子さんの不登校についてだけ話をする会ではありません。
不登校をきっかけに親としてどうこれから子どもに接したらいいのか、親としてどうあればいいのか、時には無関心な家族や過干渉な家族・周りの人たちについてなど当事者が抱えている問題はたくさんあります。
相談者が愚痴をこぼせる場所があるということは大事なことです。
不登校という現実に付随して起こっている当事者ならではの気持ち、安心して本音を話せるからこそ、気持ちが軽くなる場になっています。
初回参加で気持ちを少し楽にしていただいて一か月の勇気づけのチャレンジをしていただけるようにしています。
学校のシステムが変わらないうちは適応できない子供は増え続ける・・
様々な情報をインターネットで手に入れる機会がある現代では、その恩恵を受けているのは大人だけではありません。子どもたちも同様にその情報を見聞きし、様々な価値観があることを知っています。
価値観はひとつではなく自分で選択できることも知っています。そういう中で画一的な教育が学校でのみおこなわれているのが現実であり、グローバル化の世の中に適応できていないのです。
画一的な枠の中に入らない子供が増えていくことは容易に想像できますから不登校も増え続けていくでしょう。その現状を踏まえずに学校のシステム改革をしないとすれば、子どもの教育の機会均等を謳っていながら国の怠慢は問われることになると思います。
お子さんが不登校になって責められるのは親ばかり・・
不登校になると、親が責め立てられることも多いようです。
ひどいケースだと父親が母親を責める、同居している姑・舅がしつけが悪いとか、育て方が悪いとか、甘やかしているとか、といって親を責める。
学校や塾に休む旨を連絡すれば「またですか?」と言われたり「親の責任ですから何とかしてください。」と言われたりする。
これでは親の方もまいってしまいます。なんとかしよう、学校へ行かせようとすればするほど親子関係は悪化しますし、どうにもならなくなって追いつめられるのです。
仙台の中心部でアドラー東北が親の会をするのはそういう背景を考えて・・ということもあるのです。知り合いのいないところへ出かけて行って本音を出してもらう事。それも一つの方法ではないでしょうか?
そういう考え方もあるのか・・・と視野が広がる
お子さんの不登校という現実に直面している方は、同じところを何度もぐるぐるとまわって考えています。ネガティブな思いを抱えたままそこから抜け出せなくなっていて、それがより自分を苦しめているのです。
そんな時こそ誰かの力が必要で、アドラー東北の親の会は話をお聴きしながら、経験者の話を聞いたり、様々な価値に触れることで気持ちが楽になります。
来た時とは別人のようにお顔が晴れやかになって帰られる方がほとんどです。
1人で同じところを回るとどうしても「煮詰まる」ことは避けられません。そんな事態を打破したい方、今の状態から少しでも気持ちが軽くなればと思う方のご来場をお待ちしております。
褒めるは上から目線・見下されたと感じるとますます勇気をくじかれる
不登校に限らず子どもが不適切な行動をするのは、勇気をくじかれているからとアドラー心理学では考えます。
子どもがなんとか元気になって学校へ行ってほしいと思う親は、時に褒めることをしがちですが、残念ながら褒めるのは上から下へしか使えない上から目線の言葉です。
見下されたと感じた子どもは勇気をくじかれてしまいます。学校に行く勇気を持ってもらえるように勇気を与える言葉が勇気づけです。その言葉で子どもが笑顔になる、うれしいと心から感じる言葉でもあります。
大人の決めた枠や理想に縛られない子供たち
現在グローバルな視点が必要とされる世の中で、子どもも自由に情報を手に入れられるようになっています。
大人だけではなく子供も価値観の多様化が起こっていると思われるのですが、学校現場だけがいまだに古いやり方を継承し続けています。
みんな仲良く同じに横並びで・・・からはみ出してしまう子どもが増えていることは容易に想像できることです。
これは国の教育システムが変わらないと、今後もその枠にハマらない子供たちは増えて続けていくと思います。
そういった子どもたちが不登校になったり、また発達障害としてはじかれているのです。
子どもの特性を枠や理想からはみ出すからと言って忌み嫌うのか、それとも個性として伸ばしていく教育環境を整えるのか、これからの国の姿勢が問われると思っています。
けれども現在「不登校」になっているお子さんや「発達障害」として別扱いされている子どもたちに教育の機会を均等に与えることは私たち大人に課せられた義務です。私たちはその努力は常にしていかなければならないと感じています。
いまならまだなんとかなるという親心があだになる
「なんとなく学校へ行くのを嫌がるようになった」
「休むことが増えてきた」
こんな時、親も学校の教員も「このまま不登校になってしまったら・・・」と不安に駆られてしまいます。
そして「登校圧力」をついかけてしまうのです。説得を試みたり、無理に行かせたり、なだめたりすかしたりしながらなんとか学校へ行かせようとします。
登校しぶりは「疲れたよ」「もう限界だよ」「休みたいよ」という子供からのメッセージです。
うちの子危ない・・・という親心が、子どもの心の点滅黄色信号を赤に変えてしまうことが多いです。
こんなとき親に気持ちの余裕がないと、「たまにはいいよ」という言葉は出てきません。以前に比べて学校へ必ずしも行かなくてもいいという考えの方も増えてきましたが、まだまだ「学校へは行くべき」がメジャーな考えです。
親子関係が勇気づけをベースにできていると普段から子どもの気持ちがわかりますので、こんな時もあわてずに済みます。不登校は誰にでも起こり得る事態になってきているのです。
全国からのお申込みが多い不登校無料レポート
アドラー東北には全国から不登校のご相談が来ており無料レポートは地域を問わず購読しておられます。
現実的に仙台の親の会にご参加は無理な場合、アドラー東北では、簡単にできるお子さんとの関係改善法をプラスメールでお送りしています。
無料レポートの他に具体的な対応についてお知らせしますので、大変喜んでいただいています。
遠隔地からのお問い合わせにも満足していただけるようアドラー東北はこれからもお役にたてる情報を発信していきたいと思っています。
いい時もあれば悪いときもある・・・が確実に変化が訪れている
6月の親の会は、現在勇気づけプログラムを進行中の方と、新規の方のお話を中心に進めていきました。
継続中の方は、まず親子関係の立て直しからでしたので、頑張られてお子さんの良きところに注目し、勇気づけを続けてこられました。
お子さんへのダメ出しがなくなり、関係も良くなってきています。
新規の方のお話をうかがうと大概はお子さんのできていないこと(不登校も含め)を圧倒的にお話になられるのですが、参加者全員でお手伝いをして「お子さんのできていることリスト」を作成します。
それを基に一か月勇気づけをしていただきます。変化を一か月後にお話ししていただきますが、ほとんどの親子関係が良好なものに変わります。そのうえで家庭を盤石なものにしていただくためにSMILE受講をお勧めしています。
はじめてお子さんの良いところ探しをしてびっくりされる方が多いのですが、今までやったことのない方法を採用することで、親御さん自身の視点が変わり、勉強にしろ学校のことにしろ、話し合える関係をまず目指していくのです。
自分が役に立たないダメな人間だと感じている
居場所がないと感じた子どもは学校へ行かなくなります。自分はここにいても何の役にも立たないと感じているからです。
また家庭でも学校へ行かなくなったことについてダメ出しをされると、ここにも居場所がないと感じます。
家庭内にも居場所がないと感じると自分の部屋に引きこもってしまいます。
居場所があると感じるにはどうしたらいいのでしょう。
「自分は役に立っている」という思いをたくさん持てるように親が工夫しなければなりません。
何かしてくれた時だけでなく、何をしてくれなくても、あなたがいてくれるだけでいい、あなたがいてくれるから頑張れる、そう思えることが大事です。
失ってからでは遅いかけがえのない子どもの命を第一に考えたいものです。
重くのしかかっていた子どもの不登校に希望が見える
かけがえのないわが子、それでも親はどうしても「もっともっと」と要求してしまうことが多いようです。
生まれた時には「健康で無事でさえいてくれればいい」と願っていたのに、成長するにつれていつの間にか要求が多くなっていきます。
親の会に参加すると原点に戻ることができるようになります。
居てくれることがどれだけ親の支えになっていたのかがわかるのです。
存在そのものが親にとってかけがえのないことだったと言う事にも気が付きます。学校へ行く行かないは問題にならないのです。
あってはならないこと⇒あってもかまわない、あるかもしれない、に変わる
先日受講生の交流会があったのですが、もう4年ぐらい通っていらしている方が第三子をご懐妊していることがわかり、参加の皆さんで喜びを分かち合いました。
最初は第二子を出産したばかりだったときに自分でいっぱいいっぱいになりキャパオーバーを感じてアドラー東北にいらしてくださったのです。
毎日子供を叱ってばかりいて、あのままでは虐待に走っていたかもしれないとおっしゃっていました。あのころのご本人には三人目のお子さんを持つことなど考えられなかったことでしょう。
それが今はすっかり子育てを楽しみ、前向きに取り組めるようになったとのこと。第三子の出産をとても楽しみにしていらっしゃいました。
アドラー心理学と先生との出会いに感謝ですとおっしゃっていただきとてもうれしい夜でした。
子育ては辛いもの、という視点が変わり、共に育つ楽しみになったのかもしれません。
不登校についても同じで、最初は「あってはならないこと」であったものが「そういう時期もあるかもしれない」や「合わないこともあるだろう」という思考に変わっていく方も結構おられます。
お子さんや自分に優しい発想に変わっていかれるのはとてもうれしいことだと感じています。
学校にも家庭にも居場所がない子どもはどこへ行ったらいいのか?
アドラー心理学では「人は居場所を求めて行動する」と考えます。
それを裏付けるデーターがこのグラフです。
学校にも家庭にも居場所がないと感じている子どもが多いと言う事です。
学校をいま今変えることは現実問題として不可能ですから、まずは家庭に居場所を作りましょうというのがアドラー東北の考えです。
自分は安心してここにいていいと感じられるような家庭環境が必要です。
どうしたら安心して家庭という場所に居場所を持っていると感じられるのか。
親がまず変わらなければなりません。アドラーの子育て法はまさにこの子どもの居場所作りの子育て法なのです。
文科省の調査と当事者の調査でなぜこんなに違いが出るのか?
NHKが不登校の中学生に直接調査した結果が、文科省の調査と比較してグラフ化されています。文科省のデーターは主に教員が回答しています。
このデーターから立場が違えば見える景色・解釈は全く違うと言う事が良くわかります。
少なくとも学校は誰のためにあるのかと考えると、この意識の違いはとても大きいですよね。
子どもにとって教師との関係が悪いと言う事はとても大きな影響があることがわかります。
またいじめの対応がうまく行っていない現実なども浮き彫りになっています。
一概に子どもの問題と片づけるわけにはいかない現実が浮かび上がってきます。
学校の変革の前に教師の意識の変革が必要な気がします。
不安でいっぱい・・・
不登校に限らずお子さんは初めての体験をしながら育っていきますので、不安でいっぱいです。はじめての学校、初めてのクラス、初めての運動会、などなど不安を抱えながらもなんとかやっています。
まして不登校になったと言う事、学校へ行かないと言う事については不安だらけで安心感をもてないでいる状態と言えるでしょう。
そんな時安心感を持てるようにしてあげられるのは親の務めです。ことさらに親が不安感を募らせれば、子どもの不安は増幅していきます。
お子さんの学齢が低いほど「大丈夫だよ」の一言を常にお子さんにかけてあげたいものです。
でも~、だけど~、に陥る負のスパイラルために
どうしてもできていないところ、不適切なところに目が行きがちなのが子供さんとの関係に悩んでいる親御さんの共通点です。
相手の良きところにはなかなか目が行きません。それでアドラー東北の仙台親の会では、参加者みんなで当事者のお子さんの良いところ探しをします。
起きてきた?ご飯食べた?とか、お弁当全部食べた?とかみんなで少しでもできたことを見つけていきますが、初めての方は「え?そんなことまで?」と思われるようです。
勇気づけるためには良いところ、当たり前として見過ごしているところに注目できるようになることが大事。最初は皆さん手こずるようです。
新学期から学校へ行きだした長男さん・・
昨年の夏からご夫婦で親の会に参加しておられた方からうれしい報告をいただきました。4月新学期から学校へ行き始めたとのこと。
5月の仙台親の会でご報告をいただけることになっています。昨年末のSMILE受講から3か月、真摯に家族皆で取り組んだ結果だと思います。
家族一人の問題は家族みんなの問題。協力して家族が問題解決に取り組むというのは大きな力になりますし、学校へ行けない本人にとっても「自分は一人じゃない」「自分はみんなに思われている」「自分には価値がある」と思えるきっかけになるのではないでしょうか。
勇気をくじかれているから学校へ行けない・・
子どもが不登校になっている状態は、学校へ行くのが子どもにとって困難になっているのです。
ですから困難に子どもが立ち向かうには「勇気」がいります。
子どもが勇気を持てるのは勇気づけられた時だけです。
それは私たち親も同じです。親が子どもを支えよう、共にこの困難を克服しようと勇気を持てなければ、子どもを勇気づけることはできません。
親が勇気づけを知り、それを子どもにできて初めて子どもは自分に自信を取り戻し困難に立ち向かおうと思うのです。
子どもはいろんな場面で経験値がない分自信が持てないことが多いです。「自分にはできる。自分には能力がある。」と思うのは親や周りの大人に勇気づけられた時なのです。
環境が変わるストレスは大人も子供も同じ・・
大人でも環境が変わることはとても不安を感じるものですし、大きなストレスになります。
まして子どもは経験値の少ない分その不安はとても大きいものです。
そんな時、もしも親のあなたや周りの大人が「大丈夫?」と聞いても「大丈夫」と答えるのが常です。
相手の気持ちに敏感で優しい子どもほど、その傾向が強く、我慢してしまったり、傷ついた気持ちを隠しています。
どんなことでも安心して話し合える親子関係であれば、環境の変化にも親子で乗り越えることができます。自分一人で我慢したり抱え込む必要はない、ということをお子さんが理解していることが望ましいのです。
親や周りの大人は、困ったときには自分を助けてくれる頼りになる存在である、そうお子さんが思えていればいいのです。
今子どもがどの段階にいるのか・・による
子どもが不登校などの不適切な行動をする場合、アドラー心理学では4つの段階があると考えます。四つの段階のどの段階でどの目標を達成しようかと考えていると見立てるのです。⇒4つの段階・子どもの不適切な行動の目標。
一番上の段階にいる場合には、親が勇気づけを基にした関わりをすると比較的短期で問題は解決します。
一番下の段階にいる場合には、長期化します。問題が深刻で、それだけ勇気をくじかれているとアドラー心理学では考えます。
親の会に来ていただいて、子どもの状況をよく把握されている場合には、どれぐらいの期間がかかるかについてお伝えできることもありますが、最初にいらしたときにはほとんどの方が、自分のいまの気持ちで精いっぱいなので、しばらくの間親の会で落ち着きを取り戻していただけるようになることが理想です。親が冷静に子どものことを見られるようになることで、不登校解決の足がかりができるのです。
分かってくれている・理解しようとしてくれていると感じること・・
お子さんが学校へ行かなくなると親は自分の気持ちをわかってもらいたくて必死になります。
不登校がこのまま長引いたらどうしよう。この子はこれから先どうなるのだろう?といった不安でいっぱいになります。
そしてなんとかして自分の気持ちをわかってもらおうとします。
でもその前に本当は子供の気持ちをわかろうとすることが大事なのです。
自分の気持ちをいったんおいておいて、子どもの気持ちを聞いてあげられるようになること。共感と言うことができるようになることは、不登校に限らず子供の問題を抱えた親御さんにとってはとても大事なことだと感じています。
親としてどうあるべきかがはっきりする・・
今年はSMILEを2回開催させていただき、お子さんの不登校で悩んでおられる方、お子さんとの関係が悪化して危機感を持たれている方などのご参加をいただきました。
SMILEでは最初に子育ての目標を考えます。皆さんが口をそろえて自分のお子さんが生まれた時には「健康で元気で育ってくれればいい」と思ったとおっしゃっていたのが印象的でした。
どうしてその後に要求ばかりが多くなるのか、期待してしまうのか、期待に応えた時だけ褒めるのかといったことについても共に考える時間を持つことができました。はじめてお子さんをわが手に抱いた時「根拠を求めず居るだけでいい」と感じたその時の気持ちを思い出していただくことができたのは、とても良かったと感じています。
ちょっとしたきっかけを見逃さない・・
「どうして自分は学校へ行けないのだろう?」そうお子さんが感じることがあります。
友人との接触や、行事、進学、進級などのタイミングで動きだそうとするのです。
このタイミングはとても大事で、そのタイミングを逃さずに親が勇気づけていくことが必要です。
行きたいという意思があるのであれば、どうしたら行けるだろうねと親子で作戦会議を持つこともできます。
くれぐれも無理強いせずにできそうなところからチャレンジしてもらうのです。できなくてもまた話し合いを通してハードルを下げたり上げたりしていけばいいのですから、お子さんが落ち込まないよう失敗した時こそ勇気づけです。
そのためには親が勇気づけを知ってできていることが必要です。
良かれと思ってかけた言葉が子どもを追いつめることもある・・
不登校の子供さんは自分の話をするのが苦手です。学校へ行かない理由も、どう話したらいいのか、話してもわかってもらえるのか、分かってもらえそうもないから話さないでおこう、そう考えて口をつぐんでいます。
行かなければならないのに行けないのは本人が一番つらく苦しいのですから、そういった思いを一人で抱え込んでいます。
自分が学校に行けさえすれば、親が悩んだり苦しんだりすることもないのに、と親のことを心配したりもしています。そういう先の見えない不安と葛藤の中で彼らは生きているのです。
周りの大人が良かれと思ってかけた言葉で、さらに本人が追いつめられてしまうこともあります。親への不信、学校への不信、それが社会全体への不信になると外出さえままならなくなります。
長期にわたって不登校になってしまうこともあるのです。
勉強以外のことが多すぎる現実・・
学校現場が余裕がないことはすでに周知のことです。行事や授業、会議に追われ教員は目の回るような忙しさ。そして終わらない仕事は自宅に持ち帰り、その間も生徒に問題が起きれば対応に追われます。
家庭・親はどうかといえば今は女性が仕事をしているのも当たり前ですから、親もとても忙しい暮らしをしています。
そんな中で子どもが自分のことを相談しようとしてもなかなかできないというのが現状でしょう。親や教師にとっては子どもが不登校になるのは突然かもしれませんが、子どもにとっては長いそれなりの理由があってなっています。
そもそも学校とは何をするところなのか、なんのために行くのか、さえ親子で隔たりがあると思います。
まずは親や教師が余裕を持たなけばなりません。アドラー心理学を学ぶことでその余裕が出てきます。不登校対応の最初のステップはまず親が立ち止まれる余裕を持つことです。
部活の上下関係に疲れて・・
部活が大人数であれば、人間関係のストレスは当然起こります。うまくやろうとすればするほどプレッシャーもかかります。
部活をしなくて済むように不登校と言う手段を取らざるを得ないという子も出てきます。
この子たちにとって部活を休んだり、やめたりするのも大変なことで、説明しないとと思うとそれだけで学校へ行くのが嫌になったりするのです。
部活そのものが嫌で不登校になってしまったのではありません。「なんて言ったらいいか」がわからないのです。
「休部」という選択肢があることも知らないと悩みは深まるばかりです。子どもが少しでも学校へ行きやすいと感じる状況を作っていくことも不登校の支援には大事なことです。
部活の上下関係に疲れて・・
部活が大人数であれば、人間関係のストレスは当然起こります。うまくやろうとすればするほどプレッシャーもかかります。
部活をしなくて済むように不登校と言う手段を取らざるを得ないという子も出てきます。
この子たちにとって部活を休んだり、やめたりするのも大変なことで、説明しないとと思うとそれだけで学校へ行くのが嫌になったりするのです。
部活そのものが嫌で不登校になってしまったのではありません。「なんて言ったらいいか」がわからないのです。
「休部」という選択肢があることも知らないと悩みは深まるばかりです。子どもが少しでも学校へ行きやすいと感じる状況を作っていくことも不登校の支援には大事なことです。
「学校へ行かなくていい」はうれしいのか?
学校への登校しぶりがはじまり、そのうち不登校になり・・・が続くと、あっさりと「行かなくていい」と言う親御さんもおられます。
子どもはホッとする反面、寂しい気持ちもあるのです。なぜなら居場所を失ったと感じるからです。
所属できない自分をダメな人間だと思います。安堵の気持ちとはうらはらに、自分のことを否定してしまうのです。
大人でも疲れたら休むことを知っています。「疲れたら休んでいいんだよ。」と、言ってあげることで気持ちが楽になることがあります。
居場所がなくなったわけではなくて、一時お休みだと考えることで気持ちがとても楽になるのです。
地方紙掲載の連載の新聞記事から・・・・
各地方紙に毎週木曜日掲載で小児科の先生が不登校についてコラムを掲載しておられます。
9月の親の会でも取り上げました。小児科に来る子供は体の症状があってきますが、不登校でも体の症状のない子どもはどこへ相談したらいいのか親の方も困っていることが多いようです。第一回の連載では以下のようなことを書いておられました。
不登校になりたくてなる子どもはいないこと。肉体的、精神的、社会的に不安で満たされないからこそ学校と家庭と言う小さな世界で身動きが取れなくなっていると言う事。
学校へ行けないのは心が傷を負ってしまったからで、でも必ず元気になる」と伝えてあげたいということ。
心の傷は見えません。その心の傷を広げるようなことはしてはならないのです。
子どもの気持ちを考える・・・・
9月の不登校親の会では、ご参加の皆さんに「学校へ行かないと困ること」について考えていただきました。
実際には「勉強が遅れる」「受験に困る」「協調性が育たない」などが出ましたが、それは学校でなくてもできることであると言う事がわかったと思います。
親ごさんの人生を振り返ったとき、自分の人生も山もあり谷もあったように、お子さんの人生にも山と谷があるのです。そんなお話をしました。
自分が人生のどん底にいた時、あなたはどうしてもらいたかったでしょうか?誰かにどんな言葉をかけてもらった事がうれしかったでしょうか?
それをお子さんにもすればいいのではないでしょうか?
そういうお話を皆さんですることができました。
他の子と違うという不安・・・・
親に限らず私たちは常に他者と自分を比較しますし、比較されることが多いのですが、特に自分の子どもが他の子どもと違う事には敏感です。
学校の行事等でどうしても他の子を目にしてしまいますし、他の子ができていることが自分の子ができなかったりすると焦ったり不安に駆られてしまいます。
それでもっと頑張るように言ったりしてしまうものです。
ところがこの他者比較は考えてみるとキリがありません。誰かと比較して頑張らせたとしてももっと別の優れた子どもは目に付くのです。
どうして他の子どもと比較して自分の子どもを頑張らせたいのでしょう?何のためですか?
自分の自尊心・プライド・世間体といった言葉が浮かんできそうです。
こどもはあなたにとってかけがえのない存在であり命です。あまたを満足させるためにいるのではないのです。
どう過ごすか・・・・
学校に行かないからといって子どもを好き放題に暮らさせることは望ましくありません。
家庭と言う共同体に所属している一員として、協力できることはしてもらうというのが原則だと思います。
親が仕事に行っていて家にいる間何をしているのかわからないなどの声をお聴きしますが、一日のうちで、やってほしいことを提案して、子どもがそれを受け入れるのであれば積極的に家族のことに貢献してもらうことは子どもが自信をつけるためにも好ましいことだと思います。
最初は頼んだこともうまくできないかもしれませんが、協力してくれたことに注目していくことも大事です。
どの共同体であれ、枠組みの中で暮らしていくのが私たちと言う人間の存在ですから、一人で好き勝手はできないというのは、一つの大事なポイントであり、できそうなことをたくさんやってもらう、ただあくまで本人がやったことで家族のためになったと感じられるようにしていく工夫が求められると思っています。
ありのままの自分を認めてくれた親・救われた子ども・・
先日NHKのあさイチで不登校の特集をやっていましたね。ご覧になった方もおられるでしょう。
大体親の会では、「お子さんの気持ち」についてご相談に来られた親御さんにお伝えすることが多いです。
番組では当事者だった方のお話し等もありましたので、おおむね普段アドラー東北(仙台)親の会でお伝えしているようなことが話されておりました。
ただお子さんは学校へ行けなくなっても、遅かれ早変れいずれどこかへ所属を求めて行動を始めます。
ところが不登校のお子さんを抱えた親御さんのほうがなかなか居場所を見つけられないという現実があるのです。立ち直れないし、辛いときに話せる場所がない。自分のことでないからこそ余計親は辛いんだと思います。
仙台親の会はそういうための場所でもあるのです。
学校へ行かないなら行かないなりに・・
学校へ行かなくなってもそれほど親子関係が悪くないのであれば、オール話し合いで物事を決める段階へ進んでいくことが望ましいと思います。
学校へ行かないからといって家の中で好き放題していいと言う事にはならないからです。
どういう生活をするのか、子どもの希望と親の希望をそれぞれ話して、基本的な生活の立て直しをします。
そのためには親が感情的にならないで子どもと話し合えることが必要ですが、感情的になると子どもは自分の本当の気持ちを話せなくなります。
話し合いにならない場合には話し合いできる関係になるまで忍耐強く親の方が勇気づけし、待つことが大事です。
感情的にならずに話し合いができるのであれば、すべて話し合いで生活のことを決めていきます。
家庭と言うグループに所属すると言う事は、ルールを守り協力して暮らすと言う事。仲間同士助け合うと言う事でもあるのです。
親が感情的である場合・・
親が感情的であることの一番の弊害は、子どもが過度に他者の気持ちに敏感になると言う事だと思います。
過度に敏感だと言うことは、常に緊張を強いられていると言う事です。他者に対して安心感が欠如してしまい、いつも相手の顔色をうかがって過ごすと言う事になります。
特に多くの級友や部活の人間関係、教師などの大人と接する学校ではとても疲れることだと思うのです。
疲労が蓄積して学校へ行けなくなってしまう。
大人でも子供でも人と付き合うことにとても疲労感を感じるという人はこの傾向があるので、ライフスタイルの改善が必要になります。
とくにライフスタイルの中の他者に対する認識を変えていくことが大事で、世の中にはあなたが敏感に相手の気持ちを読む必要のない人もたくさんいるのだと言う事を知ってもらう事で「安心感」を多少なりとも取り戻してもらう事です。
勇気づけが空回りするとき
親にとっては子どもに強制したつもりがなくても「親に言われたから」「親はやってほしいんだろうな」と子どもが感じて、親の提案を受け入れてきた子どもさんの場合、突然不登校になるということが起きることもあります。「もう親の期待、周りの大人の期待には応えられない」と感じているかもしれません。
アドラー心理学では親子関係も本来ヨコの関係を目指すわけですが、タテであれば、子どもは親の希望を命令と取るかもしれない。
親の勇気づけが空回りするのは、親のいうことを黙って受け入れてきた子どもが疲れて不登校になっており、勇気づけをまた何らかの意図を見ようとしているからかもしれません。また自分の思い通りにしようとしていると子どもが感じてしまうと空回りしてしまいます。
この場合にはやはり根本的に親子関係を変えていくことが大事になります。
傷ついた、学校へ行けないことで親子が得られること
私たちは困った事態に直面すると、その悪い部分にだけ注目すると言う傾向があります。そしてその悪い部分をどうしたら治せるだろうかと考えます。
ところが困った出来事と言うのはそれ自体とても意味のあることです。
多くのことを学べるチャンスでもあります。アドラー心理学の子育て法はできるだけ多くの失敗から体験して学んでもらう子育て法ですから、困った事態でもかならず何か学ぶことがあると考えます。
不登校についても同様で、親も子もそこから何を学ぶかで今後が変わってくるのです。
不登校をつらい経験として蓋をしてしまうのか、それをこれからの人生の学びの糧として活かしていくのかが大事だと考えます。
少なくとも不登校の子どもは何かを敏感に察知する能力に優れていると言う事がいえると思います。
繊細な感性に気が付き、それを活かしていけることこそ劣等感の補償につながるのです。それが勇気を持てたと言う事になります。
基本的な他者への安心・信頼感に欠けている
家庭の中にはいられるが学校という外の世界には行けない。これが不登校の状態です。外は危険で不安で、信頼も安心もできないと感じているのです。
ところがこれは子ども自身のフィールドと視野が狭いために起こる一種の決めつけで、実際には信頼できる人、安心していい人もいるはずなのです。
全部がそうであるという決めつけは「オールオアナッシング」の思考です。
嫌な人もいるが全部がそうではない、嫌なこともあるがいいこともある。安心できない時、信頼できないこともあるかもしれないが、安心できる時、信頼できる時もあるはず。
そういうことを伝えていくのも大人の務めの一つです。そのためにはまず家庭が子どもにとって安心と信頼の基盤になることが求められます。
わがままを言う
アドラー東北(仙台)の親の会に参加して不登校克服プログラムを実践しているとほとんどの場合に、子どもが親を試す行動が見られます。
今まで自分にどちらかというとダメ出しが多かった親が、ダメ出しをやめて勇気づけの言葉をかけ始めるので、不思議に思うのです。
「本当に親は自分のことをそう思っているのか?」
ありがとう、とか助かるよとか、うれしいとか、そういうけれど、本当はどうなんだろう?と今までにない経験をした子どもは「試してみよう」とわざと親を逆に困らせる行動にでることがあります。
これは確実にプログラムが子どもに届いている、響いているという証でもあるのですが、子どもの試してみよう行動にひっかかり、ついダメ出しをしてしまうことが多いようです。
物を買ってほしいと要求したり、無理難題を言い出したりがそれに当たります。
アドラー心理学の感情のコントロールができていればさらっとかわすことも可能ですが、まだその段階に行っていない方がほとんどなので、そういう場合には「話し合い」をしてくださいねとご提案することが多いです。
不登校という体験から学ぶのは誰なのか?
人生には良いことも悪いことも起こります。それは自分の意志でどうにかなるものではありません。こと自分以外の家族に起こったときにはそうです。
お子さんが不登校になったとき、親が煩悶するのは自分の問題ではないので対処できないからです。
相手をなんとか動かそうとして煩悶し苦しむのです。人は人を変えられるのでしょうか?
アドラー心理学は他者と自分の課題を分けます。不登校は子供の課題です。子どもは自分の課題を自分で克服しなければなりません。またその克服を通して体験から多くのことを考え学ぶのです。
親もまた子どもが不登校になったことで多くのことを考え学びます。
そのことが今後の人生の大きな糧となればいいのです。体験から学ぶのがアドラー心理学の子育て法であり対人関係法です。
子どもとの立ち位置はどうなっているか・・・
子育てでほとんどの親がしているのは、褒める・叱るといった対応だと思いますが、これは上の立場の者が下の立場の者にする方法です。
子どもは自分で考えて決める力があるのですが、それを親が上からの立場で操作しようとするので、叱る、褒めると言った対応になるのです。
これをいくつになってもされると子どもは頭から押さえつけられたような気持になります。もしくは、自分で考えることをやめてしまい、大人の誰かが自分のことを考えてくれてしてくれるものだと思ってしまいます。
アドラー心理学の子育ては「自立」を目指しますし、その基本はヨコの関係です。子どもの力を信じて子どもが自分で考え自分で決める、子どもに任せると言ったことをしていくことが必要になります。
そのためにはまず手出し口出しをやめることです。これが最初にやらなければならないことです。手出し口出しは相手の勇気をくじくことになります。
嫌なものは嫌なのだ・・は子供も同じ
不登校に限らず親子関係・人間関係で悩んでいる人は基本的な他者に対する安心感・信頼感に欠けているという傾向があります。
これはライフスタイル上の世界観に関わることですが、自分を取り巻く世の中が敵だらけであるとか、他者は自分をいじめる、他者は信じられないなどの意識していない信念が根底にあるのです。
この部分が変わるためには、自分の世界観を知ることと、安心・信頼に基づいた人間関係を体験して身に着けなければなりません。
本を読んでもアドラー心理学が実践できないという大きな理由がここにあります。
実際に足を運んで、安心と信頼の空間に身を置くことで初めてそれは身につくのです。
誰かや何かを自分の思い通りにしようとするのも安心を得たいからです。安心を得たいと思っていると言う事は安心していないと言う事です。
安心や信頼の関係を体験できる場がアドラー東北(仙台)の親の会やセミナーだと言えます。その場で体験して身に着けてもらう。それがアドラー心理学のグループ療法の持つ意味でもあります。
本質的な解決にはつながらない・・
今の学校へ行かないなら、嫌なら他へ転校させようかと考える親御さんは多いようです。
8月の親の会でもちょうどそういう話が出ました。7月にそういう考えがあることをうかがってはいましたが、まだ検討段階だと感じたので介入をしませんでした。
8月の会で「どうなりましたか」とお聞きしましたら、今のままでというお考えになっていたようでしたので以下のようにご説明しました。
「0さんのお子さんの場合にはいじめでPTSDを発症しているほど他者に対する信頼感・安心感の欠如があるので、たとえ学校を代わったとしてもその安心感や信頼感を取り戻せないと同じ事になると思います。」
表面的な解決を望むのであれば、転校させたことで事態が変わることがあるかもしれませんが、それは根本的な解決にはならないと言う事です。
不登校は単に学校へ行かないということではなく、子どものタスク(課題)として取り組まなければならないことがあり、その勇気が欠けている、持てないでいると言う事に他なりません。この部分が抜けたまま学校へ表面的に言ったとしても、また同じような事態が形を変えて現れるのです。本質的なことを見ていき支援していきたいものです。
目的を考えてみる・・
学校へはなぜ行くのでしょうか?子どもがすべきこととはなんでしょうか?
私たちは目先のことに囚われてそもそも論で考えることができなくなっていることがあります。
勉強をする・仲間を作る・など他でもできそうなことはたくさんあります。
あなたは学校で何を子どもに得てほしいのでしょうか?
得てほしいことは子どもにとって最適な場所になっているかどうかも含めて子供を取り巻く環境について渡したちはつねにかんがえるべきであると思います。
日本社会の晴れと闇
アドラー心理学だと「違っている人たちが協力するからいいのだ」と考えますが、おおむね日本社会だと世の中は「人と違うことを嫌がる」傾向があります。
それがいじめの原因になったりもします。
学校に行くことも同様で、学校へ行かないことが大変なことで、その子が世の中からはじかれてしまうという感覚を親御さんが持ってしまうようです。
私たちはどうしても合わない場所、合わないグループに所属する必要は必ずしもありませんが、子どもにとっての学校、親にとっての職場と言ったように仕事のタスクだから問題になるのです。
不登校の場合は学校へ行かなくても勉強はできますので、大人の場合とはそこが違うのです。
学校へ行くことに拘る親
人と同じであると概ね私たちは安心します。また人と違うとなんとなく居心地の悪さを感じます。
それはどうしてなのでしょう。
学校へ行かなくなった子供はまさに親にとって人と違う行動をする子どもです。
子ども自身は他の子と違っても学校に所属したいと思わないので行かなくなったのですが、親にとっては人と違う行動がどうしても認められません。
親自身が所属できなくなると感じるからです。まさに他の親と違うことで不安を覚えるからでしょう。
学校へ行かなくなった子供を何とかしていかせようと介入し続ける親は多いですが、結果としてそれは不登校を長引かせます。子どもにとっては自分の選択を認めてもらえないことだからです。
極端な同一視をやめる・・
親は子供の行動を自分の責任だと考えがちですが、アドラー心理学の課題の分離を学ぶことで徐々に分けて考えられるようになります。
子どもの行動を親が全部把握してコントロールできるわけがありません。
子どもはいつか親から自立していくのですし、それが望ましいのですが、それを阻むのは親子の同一視があるんだと思います。
子どもが親の一部分だと感じる感覚です。そしてそれが親の愛だという感覚です。
これは本当に子どもにとって役に立つことなのでしょうか?
子どもを愛するがゆえに、子どもに自立を促す子育てをしていくべきであり、子どもの問題を親がなんとかしようとするのはもともとの子どもの能力を育むことにはならないのだと思います。
自分は親として劣っているのではないかという恐れ・・
お子さんが不登校になるとどうして親が必死に学校へ行かせようとするかというと、不登校になったことで自分は親としてダメなんじゃないかと他の親と自分を比較して劣等感を持ってしまい、その劣等感をぬぐおうと必死になるからです。
お子さんの為と言いながら結局は自分の親としての価値を失わないようにするために学校へ行かせようとする。
親のメンツです。これは劣等感の使い方としては建設的とは言えない。
本来劣等感は自分を高めるために使うものだとアドラー心理学では考えます。相手を自分の劣等感の補償のために都合よく動かそうとしてはならない。
親としての劣等感が大きくなったのであれば、それをどう補償すれば親子にとって建設的であるかを考えなければならない。親の会は慰めあいの会ではありません。
自分が子どもの不登校に直面して持った劣等感とマイナスの感情をどう建設的に使うかという場になっていることが望ましいと感じています。
お子さんが不登校でもあなたの親として、人としての価値には何ら変わりがないのですから。
親の会に集う仲間たち・・
親の会で今の自分の家庭のことを話したり、自分の経験を話したりするうちに様々なことをご参加者が考えることがあります。
それは実際の処なんの疑問も持たなかった自分の人生への問いかけにもなるのです。
きっかけは子供さんのことですが、最終的には自分の生き方であったりあり方であったりします。
親の人生が浮き彫りになるのです。そういう意味ではお子さんの不登校のおかげで自分を振り返る機会をもらったと言えると思います。
失敗をどう捉えるか、が問われると言えるでしょう。
みんなと同じでなくていい・・
子どもは様々な理由で学校へ行かなくなります。たとえば友人関係であったり勉強についていけないなど・です。
でもそれでも学校へ行きつづける子どもはいます。何が違うのでしょう?
「勉強は何のためにするのか?」について理解できているからかもしれません。
「どうして学校へ行くの?」「どうして勉強するの?」という子どもの素朴な疑問に答えられる大人がどれだけいるでしょうか。
こういったことを話し合う日々の積み重ねが、なされておらず、やみくもに「学校へ行くべき」「勉強はするべき」と言ったところで子どもは納得しません。
自分にとって役立つことがわかり必要であることを知れば子どもは何があっても学校へ行こう、勉強をしようと思うのです。
こういう状態になってようやくそれではどのようにして学校へ行ったらいいだろうか?という話し合いに進めるのであると思います。
勉強の意味づけは・・
子どもは様々な理由で学校へ行かなくなります。たとえば友人関係であったり勉強についていけないなど・です。
でもそれでも学校へ行きつづける子どもはいます。何が違うのでしょう?
「勉強は何のためにするのか?」について理解できているからかもしれません。
「どうして学校へ行くの?」「どうして勉強するの?」という子どもの素朴な疑問に答えられる大人がどれだけいるでしょうか。
こういったことを話し合う日々の積み重ねが、なされておらず、やみくもに「学校へ行くべき」「勉強はするべき」と言ったところで子どもは納得しません。
自分にとって役立つことがわかり必要であることを知れば子どもは何があっても学校へ行こう、勉強をしようと思うのです。
こういう状態になってようやくそれではどのようにして学校へ行ったらいいだろうか?という話し合いに進めるのであると思います。
起こった出来事に囚われずあなた自身が自分らしく生きるチャンス・・
アドラー東北(仙台)でお子さんの不登校をきっかけに自分の人生が大きく変わった方たちはたくさんおられます。
それは目先の不登校という現実のみならず、その出来事を通して自分の人生、自分の生き方、自分の在り方を見直す機会となった方がたくさんおられるからです。
不登校という厳しい現実はいったいあなたに何を伝えようとしているのか。
他ならぬ真剣に悩んでいるあなたならきっとそのことにいつか気が付くでしょうし、またもう気が付いていいるかもしれません。
そして不登校という現実から多くのことを学んでいくでしょう。まさに不登校という現実をきっかけに人生が変わる体験をアドラー心理学の学びを通してアドラー東北(仙台)で体験している方がたくさんおられるのです。
人格否定してしまいがち・・・
子ども相手に大人はどうしても「評価」をしがちです。
「評価」は上の者が下の者にする行為です。常に評価され続けることは子供の生きる勇気を奪うことになりかねません。
良いときはいいのですが、うまく行かなかったとき失敗したときに「やる気」には到底なれないのです。
評価は勇気くじきです。大人と子ども、親と子は役割が違うだけで人としての価値は変わりません。上も下もないのです。
楽観主義か悲観主義か・・・
「不登校」という事体に直面した時、最初は誰でも狼狽すると思いますが、時間がたつにつれて親御さんにとっての「不登校」への意味づけが大きく変わっていくことがあります。
学校へ行くことに拘り続けると悲観的な側面しか見えてきませんが、不登校という事態に対して楽観的な側面を見出す親御さんもおられるようになるのです。
学校へ行かないと言う事について必ずしも悪い側面だけではなく良い側面も見えてくるようになるのです。
そういう楽観的な気持ちでいられるようになるには親御さんの精神的な余裕が必要ですが、真の楽観主義であるかどうかが試されます。
子どもの不適切な行動全般に言える事・・・
不登校になってしまった子どもをどうしても学校へ行かせたいと躍起になる親御さんはご相談を受けていると多いです。
行かないリスクを考えると行けるなら行けたほうがいいのはわかりますが、お子さんの気持ちをどこかへ忘れ去ってしまっているケースが多々あります。
不適切な行動に対しても手出し口出すのと同様に、なぜ学校へ行くことに拘るかというと、親が安心したいからです。
学校でどう過ごそうが、気持ちがどうであろうが子どもが学校へ行っていることで安心している親御さんは多いでしょう。
お子さんがどういう気持ちでいるか、親御さんの共感力が問われると思います。
親子関係の破たん・・・
長年親子関係の事例を扱っていると、大人になっても自分の親との関係に悩み続けている人は多くみられます。
その根底にあるのは「理解してもらえなかった」「理解しようともしなかった」というぬぐい難い思いです。
不登校の子どもはすでに周りの大人への不信感でいっぱいになっています。
そのうえでさらに登校を強いると、心のシャッターを下ろして引きこもるか、もしくは徹底的に反抗にでます。
長年にわたり子どもは親との関係に苦しみ続けるのです。「人生に敵意を持たせてはならない」あるアドラー学者はくしくもそういう表現をしていますが、自分の人生の建設的な側面ではなく非建設的な側面に注目し自分の人生を幸せに生きようとはしなくなるのです。
心の許容範囲は狭くなっている・・・
不登校になった子どもは心も体もキャパオーバーになっているのです。
ところがそれに対して親がなんとかしたくてあれやこれや言ってしまったり、何かをさせようとしたり行動を促したりしてしまうことが多いです。
親は不安なのです。その不安を何か言ったりしたりすることで解消しようとするのです。その気持ちはよくわかります。
ところが心と体がキャパオーバーになっている子どもにはこれはとても辛いことなのです。
言いたくなる、何かしたくなる気持ちはあくまで親の課題です。
親も子どもの立場に立って考えられる余裕が持てないのです。そんな時こそ第三者に相談することで親自身の抱え込みを軽くすることが大事だと思います。
NGを連発してしまう・・・
「分かってほしい・・・あなたのことが心配なの」
そう思うあまりに私たちは子供の不適切な行動に注目してつい批判的な言葉をかけてしまいます。
「どうしていつもゲームばかりしているの?」
「どうしていつもだらだらしているの?」
「お兄ちゃんは手がかからなかったのに。。。」
といった具合です。不登校に限らず不適切な行動をしている子どもにしなければならないことは、「どうしたらこの子と仲良くなれるのか?」を考え実行に移すことです。
仲良くなれなければ支援は難しい。なぜなら子どもは批判されればされるほど親に心を開かなくなり言葉も受け入れようとしなくなるからです。
新しい環境に慣れるのは大人でも同じ・・・
幼稚園や保育園に初めてお子さんを連れて行ったとき、泣いて親と帰ろうとするのはお子さんによくみられることです。
新しい環境に入るのが怖いのです。今までは愛情にあふれた慣れ親しんだ環境で過ごせていたのが、突然見知らぬ他人の中に放り込まれるのですからお子さんにしてみれば、それは当然の気持ちです。
学校に上がることもそれと同じです。子どもにとっての新しい環境は不安と恐れしかありません。
それでも小学校ぐらいになると、親に嫌われたり迷惑をかけることはいけないことだと子どもは理解しています。
にもかかわらず学校へ行かなくなる、不登校になるというのはどれだけ学校への不安、恐れが大きいかと言う事になるかと思います。その辺のお子さんの気持ちを理解したいものです。
理解してもらえないと感じる・・・
親は自分が発した言葉を子どもがどう解釈して受け止めたかを考えてみることはありません。
たとえば「ちゃんと勉強しなさい。いつもいつも言われないとできないの。それではダメでしょう。」と励まして叱咤激励したつもりで親が言ったとします。
そのことで子どもが勉強をやる気になってくれるかも、やってほしいと思って言っているのです。
ところが言われた方の子どもはそうは解釈しません。
「どうせ自分はダメなやつだし、。。」とか「いつもじゃないじゃん、ちゃんとやる時もあるのに。」と感じたり、親が意図したこととは別の解釈をします。
このずれが生じて大きくなると、子どもは自分の気持ちは到底親には理解してもらえそうもないと感じて心を閉ざしてしまいます。
心を閉ざしてしまうと親の支援は受け入れません。また親の支援そのものが子供の本当にしてほしいこととはずれていく可能性は大きいです。
普段からどう伝わったのか?の確認が必要だと言えるでしょう。
自分に置き換えることで相手の気持ちがわかる・・・
大人でもやらなければならないけど、やりたくないこと、行かなければならないけど行きたくないところがあるはずです。
それを「さっさとやりなさい」「さっさと行きなさい」と言われたらどんな気持ちがするでしょう。
子どもはなかなか自分の気持ちを言い表せないことが多いのですが、それが親をイライラさせることにつながっています。
自分もやりたくないことをしない、行きたくないところへ行かないことについての説明を求められたらうまくできないのと同じです。
子どもの気持ちを聴くには忍耐強く待つことが必要です。うまく言えなくても我慢強く言葉がでるのを待ってあげたいものです。
これはどういうことだろう?・・・
私たちは困った出来事に遭遇した時に、いくつかの選択肢を持っています。「逃げる」「立ち止まる」「乗り越える」などです。
不登校に関して言えば直面しているのは子供です。ですから親は子どもにとってこの困難がどういう意味を持ち、どういう支援をしていけばいいのかを考える必要があります。
おおむね親がしがちなのは、困難を前に「逃げる」「立ち止まる」という方法を取っている子どもを無理やり立たせて乗り越えさせようとすることではないでしょうか?
子どもはなんのために「立ち止まっているのか」「逃げようとしているのか」その意味づけを考えるひつようがあるのです。
既存のひな形にハマらない子供なのかもしれません。他の子が感じない今の学校に違和感を感じる別の繊細さや感性を持った子供なのかもしれません。
それは子供の大事な能力であり、持っている財産でもあります。学校へ行くと言う目先のことに囚われて、その子供の能力をつぶすようなことがあってはならない。その子の良さを活かすのがアドラーの子育て法であるからです。
私たちは一人では生きていけない・・・
普段何も問題がないときには気が付かない家族の姿が、子どもの不登校といった大きな問題に直面した時露わになるのです。
私たちは一人では生きていけません。それは他の生物と比べて身体能力が劣る人間の宿命であり、役割を分担して協力し生きるというのが人の生きる方法なのです。
不登校・引きこもりの問題が起きた時、家族がどういう反応を示し、どう行動するかで家族の姿が露わになります。
協力や絆といった家族のつながりの具合、人としての在り方が問われるのです。それはまさに生きる姿勢そのものを問われると言っていいのではないでしょうか。
あなたはこの危機を家族の絆を取り戻すチャンスと捉えますか?それとも家族の崩壊の時と捉えるのでしょうか
まさに家族に対する「意味づけ」が問われると言っていいでしょう。それは世界ーに対する認識にもつながるのです。世界にいる人々は自分を支援する仲間であり友であり、必要があれば自分を支援してくれると感じているでしょうか?
あなたの人生の鏡にもなるのが不登校という現実でもあります。逃げるのか協力するのか、これからの家族の在り方が問われるのです。
大人が想像する以上に子どもは大変・・・
転勤や転居で学校を変わるというのは、いわゆる大人の都合です。
子どもには逆らうことができません。それでも子どもは必死に適応しようとします。
学校へ行くことが当たり前だと思っていると、子どもの適応努力を認めていることにはなりません。
環境が変わることは大人が考える以上に子どもはエネルギーを消費しているのです。
そのことについて子どもに感謝こそすれ、それ以上の要求をする権利はないのです。
ちゃんとやれていることが当たり前ではないことを知っておきましょう。朝顔を合わせ、一緒にご飯を食べることができ、一緒に暮らせるそのこと自体を親が喜んでいることが子供の支えになるのです。
いたたまれない・身の置き所がない・・・
子どもは子供なりに学校へ適応しようと一生懸命やっているのですが、どう適応しようとしてもうまく行かないと感じると、自分の身の置き所がないと感じて喪失感にさいなまれるようになります。
その結果[適応できない」と判断し学校へ行かなくなるのです。
この適応できないという感覚は、だれでも感じた経験があると思います。
行かなくてもいい場所なら行かなくなるでしょうが、学校や会社であればそういうわけにはいきません。
こういう場合には「どういう方法で所属しようとしていてうまくいかないか」が大事になってきますが、周りにはわからないことが多いのです。
自分にOKが出せていると、周りとうまく適応できなくてもそれなりにやれるのですが、おおむね肯定感が低い場合が多いので、そこにいないという以外に方法がみつからないというケースがほとんどと言えるでしょう。
自分の人生は自分で考えなきゃ・・・
褒めることと勇気づけることの一番の違いは、評価と評価しないの違いと言ってもいいかもしれないでしょう。
評価の基準は、評価する側にあります。褒めるのは自分の基準でもって、足りる足りない、できているできていない、正しい間違っていると子どもを裁いてしまうのです。これだと承認欲求が強くなり、認められることが行動のモチベーションになります。
それに対して勇気づけは、評価ではありません。
今の相手のよきところ、できているところに注目してその気持ちに寄り添う事です。
共感力、相手の気持ちを理解しようとするところからその力は相手に発揮されます。
他者理解力を育んでいかなければなりません。相手が自分を理解してくれているということよりも大きな支援はないのです。
人は居場所を求めて行動する
私たちは居場所を求めて行動するとアドラー心理学では考えます。
自分が今いる場所に居場所がないと感じると、人はその場に行こうとはしません。
居場所があると感じるためには自分が役に立っているという感覚が必要です。
ところが学校へ行かなくなったことを親に責められると子どもは家の中での居場所を失います。
毎日「学校へ行くこと」や「学校へ行かないあなたはダメ」などダメ出しばかりされると、まさに「いたたまれない」気持ちになるのです。
能動的な子どもは親と喧嘩になったりしますが、受動的な子どもは「安全」な自分の部屋にこもります。
そして出てこなくなるのです。一刻も早く親がやめるべきことは「学校に行くこと」について強制をやめて、本人の気持ちに寄り添うことです。
そしてその日から学校へ行く行かないを自分で決めてもらってその責任を誰にも転嫁しないように自分が責任を引き受けられるようにしていくことが大事です。
良かれと思って・・・は、だれにとって良いことなのでしょう?
親は学校に関わることをなんとか受け入れさせたいと思って、「午後だけでも行ってみたら?」とか「保健室はどう?」とか「先生が来るそうだからあってみたら?」などと言ってしまいます。
これは子どもの側からするとプレッシャー、押し付けにしか感じられません。
「話を聴くよ」といいながら、自分の意見を言っているようでは、そのうち子どもは自分の気持ちを話してくれなくなるでしょう。
不登校になってしまうぐらい勇気をくじかれている子どもの話は、黙って話を聴くぐらいの覚悟が必要で、親の意見は言わない我慢もそのうちに含まれます。
心を閉ざしてしまったら、それこそ不登校改善の介入は難しくなります。
会話が成り立つ、自分が思ったことを思ったように言える子どもとの関係を目指すには親子関係のあり方そのものを変えなければならないのです。
「それなら学校へ行けるんじゃないの?」と思ってしまう親とのずれ・・・
不登校なのに、家の中で子どもが元気だったりすると「そんなに元気なら学校へ行けるんじゃないの?」と親は思ってしまいます。
「ゲームばかりしている」「おしゃべりばかりしている」なども同様で、ゲームに集中できるなら、そんなに話せるなら・・「学校行けるんじゃないの?」と考えてしまうでしょう。
子どもは学校へ行かないことで親が傷ついていることを知っています。また自分がそのことで親から認めたもらえていないと感じてもいます。
だからせめて親を元気づけようとか、明るくしようとかして、できることで親に認めてもらおうとするのです。
この辺から親と子の気持ちのずれが起きてきます。自分の気持ちを理解してくれないと感じた子どもは心を閉じて本当のことを言わなくなっていきます。
子ども同士の争いが起きるのは劣等感が引き金になる・・・
親はどうしても無意識のうちに子供を比較してしまいます。
上の子は~だけど、下の子はちょっと~ね。といった風にです。これは子供の劣等感につながります。
兄妹の片方が不登校になったことで兄弟関係が悪化することは良く起こる問題です。
上の子が不登校だと下の子をいじめたりしますし、下の子が不登校になると上の子に対して敵意をむき出しにしたりします。
「自分は学校に行けないのに、兄(弟)は、学校に行けている」と思うのです。
学校に行かないことをことさらに親が問題視することの弊害もここに出ます。
自分が特別であること(この場合には不登校という方法によって)で、親は自分のものだという勘違いを起こさせてしまうこともあり、自分が世界の中心であるという誤った世界観の形成にもつながります。
また逆にできる兄弟と比較してなんて自分はダメなんだろうと勇気をすっかり失ってしまうこともあるのです。
兄妹は身近な人間関係であるからこそなんらかの影響が大きくでることは良くみられることです。
早い段階で子どもの気持ちを聴くことで子どもは安心する・・・
「学校に行きたくない」ということを子どもははっきり言えない場合が多いです。
その時に現れる行動が「登校しぶり」です。なんとなく学校へ行く時間になるともたもたしたり、体の不調を訴えたりします。
親が察して子どもの気持ちを聴くならいいのですが、ほとんどの場合にはせかせたり叱ったりしてしまいます。
子どもは言いたいことを言えないでいることが多いのだと言う事を知っておきたいものです。
そしてそれは親との関係を悪くしたくないとか、親を悲しませたくないといった気持ちから出ていることもわかっておきたいものです。
目的を考えるということは相手が何をわかってほしいかを知ること・・・
アドラー心理学では子どもの行動の原因ではなく目的を考えてアプローチしていくのですが、不登校の場合には目的がいくつか考えられます。
いじめがあって不登校になっている場合には、学校へ行かないことの目的は「安全の確保」でしょう。
「安全が確保されないので学校へ行かない」という選択をしているのです。
これは子どもにとっては必要だと感じての行動になると思います。
そうすると「自分が安心して学校にいられないんだね。」という共感的態度で子どもの不登校を受け入れられるようになり、「怖かったんだね」という言葉をかけて子供の気持ちに寄り添うことができるようになります。
自分の気持ちをわかってもらえたと感じた子どもは、親を信頼し安心して自分の気持ちを話せるようになっていくでしょう。
気持ちへの寄り添いを、目的を知ることでできるようになっていきます。
共感とは?・・・
どうしてもアドラー心理学の子育て法を学ぶと、どう対処するか、すなわちハウツーに走りがちなことが出てきます。
勇気づけもしかりで、どう言葉をかけるかといった発想になりがちです。
ところが、もともと勇気づけとは共感的に関わることですから、子どもの気持ちよりもハウツーに走ってしまうと勇気づけとは言えなくなってしまいます。
子どもを学校に行かせる方向に向いているのか、子どもの気持ちを理解しようとする方向にむいているのか、不登校に限らず親御さんの自己検証を望みたいところです。
「許せない」と感じていませんか?・・・
お子さんが不登校になった、今も不登校であるという場合、親御さんが「学校に行かない」ということについてどういう思考を持っているかが勇気づけができるかできないか、に影響を及ぼします。
「許せない」「あってはならない」という思考だと「怒り」の感情を伴い、なかなか勇気づけがうまくいきません。
「この子にはこの子なりの考え、事情があるんだろう」と考えられれば少なくても陰性の感情は起こらず、勇気づけもできると思います。
これは「共感的態度」であり、勇気づけとはもともと「共感的に関わること」だからです。
不登校になったお子さんに対してどういう思考があるのか、自分を振り返ることがまず必要であり、親の会ではそういうことについても共に考えていきます。
極端に走ってはならない・・・
お子さんが不登校になると途端に、親御さんのほうが自分の人生が真っ暗だと感じたり、何もいいことがないと感じたり、仕事に集中できなかったり、上の空になって生活したり、ということは往々にして起きるようです。
こんな時こそ「課題の分離」を使って精神的に楽になっていただくことをお勧めします。
自分の人生と子どもの問題は分けて考えるのです。
親が自分を見失い狼狽することは学校へ行かなくなったお子さんにとってもあまり好ましいこととは写りません。
学校へ行かなくなったことでお子さんは自尊感情が低くなっています。
親が落ち込むとさらにお子さんは自分のせいで親が苦しんでいると余計に自分を責めることもあると思います。
少なくても表面上は親が今までどおり居てくれれば、お子さんには救いになるのです。
課題を分けて、苦しまない、苦しんでいるところを美ゼないということも大事なことだと言えると思います。
理性的過ぎる親・・・
愛のタスクが一番難しいとアドラー心理学では考えるのですが、それは摩擦を伴うからでしょう。
他者と関わると言う事はこと他人同士の夫婦であれば当然摩擦を伴うことであり、まして親子関係であればそれはもっと頻繁に起こってくるであろうと思います。
もともと感情を出すことをしてきた人は、それを理性的な方向に持っていくことで関係の改善は図れますが、感情を抑圧する傾向がある場合には、まず本音の自分に向き合うことが必要になると思います。
自分の感情を素直に出す環境になかったので、とても苦手だと感じる場合があるのです。
自分の本当の気持ちがわからないと、夫婦においても対子どもにしても相手の気持ちの理解には届きませんし、なかなか共感ということが難しくなっていくだろうと感じています。
親の会ではそういうところも通ってきているうちに出せるようになっていくことが大事だと感じています。
子どもの心を理解できる、理解しようとする共感失くして不登校をはじめとした子供の理解はないのです。
人生にリスクゼロはない・・・
人生に「完璧」「完全」を目指す親御さんは、人生に起こりうるあらゆるケースに対して心づもり、準備をしようとします。完全を目指すと言う事は常に「不安」という感情が付きまとうからです。
準備を怠らないこと、それが自分の持つ不安を払しょくする方法なのです。
そうすると予想外の子どもの不登校に直面すると余裕を持てずキャパシティオーバーになりがちです。
不安を持ち完全を目指す親が子供の不登校をなかなか受け入れることができないというのはこういう状態に陥っているのです。
したがって目先の対応を変えても根本的な解決にはならないことが多いので、ライフスタイルそのものを「人生はリスクゼロにはならない」という方向に変えなければなりません。
子どもの不登校をきっかけに自分と向き合う作業が必要になるのです。そうでないと不登校に限らずまた不測の事態に直面するとキャパオーバーになります。
お子さんの不登校は他ならぬ親自身が自分の生き方を変えるきっかけにもなり、エネルギーの向きを変えるということでもあるのです。
人生に無駄は必要・効率ばかりを求めない・・・
人生には無駄は必要がないと考える効率重視の思想は忙しい現代にすっかり根付いているように感じています。
ところが人生の無駄と一見思えるようなことが、人生の潤いとなることはあるのです。
親は子供のしていることを見ながら「~したらいいのに。~~を先にした方が早くうまくできるのに。」と思いがちです。
子どもは子供なりに考えた順番で物事を取り組んでいるので、子どもにとってはそのやり方がやり易くてやっているのです。
親の予測能力でもって子どもに指示をしてしまうと、子どもは「もっとうまくやれる方法があるかもしれない」という予測能力を育てずに成長するかもしれません。
もっとうまくやれるかも・・・こそ体験から学ぶ意義です。そのためには大いに無駄を経験してもらうことも大事で、効率はたくさんの無駄から生み出た知恵だと言えると思います。
不登校についても同じで、効率を優先する親からすれば、何も生み出さない、何の意味もない無駄と思うのか、それとも人生の荒波を乗り越えていくための必要な無駄と考えるのか、親の姿勢が変わってくると思います。
「なんとかなる」のはやるべきことをやっている人の言う言葉・・・
それは子供の課題だから、子どもを信じているから、と言って何もしないのではそれはただのお気楽主義です。
すべきことを親もしてこそ楽観主義になるのであり、お気楽主義と楽観主義は違います。
お気楽主義はただの放任になってしまいます。子どもは自分に関心を持ってほしいと常に考えていますし、「このままでは良くない」こともちゃんとわかっています。
不登校になっても割と親子で話す機会がある、親子関係が悪くない場合には、これからのことや勉強のことなど親子で話し合うことが望ましいと感じています。
その話題について子どもが嫌がる場合にはもちろん他の話題でも構いません。子どもに尊敬と信頼の気持ちを持って関わり続けることが大事なのです。
親の気持ち優先か?子どもの気持ちを優先か?・・・
お子さんが不登校になると「できるだけ早く解決したい」と親御さんのどなたもそう思います。
焦って焦って、それでもどうしようもなくかえって事態を悪化させてアドラー東北(仙台)へ足を運んでこられます。
「早く学校へ行かせたい」というのは親の気持ちとして理解はできますが、それでは肝心のお子さんの気持ちはどうなのでしょう?
「なんとしても行かせたい」もそうです。そう思うのは誰の課題でしょう?
親御さんのこういう気持ちはお子さんに確実に伝わってしまいます。
「親は自分のことを一番に考えてくれていない」
「理解しようとしてくれていない」
「わかろうともしてくれない」と感じて、自分の気持ちを伝えることさえしなくなっていくでしょう。
「相手をどうにかしたい、自分の思い通りにしたい」と思っているうちは事態は改善しません。
お子さんの気持ちやペースを優先して考えられるようになった時、はじめて事態は良い方向へ変わっていくのです。
親の態度をまず変える・・・
私たちは悲観的な人とは一緒にいても楽しくないのです。あまりに価値観が狭く自分の価値観を押し付ける人とは一緒にいたくありません。自分を否定ばかりする人とも距離を置きたくなります。
お子さんの不登校のみならず、親子関係のベースがそうなっている場合には、お子さんは親御さんと話し合いを持とうとはしません。
このままでは大変なことになるぞ、と悲観的な話ばかりする。自分の気持ちをわかってくれようとしない。自分のしていることを否定ばかりする。
こういう態度を親がとっていればお子さんはあなたから離れたいと思うでしょう。話し合いができなければ不登校は長引くばかりです。
ところが悲観的であるか、不寛容であるか、否定ばかりしているかは、自分ではわからないことが多いのです。自分のことは自分ではなかなかわかりません。他者と交わることで自分のことは見えてくるようになるのです。
二回目以降の親の会は、同じ経験を積んだ者同士の話し合いが中心です。こういう他者との関わりを通して自分を見つめ知ることになるのです。
支配操作から支援する親へ・・・
親が子供を支援するとは、どういうことかというと
子どもがいろいろなことを体験することを邪魔しないということです。
体験を通して子どもは様々なことを自分で考え自分で決めて行動するようになります。
体験そのものの予測が当然親にはつく場合が多いので、良かれと思ってつい止めてしまったり、こうしたほうがいいよと助言したりしますが、それでは子どもは自分で考える必要がないと感じ、考えなくなります。
誰かがどうすればいいのかを指示してくれるだろうと考えるようになります。
これでは到底精神的な自立は不可能で、いわゆる指示待ちの人間として成長してしまう可能性も高くなるでしょう。
もしくは、ライフスタイルによっては、親の指示を反面教師として一切受け入れないようになるかもしれません。
いずれにしても先回りして親があれこれすることは弊害をもたらす以外の何物でもないのです。
不登校については、仙台親の会で親ができることについてお話ししますが、それ以外の経験を奪うことは好ましくないと感じます。不登校も子供にとっては大事な経験であり、意味づけが変わるのを待つことが望ましいのです。
誰かに何かを決めてほしい・・・
6月の親の会が終わりました。お子さんの不登校をきっかけに親子や自分の問題に取り組もうという4人の方がご参加くださいました。
抱えている悩みはそれぞれ違います。どうしても学校へ行ってもらいたいもありますし、学校へ行かないまでも自分との関係を良くしたい、もあり、また自分がこのままでは苦しくて仕方がない、もありました。
人は皆違うのです。それを忘れてはいけないと思っています。
同様に子供もまた皆違うのです。不登校をきっかけに何かを新にスタートさせよう、今までの人生を振り返るきっかけにしようと考えることはとても人生にとって建設的だと感じています。
意味づけが変わるには時間がかかる。今は辛いばかりかもしれませんが、乗り越えた先に待っているのは「自分に必要な出来事だった」と感じる未来です。もしそうであれば、それは自分を信じ、子どもを信じる勇気から生まれるのだと感じています。
どのタイミングでどういうカウンセリングが必要か・・・
親が子供に対する対応を変えていくことで親子関係のあり方そのものを変えていくことが親の会の狙いです。
親が変わると子どもが変わることが多いからで、徐々にではありますが子どもが自分の将来について考え始めるようになります。
子どもがカウンセリングを受けるには、カウンセリングの種類とタイミングと狙いが大事で、子どもが「学校へ行かされる」とか「無理強いされる」と感じてしまうと逆効果になるのです。
アドラー東北(仙台)の親の会は、安心安全なアプローチと言えると思います。
親が変わることで、子どもに働きかけるので、直接子供へのアプローチはしません。
子どもへのアプローチは「不適切な行動の4つの目標」の第三、第四段階に進んでいない限り良い方向へ向かうことが多いと感じています。
自分の理想の子どもを作ろうとする親・・・
親が自分の理想の子どもを持ち、それに近づけようと子育てをしている場合があります。
特に劣等感を補償しようとして自分が努力するのではなく子供を通して実現しようとしたりすると、子どもは親の期待通りに生きることを強いられることになります。
学歴に対して親が劣等感を持っているとすると、子どもをいい学校に入れることでその劣等感を補償しようとしたり、といった事です。
また同じ苦労をさせようとする親もいます。自分も苦労してここまで来たからお前も同じように苦労するのは当たり前だと言ったような言い方をします。
価値観や理想を押し付けられた子供は当然逃げたくなりますので、学校へ行かないという方法で親に反抗・復讐しようとするかもしれません。
不登校には学校の問題だけでない側面もあるのです。
夫婦のありようを見て子どもは未来に夢を持てるかどうかと考える・・・
お子さんが不登校になると親は子供にばかり目が行くようになります。
そうでなくても子どもが生まれて以来子供中心の生活になりがちで夫婦関係はどこかへ葬りされられることが多いのではないでしょうか。
ところが子供の目には夫婦の在り方は「将来のモデル」となって映っていることに意外と親は気が付いていません。
幸せでない夫婦を見ていれば、頑張って学校へ行って努力して大人になっても幸せな人生を送れるとは限らない、幸せにはなれないと映っているかもしれません。
意外と見落としがちですが、夫婦の在り方をお子さんの不登校をきかっけに見直すことも大事なことなのです。
夫婦が幸せそうにしていれば子どもは未来に夢を持てます。自分も結婚して子供を持ってと考えることができるのです。
学校に行かないことを裁く・・・
不登校のお子さんを持つ親御さんのほとんどはとても頭の回転が速く論理的で聡明な方が多いという印象です。
アドラー心理学では「自分の持っているものをどう使うか」が大事だと考えるのですが、この頭の回転の良さと論理的思考を、裁判官のように子供を裁くことに使っていることがあります。
それは理屈ではこうなる、とかそれをしたらダメでしょうとか、子どもの考えや行動をいちいちチェックするのです。
それが態度や声音に出てしまいイライラすることが多いです。
常に家の中で裁かれている子どもが不安定になることは容易に想像できます。
自分の持っている大事な特性を他者に向けるのはあまりいいやり方にならない場合もあることを知っておきたいものです。
子どもの気持ちを理解するのがまずやらなければならないこと・・・
お子さんが不登校になると、どう対応したらいいのかに目が行くことがほとんどですが、それではお子さんの気持ちはどうなのか?ということが置き去りにされがちです。
気持ちを確かめるには聴くしかありません。親御さんが「うちの子はこういう子だから、たぶんこう考えているんだろう」と思っていることとお子さんが思っていることが合致するとは限らないのです。
子どものことは親の自分が一番よくわかっています、とおっしゃる方がおられますが、子どもが自分とは別の人間であるという原点に戻った方がいいと思います。
聴かないで相手の気持ちがわかるわけがないのです。アドラー心理学では勇気づける方法として「聴く」を大事にします。
つい子供の話を評価したり裁いたり、話の途中で口を挟んでさえぎったりすると逆に勇気をくじいてしまいます。最後まで黙って聴けることができるのが理想です。
子どもが安心できない理由・・・
不登校のお子さんを抱えた親御さんの傾向として、不安感が大きいということもあると感じています。
不安を親が抱えていると常に子供について心配ばかりをすることになります。
「失敗するんじゃないか」「傷つくんじゃないか」とあれこれ不安に感じるあまりについ口を出したり手を出したりすることが多くなるのです。
これを常時伝えられている子どもはどう感じるかというと、世の中に対する基本的な安心感にかけてしまうという可能性が出てきます。
また常に心配されていると自分には能力がないとか信頼されていないと感じ、親との関係が悪くなるばかりでなく、自立心をそがれてしまうのです。
親が不安と言う感情を使う事にはやはり目的があり、相手を保護したい、失敗させたくないなど、自立へ向かおうとする子供の自然の成長を妨げることが多いと感じています。
不登校サポートの現場から見えてくること
う極端に考え方がネガティブだったり、ポジティブだったり、アドラー東北(仙台)で不登校サポートを受ける方に多い傾向が見られます。
親があまりにもネガティブで常に悲観的であれば、子どもは将来に希望が持てません。努力しても自分の未来に夢が描けなくなります。
かといってポジティブすぎると、なんとかなると思ってしまいます。
どちらもあまりに極端であれば、不登校は長引いてしまいます。
自分の思考のバランスがどうなっているのかについて親が検証する機会を持つことと、どちらかに偏りすぎているのであれば、そのバランスを中庸に戻すことが必要です。
人間にとってポジティブとネガティブな思考は双方必要で、どちらかに偏ることはあまり良いことだとはいえないのです。
無駄な時間を持ってみる&考えないで感じる時間を持ってみる・・
もしかしたらお子さんに対して無駄を省こうとしていませんか?
人生にはたくさんの無駄が必要です。効率よく進めるだけが良いわけではありません。
学校に関わることだけでなく、全く関係のない関わりを持つこと。
学校に行かないこと・不登校と子どもの価値には関係がないこと。
あえて学校に行くことにあまりにもこだわりすぎていると感じたら、それを考えない時間を自分が持つことも大事です。
親子で一緒に目指せる目標の設定が必要・・
お子さんが不登校になった場合の親子関係では、親は子供を学校へ行かせるという方向を向いていますし、子どもさんは学校へ行かないという方向を向いています。
向かおうとする方向が真逆なので亀裂が深まることがあってもそれが埋まることはありません。
この向かう方向を一致させるには「学校へ行く、行かない」をいったん双方が棚上げしなければなりません。
そのうえでどの方向、どういう目標だったら共に同じ方向へ進めるかをまず考えなければなりません。
そうすることで親子間に協力関係が生まれます。親子がともに歩む関係にさえなれれば、様々な側面で話し合いが可能になります。これから先どうするかも話し合えるようになりますし、子どもも率直な気持ちを話してくれるようになります。
家庭内での押し問答がさらにストレスになる・・
不登校・学校へ行かなくなったことで子どもはもしかしたら楽をしたいと思っているのかもしれない、と親は感じたりします。
また学校へ行かないことが普通じゃないと感じ、他の子どもと同じでなければこの先この子の将来はないと感じるかもしれません。
ですから何とかして親は子供を学校へ行かせようとします。そのことで家族間で言い争ったりすることも出てくるかもしれません。
こういった親の考えや家庭内の争いはさらに子供を追いつめます。
優先すべきは子供のつらさや子どもの気持ちです。まずは子どもが率直に自分の気持ちを親に伝えられる関係を築きたいものです。
理想から現実を引き算ばかりは苦しい・・
「学校へ行くと言う結論があって、そこから現実の子どもを引き算する」
多くのご家庭が陥りがちではないでしょうか?
「あなたは足りませんよ」と言われているのと同じで子どもはとても苦しいはずです。
それは私たち大人にとっても同じで「あなたは足りていません。ダメです。」と言われたらつらいと思います。
とくに学校へ行かなければ価値がないとかどうしても行かなければならないという拘りは親子共に辛いものです。
できたことを足し算していくという発想こそが今求められていると考えられるようになりたいものです。
自分の弱さもダメなところも受け入れていること
不登校の子どもは勇気をくじかれ勇気を持てないでいるということについて何度か書いています。
日大のアメフト選手の会見を見ていて皆さんが感動を覚えたのは真の強さを感じたからではないでしょうか。なぜああいう勇気を持てるのか・・と思われた方も多いと思います。
どうしたら勇気を持てるかというと、自分をありのまま受け入れることができた時に勇気が持てるようになります。
自分を否定することは勇気をくじくだけではありません。周りから否定されることも勇気をくじくことになります。
自分の良いところも悪いところも含めてありのままの自分でいいのだと思えた時、人は強くなれます。
自分を受け入れることを自己受容と言います。親ができることは子供に対して他者受容すること。
ありのままの子どもを認め受け入れる他者受容ができて初めて子どもは自己受容できるようになるのです。
強いことが良いことであるという幻想
学校に行けなくなった子供を見て「うちの子は弱くて」と感じたり、学校に行かない理由について子供の話を聴きながら「ネガティブだ」と感じたりしていませんか?
「弱い」のは、悪いこと。「ネガティブ」なのも悪いことだと思い込んでいませんか?
弱さは、他者に助けを求めることができるということであり、他者の弱さを理解できる優しさがあるということ。
ネガティブなのは、慎重であり、物事をじっくりと冷静に見極める力があるということに他なりません。
あなたがお子さんについて弱さと感じていること、ネガティブと感じていることはお子さんの大事な特性でもあるのです。
「強い」と感じていた人が、多大なストレスにさらされたとたんにぽっきり折れてしまうのはよくあることです。
「強さ」は良いことばかりではありません。またポジティブも良いことばかりではありません。
双方向から物事を見られることが大事で、お子さんの弱さやネガティブはお子さんの最大の魅力であり能力なのです。
居場所の必要性
不登校の子どもは学校に居場所がないと感じて不登校になっているのですが、家庭内にいるということは家庭には居場所があると感じていると言えます。
この居場所があり、自分は役に立っていると感じることはアドラー心理学では幸福の前提として考えています。
子どもはたとえばフリースクールであったり、保健室登校でやれるという場合も、自分の居場所として大丈夫と感じることができるならば、行くことができます。
キーワードは安心・安全でしょう。
同様に親も居場所が欲しいと感じるのです。子供の問題、家庭の問題を一人で抱えるのは辛すぎると感じるのです。
それを受け止めてくれる場所があれば、そこへ行きたいと思うでしょうし、同じような境遇の方の話を聴いたり、自分のことを話したりすることで気持ちが楽になることは多いです。
アドラー東北(仙台)の親の会は、解決した後も通ってくる方が多いです。それは親の会が自分の居場所であると感じているからに他なりません。
話し合う関係の必要性
日大のアメフト部の問題が大きく取り上げられていますが、アドラーを学んでいるとそれは起きるべくして起こったと言えると思います。
話し合いや確認をしていないのだから、自分の発した言葉を相手がどう捉えているかはわからないのです。
自分の意図したこととはまったく別の意味にとらえられている可能性は相手に確認しないのであれば常にあります。
だから話し合いベースの関係が必要なのです。
忖度や察することは今の時代には通用しません。
そんなつもりじゃなかったと親があとから後悔しても遅いのです。
親子が話し合える関係を築くことはアドラー心理学の子育てベースです。
今の時代に合った方法を親が身に着けることでその危険は大きく軽減されると言えるでしょう。
上手くいかないことを話し合う
お子さんの不登校や子育てに悩んでアドラー心理学の子育て法を学んで実践していても、知らず知らずのうちに元のサイクルに陥っていることはあります。
不適切な行動に注目しないとわかってるのに、なぜか巻き込まれてしまう。
子どもには真摯に向き合うべきという親としての真面目さが裏目に出るのです。
不適切な行動で親の関心を得ようとする子供に親が付き合えば、子どもにとってはそれが成功体験になります。
「しめた、うまくいったぞ」と思うものです。
もしも今お子さんのしている方法が嫌だと感じたり、社会に出た時に通用しないと思えば、それを助長させてはなりません。
その方法を使わないで穏やかに静かに自分の要求や気持ちを話してもらいたいことを伝えなければならないのです。
もしかしたら不適切だとわからないでやっているかもしれませんし、わかってやっているかもしれませんが、他者に向けて好ましくないものは使わないように親が伝えることが大事です。
当たり前でないことの不安
私たちは積極的に変化を求めようとはしないものです。できるなら変わらない方を選ぼうとします。
お子さんの人生においても「小学校」から「中学校」へ、「中学校」から「高校」そして「大学」へ。
その路線を歩むものだと思い、当然と思っていることは「安心」を親御さんにもお子さんにももたらしています。
ですからお子さんが不登校になり、その予定から外れてしまうことは「安心」が脅かされたと感じるのです。
お子さんが「自分の人生これからどうなってしまうのだろう」と感じているように、親御さんも見通しの立たない「自分の人生はどうなってしまうのだろう」と感じています。
そういう意味で親も子も不登校をきっかけに自分の人生に向き合わざるを得なくなります。人生の岐路に立たされることになるのです。
「いつまで待てばいいの?」
アドラー心理学では究極的には根拠を求めず相手を信じ切れるかどうかが問われることになります。
これはとくに親子や夫婦と言った運命共同体の関係について求められるのです。
「いつになったら子どもは動き出すのだろう?」
「いつになったら自分の人生を再び歩みだすのだろう?」
もうかなりの時間が経過しているけれど、いつ?と焦る気持ちになるのは理解できますが、それは必ずお子さんに伝わっていることを忘れないでほしいのです。
子どもは自分で考えています。「このままではダメだ」と、自分でやらなきゃと思うものです。その時期は自分で決めたいし、信じてくれる親がいてこそそう思うのです。
母の日に思った事「いるだけでいい」・・
不登校無料10日間レポートの最後に私はこういう記述をしています。
「生まれた時のあの子」を思い出してください。
この世に生を受け、泣いたり笑ったりするだけで何もできないけれど、いとしいわが子を手に抱いた時の感激を思い出してほしい。
お子さんは居るだけであなたを幸せにしてくれたはずです。
アドラー心理学の究極はここにあります。
人は存在そのものだけで価値があるのです。今自分のお子さんが不登校であろうと、どうであろうと、わが子を初めて抱いた時の感動を忘れなければ、あなたとお子さんとの関係はきっと改善されます。
その時の気持ちに戻って、ありのままのお子さんをそのまま見てあげてほしい。そこからのスタートがアドラー東北(仙台)の不登校勇気づけプログラムであり、アドラー心理学の子育ての根幹なのです。
起こったできごとをどう意味づけるか・・
普段何も問題がないときには浮かび上がってこなかった家族の姿が何かが起こったときにクリアになってきます。
アドラー心理学を学んでいると、私にとって、ではなく私たちにとってという発想をするようになります。
お子さんの不登校は「私にとってどういう事だろう」ではなく「私たちにとってどういう事だろう」という発想が出てくるようになります。
家族皆の課題として家族で取り組む問題と言う意識が出てくるのです。
「不登校は私たちにとってどういう意味があるのだろう」「私たちに何ができるだろう」という考え方です。
行き過ぎた個人主義に陥った今、家族間でもこういう発想で考えることが当たり前になっています。家族はひとつの共同体なのです。
視点が変わるとたくさんの良いところが見つかる
うちの子暗くて・・
うちの子しゃべらなくて・・
もしかしたら暗いのではなく、むやみに人に合せないだけかもしれません。
しゃべらないのは、相手を傷つけないよう言葉を選んでいるのかもしれません。
不登校に限らず、親はついつい他のお子さんと比較して自分の子どもを見てしまいがちです。
他の子どもさんにはない自分のお子さんの良さに気が付いていきたいものです。
あなたがダメ出しをしているお子さんの欠点はもしかしたら他の人がうらやんでいるお子さんの長所なのかもしれないからです。
自分は変わることができるが相手は変えられない
すべからく人間関係の悩みは相手を変えようとするところから起きるのです。自分以外の人間を自分の思うとおりにしようとするところから悩みがはじまる。
相手を思うとおりにしようとすれば、思うとおりにならないから自分が悩むのです。
ありのままの自分を認めてもらうことはうれしいことです。
同様に子供もたとえ学校に行っていなくても今の自分を認めてもらえればうれしいのだと思います。
「なんとかして学校に行かせよう」という親の意図を子どもは瞬時に見抜くでしょう。
学校へ行く、行かないを一旦おいて、ありのままの自分や子供と向き合う時間を得られたのだと、今の状況を考えられるようになって初めて子どもと対等に向き合えるようになるのだと思います。
良かれと思っての対応が逆であること・・
不登校にしろ、お子さんの問題行動にしろ、今までとは他の対応を・・・といってもどうしていいのかがわからなければやりようがありません。
今回は集中二日間で新しい子育て法を学んでいただきました。
今まで自分がやっていたこととは逆をやらなければならなかったんだと気が付いた方、本を読んでも実際どうしたらいいのかが分からなかった方、など多くの実りをお持ち帰りしていただきました。
遠くは秋田から埼玉からと8名の皆様と楽しく学ぶことができ、勇気づけの新しい子育て・人間関係法をこれから実践していただくことでまずは自分が幸せになってくださいねとお伝えしました。不登校も同じです。新しい方法を知らなければやりようがないのです。ぜひ不登校でお悩みの親御さんにも別の方法があることを知っていただいて、親子が幸せに暮らせる日々を取り戻していただければと思います。
大人も子供も環境が変わるのはしんどい
大人が仕事場に行くことが嫌な時があるように、子どもにも学校に行くのが嫌な時があるのです。
私たちはどうしても職場に行く、学校に行くのが当たり前で当然と思いがちですが、毎日たくさんの自分の勇気を使っています。
勇気が補充されなければ、それは減る一方で、何か大きな出来事があれば、あっという間になくなってしまいます。
また小さなトラブルの積み重ねで少しずつ減ってしまって空っぽになっている場合もあるでしょう。
自己受容している人は、常に自分を勇気づけることができ、自分の勇気を必要以上に減らすことがありません。だから空っぽにならないのです。常に補充しつづけ、ほぼ満タンの状態で暮らしています。
アドラー心理学を学ぶことで、この自己受容をできてしまうと、人は大概のことは自力で乗り切っていけます。
自分はここにいていいのだろうか?
不登校になっている子どもは次の三つを失くしています。
「自分はこの場にいていい・居場所がある」
「自分は役に立っている・役立つ人間である」
「自分は欠点もあるが自分を好きである・自己受容」
居場所がなく、役に立っていると感じられず、自分が好きになれないので「学校」に行かないのです。
ご家庭ではどうでしょう?
居場所はありそうです。でも親が子供に学校へ行くことを強要すれば、それもなくなってしまいます。
役立っていると感じるためには、親が勇気づけなければなりません。君がいてくれるから・・・です。
ダメ出しばかりしていれば、子どもは自分を好きにはなれません。良きところに注目することが大事です。
褒めることは、上からの評価です。学校へ行けない自分をダメなやつだと感じている子どもには、違和感を感じると思います。
学校へ行けない、行っていない、そんな自分でも親が認めてくれていると感じられることが大事で、そのためにはやはり「勇気づけ」というヨコの関係をベースにした対応が必要です。
親であるというよりも一人の人間として、傷つき自信を失っている子どもを支えると考えることが大事ではないでしょうか。
ガス欠を起こしていることを理解したい・・
不登校や引きこもりになっている子供さんが、勇気を持てずにそうなっているということは何度かお伝えしていますが、生活するエネルギー自体が枯渇している状態とも言えます。
そういうお子さんに対して「規則正しい生活を勧める」という話がよくあります。
これは「学校に戻る」ことが前提の話で、現在のお子さんにとっては苦痛以外の何物でもないと思います。
家の中でいることが精いっぱいの場合もあるのです。
お子さんの様子を見ながら、一緒にできることはして構いませんし、お子さんがそれを嫌がらないのであればいいのですが、そうでない場合、学校にいるときと同様に嫌なことをさせられると感じてしまうと逆効果です。なぜかというとさらにエネルギーを消耗してしまうからです。
家庭内でエネルギーを充電している状態、ということを親が理解していることが大事です。
何がしたいのか、どうなりたいのか、子どもは考えている
いったいこの子は何を考えているんだろう?
親に何も話してくれないと不安や心配だけが募っていきます。
それで無理に聞き出そうとします。
子どもは子供なりに一生懸命考えています。自分と向き合ったり、これからのことを考えたり。
子どもによって必要な時間は違うでしょう。
いつまで待てばいいのか?と親は思うかもしれませんが、待ってくれている、何も言わずに黙って・・と子どもが感じるとうれしいものです。
学校に行けなくなった自分でも、認めてもらっていると感じるからです。
何も言わなくても子供は時期が来れば自分で話したり動きだしたりする。それを信じ続けること、それが親にできることの一つでもあります。
根拠なく子供を信頼し尊敬し自信を持たせよう
親でなければしてあげられないことー子どもに自信を持たせること。
でも私たちはどうしても相手にダメ出しをすることが多いです。
ダメ出しでは自信を失わせるだけで自信を持たせることはできません。
そうでなくても世の中に出れば評価が付きまといますし自信を失うことも多い。
日本人の「謙遜」を重んじる文化が背景にあり、そのためにどうしても私たちは、自分や自分の子どもに対してできていないところ、ダメなところばかりを他者にアピールしがちです。
人に言わなくてもいいから、家の中だけでも完全に根拠を求めず子供を信頼するためには「親ばか」になることも必要だと思います。
親の会でお子さんの良いところを探していただくと、ほとんど出てこない方が結構おられる。
親の会は、別名「親ばか」の会と言えると思います。誰に気兼ねすることなく子ども自慢をする親が増えるといいなと感じています。
身体だけでなく心の安全も必要
逃げる必要を感じて不登校になっている子どもにとって家庭内が安全かどうかで、引きこもりになるかどうかが決まります。
親との接触を避けて引きこもりになってしまった場合、家庭内でも安らげず逃げざるを得なくなっているのです。
それにもかかわらず親が無理に介入しようとすると、必死で抵抗を試みるようになります。それが家庭内暴力になるのです。
身体のみならず心の安全を確保してあげることが優先事項になります。
親はあなたにとっての敵ではなく味方であるということを知ってもらう努力をしなければなりません。
また家庭内にいる限り、家庭内のルールに皆が従い引きこもっている子どもも仲間として協力するように働きかけなければなりません。
学校へ行く、行かないの前にそういった基本的な関係の構築からやり直す必要があるのです。
高校選択より進路選択のほうがハードルが高い
不登校になり事態が膠着したままでも、否応なく進学を決める時期はやってきます。
高校進学は、親も本人も「決めなければ」と焦りを感じる事案です。
子どもにとって「どこの高校へ行くか」という高校選択はそれほど難しいことではありません。
それよりもむしろ「行くか行かないか」の進路選択の方がハードルが高いのです。
行くと決めれば行かざるを得なくなりますので、本当に行けるのだろうか?という不安は本人が一番感じていると思います。
「また行けなくなったらどうしよう。」という不安です。
そんなとき「大丈夫だよ」と無理に背中を押すよりも、子どもの不安にとことん付き合うぐらいの気持ちを親が持つことです。
子どもの不安に付き合って親もいっしょに揺れる。
親も不安なのですから、それを子どもと共有し、ありのままの自分と子どもを受け入れることを試されるときでもあると言えると思います。
学校に行かないことは弱い子・・という決めつけ
どこかで私たちは弱いことが悪いことだと感じていたりします。
弱さは本当は私たちのバネになるのですが。。
弱さだったりいわゆる人と違うこと、学校へ行っていないとか、人より劣っているという感覚を劣等感と言いますが、アドラー心理学はこれをバネによりよく生きる、しかも自分や他者の役に立って・・と考えます。
「うちの子は学校へ行かない弱い子」ではなく、「学校へ行けない気持ちの優しい子」、その優しさをこれからどう生かしていけばいいのかと。。。
相手のよき側面を見て勇気づけることで、劣等感を子供さんが良き方向へ向けられることができるのです。
ぜひ勇気づけを親御さんに身に着けていただきたいと思う所以です。
不登校・引きこもり・家庭内暴力
「学校へ行かせよう」という結論と「そのための行動」をしている限り、不登校と引きこもりは長引きます。
なぜなら子どもは「自分の嫌がることを親が無理にさせようと思っている」と感じるからです。
親が自分の気持ちに寄り添ってくれていると感じればこそ親との話し合いはできるようになります。
自分が嫌がることをしようとする相手をどうして受け入れられるでしょう?好きになれるでしょう?
それは無理な話だと思います。
今の学校と言う枠組みがある限り、そこにぴったりはまらない子供、苦しいと感じる子供は必ずいると思うのです。
とは言っても、学校のシステムを変えようとするのは現実的ではありません。システムが変わったとしても自分の子どもがそのシステムに適応できるとは限らないのです。
当てはまらないと感じる部分は、実は本人の強みでもあります。その強みに気が付いてあげられるのは実は親しかいないとアドラー東北(仙台)では考えています。親の会ではそういうところを皆さんと見つけていけるといいと感じています。
聴き方一つで子どもは心を開く
不登校になったお子さんに多くの親御さんや教師はこう問いかけます。
「どうして学校に行かないの?」「なぜ学校に来ないの?」
これは原因追究の詰問調の問いなので、「あなたに原因があるのよ。」と言われたも同じで、言われた方は言葉に詰まってしまいます。もしくは子ども自身もなぜ自分は学校に行けなくなってしまったのか説明できないことも多いのです。
それに対して「何が嫌だった?」という問いは少なくとも自分の気持ちを聴いてくれているという安心感を子供の中に生みます。
また具体的に答えられる問いと言えるでしょう。
同じ不登校について尋ねていても子どもが感じる響きは全く違うのです。
「どう感じていたの?」「どんな気持ちだった?」でもいいでしょう。
学校ありきの問いから、子どもの気持ち優先の問いかけに代わるとお子さんの反応もきっと違ってくると思います。
きっかけづくりをしたい・放っておけない親心
放ってはおけない、何かしなければ、と不登校や引きこもりになると親は話をするだけでなく、何か提案をしがちです。
「午前中だけでも行ってみたら?」
「近くにフリースクールがあるけどどう?」
「明日は運動会だけど行けるかしらね。」
不登校になり引きこもってしまった子どもには、これらの働きかけはどう感じるでしょう。
私たち大人でも気分が沈んで、一人でいたいときがあるものです。
家事や仕事に手が付かない、やりたくないときもあると思うのです。
そんなとき無理に前向きにしようとか、やらせようと誰かがあれこれ言ってきたらどう感じるでしょう?
「放っておいてほしい」「余計なお世話」と思うでしょう。
子どもとの関係をアドラー心理学の親子関係をベースに変えていろいろと話し合えるようにしておくと、子どもは必ず「~してほしい」とか「~~に相談に乗ってほしい」「自分は~したい」と自分の気持ちを話してくれるようになります。
焦らず、子どもからの提案を待つこと。なんとかしようとするのは、子どもは自分の世界に勝手に親がずかずか入ってきたように感じて不快以外の何物でもないことを知っておきたいものです。
親を仕事とするなかれ、子供には人対人として向き合うべし
子どもが不登校になる、引きこもる、暴力をふるう、拒食になる、自殺する、どれも子供にとっては命がけと言わざるを得ません。
自分が生き残るため、居場所を得るため、自分の自尊心(プライド)を守るために子供は必死なのです。
ところが親の方はあくまで、親であるから、とか親としてどうか、というところから抜け出せないことが多い。
子どもは人として向き合ってほしいと願っている。けれど親はあくまで親として向き合おうとする。
親ってなんだろう?と考えざるを得ません。
子どもは子どもとして理解してほしいのではないと思います。一人の人間として理解してほしいのです。
だから親にも人として対したいし、対して欲しいのです。
アドラー心理学でいうところのヨコの関係とはこういう事なんだと思います。
親として・・と言っている限り、どうしても「保護」「助言」「指示」が多くなり、上からの目線になります。
ここをどう親の側が自分の中でクリアしていくかが難しいところです。
人はいつからでも変わることができるとアドラー心理学では考える
この場合の社会性とはなんでしょう?他者とうまくコミュニケーションをとれて適応していけるという意味だとすると、学校へ行った行かないはあまり影響がないように感じています。
なぜかというとアドラー東北(仙台)に来られる皆さんはおおむね不登校だった方たちではなく、高卒以上の学歴を持ち、学校へ行っていらした方たちで、他者との適応について悩んでこられるからです。
学校で学ぶ知識の中には他者との関わりを学ぶコミュニケーション・適応の授業はありません。
それよりもこれからの社会で、自分の特性をどう生かして社会の中に居場所を見つけ貢献して人生を送れるかと言う事の方が大事です。
学校現場が一定のひな形の枠に子供を当てはめる画一的な教育を行っている限り、その枠に当てはまらない子供たちははじかれるのは仕方がない現実があるのです。はみ出したからと言ってその子にはその子の持って生まれた価値があり、型にはまらない能力があり、素晴らしさがあり、それを見つけてあげることができるのも、自分で発見してもらえるのも、人との違いからです。
私自身は不登校になったお子さんには、一定の型にはまらない特別な力があり、皆と同じを良しとしない芯の強さがあり、そして勇気くじきに反応する繊細さや敏感さという良さを持っていると感じています。
そういうお子さんの良さに着目して勇気づけていきたいものです。
褒めるには限界がある
不登校に限らず近年問題視されているのが子供の「自尊感情の低さ」です。
自分に自信が持てず自分の価値を認められず自分が好きになれない子どもが増えています。
それでも昔は地域そのものがまるっと共同体で助け合い支えあって暮らしていましたので、自分の子どもでなくてもだれかかれかは子供について関心を持ち、そこから外れないような配慮が自然となされていたと思います。
今は完全核家族化していますから、その地域の支えもないので、子どもは家庭内で自尊感情を育てられないと、学校へ行く勇気も持てなくなるのではないでしょうか。
今まではこの自尊感情を育てるのに「褒める」こと以外方法がないように思われていましたが、子供に自立心が芽生える時期になるとそれも「何か狙いがあって褒めている?」と捉えられてしまい、その効果にははなはだ疑問が付きまといます。
また自尊感情が損なわれるのは「失敗」をしたときの場合が多いのですが、失敗した時に「褒める」ことはできないのはお分かりでしょう。
アドラー心理学の勇気づけは、失敗した時に「自尊感情を損なうことなく、またがんばるぞ、チャレンジするぞ」と子どもに思ってもらう方法です。
また結果ではなく努力の過程に注目して言葉をかけるので、結果がどうであろうと用いることができます。
この勇気づけと褒めるの違いは、なかなかぴんとこないことが多く、もちろん本を読んでもわかりません。実際に足を運んでこそわかる感覚なのです。
そういう意味でアドラー東北(仙台)には、毎月自分を勇気づけるために足を運ばれる方が多いです。
自分が勇気を持ててこそ、子供や他者を勇気づけられるからです。
現実逃避できるから命があることもある
逃げることは悪いことではないと私自身は考えています。私たち大人でも逃げることは良くあります。逃げられない、逃げることが悪いことだと考える人は、抱え込みが多くなり、自分自身がそれで苦しむように感じています。
もしもお子さんがいじめで学校から逃げる手段として不登校を選んでいた場合、逃げなければどういう事態が起こるでしょうか?
自殺したお子さんについての報道を目にするたびに「逃げてくれれば。。」「学校に行かないという選択をしてくれれば。。」と思わずにはいられません。
自分の安心、安全を確保できない環境で過ごす学校生活からはどういう意味をその子にもたらすとお思いでしょう。
不登校には一時的避難の意味もあると思うのです。逃げることが悪いことだとは限りません。
子どもだって休む時期が必要
自立へ向かって子どもが自ら動き出すようになるには、人それぞれの時間が必要です。
不登校や引きこもりになった時点ですでに完全にガス欠になっていることも多いのです。
燃料がないのに、親は良かれと思って子どもの登校を促します。
このことが逆に子供のエネルギーをさらに消耗させてしまい事態を長引かせることもあるのです。
子どもの力を信じて待つ、親の忍耐と長い目でその子の人生を見る大人ならではの視点と勇気が必要なのです。
相談できる場を提供していける幸せ
4月の仙台親の会は新しいご参加の方を迎えて、いつもながら和気あいあいと、それでいて本音を語り合う場になっておりました。
はじめての方は、自分の心の痛みを始めて理解してもらえて、気持ちが緩まれる方が多いです。
親のつらさを話せる場はなかなかありません。いわゆる相談はまず自分や自分の気持ちと向き合う処からのスタートなのです。
親御さんもかなり我慢していることが多いので、ありのままを受容してもらえるというのは大事なポイントです。
勇気づけの記録を付けていただくことをお伝えして、次回お持ちいただくことになりました。
もっと多くの方にいらしていただけるとうれしいのですが、個人的にお話ししたい方も多いので、少人数にさせていただいております。勇気を持てるようになるのは、親も同じです。
子どもに勇気を持ってもらいたいのであれば親も勇気を持って行動していきたいものです。
「怖い」というメッセージを受け止める
子どもは家族と言う共同体の中で守られていると感じて育つのですが、幼稚園や学校は知らない人ばかりの新しい共同体であり、そこへ行くと言う事はとても勇気のいることでもあります。
たとえば私たち大人でも、見知らぬ人の中に入っていくのはとても勇気がいることはお分かりでしょう。
ドキドキしたり緊張したりしますよね。だから勇気がないと新しい環境にはなかなか入っていけない、それは大人も子供も同じです。
幼稚園へ行く道すがら、行きたくないと座り込んでいるお子さんを見たことがありませんか?
「知らないところへ行くのは嫌だよ~怖いよ~。」と言っているので「駄々をこねている」のではありません。知らないところ知らない人ばかりのいるところへ行くのが怖いのです。
だから勇気がないといけないのです。
一旦なじんでも、年度で担任やクラスメイトが変わったりします。それも子供にとってはとても勇気が必要なことなのです。
クラスわけで「知っている子がいる」と喜んでいる風景を良くご覧になるでしょう。それが勇気を持って新しいグループに入る足がかりになっているのです。
自分のいる場所がないと感じる喪失感
アドラー心理学では、人は居場所を求めて行動すると考えますので、居場所があると感じればそこに行きます。
不登校になったお子さんは学校に居場所がないと感じているので行かなくなるのです。
「自分がつらいんだ。」と思うのも、自分の居場所がないからです。
具体的には、そこにいても自分には価値があると思えたり、安心・安全だと感じたりということですが、究極的には「ありのままの自分でいられる」ということになるとアドラー東北(仙台)では考えています。
ありのままの自分でいられないと感じるので学校へ行かなくなるのです。
ありのままの自分でいると、ダメ出しをされたり、裁かれたり、はじかれたりする。。
安全ではない、安心できない、自分らしくいられない、ここには自分の居場所がない。。
そう感じているのです。他者との違いを認める教育がなされていれば、こうはなりません。
アドラー心理学だと「もともと人は皆違うものだ。」という前提から出発しますので、スタートラインからして考え方が今までとは違うのです。
ご自分のことを考えてみてもおわかりかと思うのですが、ありのままの自分でいても誰にも何も言われない環境こそ居場所があると感じられるのではないでしょうか?
だからこそ不登校に限らず親御さんや教師に必要なのは、お子さんに対しての絶対的な信頼と尊敬と受容がなのではと・・と思うのです。
不登校になったとき解決を求めているわけじゃない。。
「つらいんだ」
お子さんが不登校になったとき、親に何を求めているかというとこの一言を理解してもらいたいということに尽きるとアドラー東北(仙台)では考えています。
解決してほしいわけでも原因を聞いてほしいわけでもありません。
自分のつらさをわかってもらえるだけでお子さんは救われるのです。
ところがそれとは別の方向に親も教師も走ってしまいます。
アドラー心理学ではこれを共感と言います。
「相手の目で見て、相手の耳で聞いて、相手のこころで感じること」
すなわち「お子さんの目で見て、お子さんの耳で聞いて、お子さんのこころで感じること」
自分が今お子さんに対してしていることは、不登校になったお子さんのつらさを理解しようとするのに役立っているのでしょうか?
もしもつらさを理解している、理解しようとしているなら、まず「勇気くじき」をやめることが最初のスタートになるのではないでしょうか。
今あなたがお子さんの為と思ってしていることは、お子さんを勇気づけることになりますか?それとも勇気をくじくことになりますか?
子どもが嫌がるが、先生が来るのでどうしたらいいか。。
お子さんが不登校になると、担任の先生が、お子さんをたずねて家庭訪問に来ることが多いでしょう。
むげには断れないし、かといってお子さんは嫌がるというのは想像に難くありません。
なぜかというと学校へ行かなくなった時点で、担任の教師との関係もあまりいいとは言えないことがほとんどだからです。
子どもと教師の関係は二者間の問題ですから、その辺は割り切って、家庭訪問についての希望を話し、お子さんのプレッシャーにならないようにしたいものです。
親御さんにとっても担任の先生と会うことはかなりのプレッシャーになることは否めません。
人によっては家庭についてダメ出しをされているように感じることもあるでしょう。辛いと言う事を伝えないと、その辺は理解してもらえないことも事実です。
電話でのやり取りに変えてもらうとか、頻度を少なくしてもらうなど、親御さんとお子さんの希望を伝えて理解してもらうようにしたいものです。
学校へいかなくなり、学校との連絡で困るという親御さんは多いです。
お子さんが学校へ行かなくなると毎日の学校への連絡が億劫になることがあります。また行かないと言わなければならないことは親御さんにとってもかなりのプレッシャーですし、そういう親を見ていてお子さんは自分へのプレッシャーも感じます。
かといってまったく連絡を取らなくなってしまえば、いざ学校へ登校しようとお子さんが思った時に、困ってしまうのではないかと言う悩みも出てくるでしょう。
担任教師がどういう対応をするかにもよりますが、あまり負担がかかるようであれば、必要な時に連絡を取りあうぐらいにしておくのも、お互いの為です。
つながっていないことに不安を感じられることもあるでしょうが、ここはまず親子の関係を優先にして、割り切ることも時には必要だと思います。
学校へいかなくなり、ゲームに没頭するようになるケースは多い。
学校へ行かなくなって家で何をしているかというと、ゲームばかりしています。テレビばかり見ています。ネットばかりやっています。そんな声を良くお聞きします。
これは精神的な引きこもりの状態と言っていいでしょう。
誰と話す必要もなく、嫌なことを言われたり、嫌な思いをすることもないのですから。本人にとってこれ以上安全・安心な方法はありません。
穏やかに話し合える方法をアドラー心理学を通して親の方が身につけたら、こういった精神的な引きこもり時間について話し合うことが必要になります。
いずれにしても、現実逃避の方法としてゲーム等に夢中になっているので、現実と向き合う勇気が持てていないのであることはたしかです。
いつかは現実と向き合わなければならない日も来るので、その背中を勇気づけで押してあげられるのは親しかないのです。
言ってもわかってもらえないと感じているか、言えば叱られると感じているか、自分でもよくわからないと感じている
今までの親子関係を踏まえて、今の事態がありますので、話し合える関係になっていないと子どもはなかなか自分の本音を話してくれません。
なぜかというと、自分の本音を言えば、否定されたり、評価されたり、叱られたりする可能性が高かったりするからです。
親の方がやんわりと子どもの言葉を受け止め「そうだったのね。」と言える関係になっていないと子どもは本音を言わないでおこうと考えます。
「言ってもわかってもらえない」関係から「言えば受け止めてもらえる。わかってもらえる。」関係に変えていかなければなりません。
そういう関係からまず整えていかなければなりません。そのためにSMILEの受講の必要があるのです。
学校に行かなくても家族と共に暮らすという生活のリズムは変えない
不登校になると昼夜逆転の生活になるわけではなく、周りがそれを許可してしまっていると考えたほうがよさそうです。
どう介入したらいいのかわからずに、そうなってしまった・・と言った方が自然かなと思います。
学校に行くにしろ行かないにしろ、勝手に生活していいと言う事にはならないのです。
勝手な生活をするようになると、自分はなんでも自由を許される特別な存在であると思ってしまいます。
家にいるならいるで、家族と協力して暮らせるように、朝は家族と共に起き、家族と共に食事をとり、といった最低限の規則正しさを保てるよう協力してもらうことは可能でしょう。
また昼間もできる範囲で家の中のことを手伝ってもらうことも必要です。
自分が何らかの役に立っているという貢献感を持ってもらいながら、勇気づけを続けていくことで事態は変わっていくと思います。
現実に起こっている出来事をいったん整理する
他の相談窓口やカウンセリングではどういう対応をされたのかはわかりませんが、皆さん大体「もう手がない」という状態でアドラー東北へいらっしゃいます。
あきらめようかと思いながらあきらめきれないところでいら社るので、こちらのご提案をダメもとでやってみようと考えられるようです。
アドラー心理学の場合、不登校について言えば明確な定義があります。
それは「勇気をくじかれて学校に行く勇気が持てない状態である」ということです。
お子さんに勇気を持ってもらうには、勇気をくじかず勇気を与える勇気づけを毎日していただくしかない。
勇気づけるためにはお子さんの良いところをたくさん探してもらいます。
ただこれは勇気づけという技法のほんの一部分を使って行う事なので、勇気づけには基本的な親子関係のスタンスが必要であり、それがないとすぐに塗りがはげてしまう。SMILEで学ぶ親子関係のベースがあってこその勇気づけになるのです。
そのために親の会とSMILEは必ずセットで・・という対応が必要になるのです。どんなに言葉が勇気づけに聞こえても、態度が違えば子供はわかります。矛盾のない対応を親がしていかないと子どもには見抜かれてしまい、逆に事態を悪くしかねません。
人生の流れが止まるという感覚
人生を私たちが振り返るとき、何歳の時にどんなことがあって、だれとどう過ごして、と記憶の日記に書いてあると思います。
不登校になった子どもは、その日記を更新するのをやめているのです。
新しい体験や出会いを書くことは、不登校になったその日から止まります。それは引きこもってしまった場合に顕著だと言えるでしょう。
それは親にとっても同じではなかろうかと感じます。
その子と紡いできた人生の歴史がその時点から止まるのです。
ストーリーをこれから先書いていくには、勇気と言うエネルギーがいります。ガス欠を起こしているのです。
いつそのエネルギーが充電されてまた人生を描き出すのかは誰にもわかりません。
大人でも心を病んだり、ガス欠を起こして動けなくなることはあります。
子どもでもそれはあることなのではないでしょうか。
それを受け入れられるのは親であるあなたしかいないと思うのです。
兄妹同士を比較しないこと
兄妹の中で一人が不登校になると、他の兄妹との関係も悪くなる場合があります。
親は不登校になった子どもにかかりきりになり、他の兄妹に目が行かなくなります。
不登校になったこと事体もショックなのに、他の兄妹も行かなくなったらどうしようと予期不安に襲われることもあるのです。
子どもの立場でこの状態はどう目に映るでしょう?
不登校になった子どもは、親の介入を不快に感じる一面で、不適切な行動をしたら(不登校になったら)親が自分に関わるようになった。学校へ行っていたとき(適切な行動)の時には目もくれなかったのに。。
不登校でない他の兄妹は、自分はちゃんと学校へ行っているのになぜ親は学校へ行かない子ばかりを構うのか?と思う。
ちゃんとやっている自分に注目せず、ちゃんとやらない子供に注目するのは不公平だと感じるかもしれません。
それは子どもが感じる劣等感です。劣等感を刺激すると兄弟間の仲が悪くなります。比較をするつもりがなくても子供は親をめぐって「自分の方が大事にされているかどうか?」ということを常に見ていることを意識しなくてはなりません。
期待は子供への無言の圧力になる
新学期が始まります。今までは不登校だったけど、子供も新学期から行くと言っているし、なんとかなるかもしれない。とお考えの方もおられると思います。
お子さんの立場で考えると「親も心配しているし、期待に応えないと・・。」と思っているかもしれません。
ただ今まで行っていなかったのに学校へ行くと言うのは実はかなりの「勇気」を必要とします。
もしも新学期になってもお子さんが学校に行けなくてもお子さんを責めないで上げてほしいのです。また期待をあからさまにお子さんにわかるようにすることもお子さんにはそれだけで圧力と感じられます。
学校へ行く・行かないのはお子さんの課題だとアドラー心理学を学んで理解できていても、その辺がなかなか割り切れないというのは親の本音です。
親にできることをコツコツと続けること。お子さんのこころのコップが勇気で満たされるよう「勇気づけ」を続けること。
親にできることはそれしかないのです。焦らずに親も達観して見守る気持ちで新学期を迎えたいものですね。
子どもさんが参加しなくても親が対応を変えるだけで子どもが変わる・・
アドラー東北(仙台)に来る前にどういった支援を受けておられましたか?とお聴きすると、お子さん連れでカウンセリングを受けたり、相談窓口に行ったりということをほとんどの方がなさっておられます。
これはお子さんにも親御さんにも大変負担のかかる方法です。
アドラー心理学の場合には、お子さんが来なくても親御さんの対応を変えるだけで明らかにお子さんとの関係が良くなっていきます。
現実にお子さんを連れていらした方はお一人もおられませんし、その必要はないことをお伝えします。
人の行動には必ず相手役がいる、とアドラー心理学では考えるので、相手役になっているであろう親御さんの対応を変えるとお子さんの反応が変わってくるのです。
離婚後実家に戻って子どもが不登校になったばかりでなく、家族とも上手くいかなくなり・・
ちょうどアドラー東北(仙台)の親の会にいらしたKさんは泣いてばかりおられて、混乱のさなかにおられるようでした。話しておられるうちに泣きじゃくるので何を言いたいのかもはっきりしません。
何度か通ってこられるうちに、離婚されてお子さんを連れて実家へ戻ったのだけれど、子供は不登校になり、実家のご家族ともうまくいかなくなり八方ふさがりであることがわかってきました。
親の会のフォローとSMILEの受講でお子さんは学校へ行きだしましたが、ご家族との関係は良くありませんでした。
離婚して実家に戻ったので「甘えてはならない」と思っておられることがSMILE受講後の親の会でわかりました。
ここにご両親や同居されている兄弟との気持ちのギャップがでてきます。
Kさんの気持ちとしては「これ以上親には迷惑をかけられない」
親の気持ちとしては「傷ついて家に戻ってきた娘の力になりたいが、それはいらないという。自分たちを都合よく使っているようで面白くない。」
離婚したので実家に戻ります。でも経済的にも困っていないし、助けはいりません。自分には関わらないで欲しい。
と自立の意味を間違ってとらえていたのです。
娘を助けてやりたいという親ごさんの気持ちを素直に受け取ればいいのだということをお伝えし、自立とは困ったときに協力、助けを求めることができることでもあるとご理解いただいて、その後は仲良くなる道を選ばれているようです。
お仕事をお持ちのお母さんは皆さんが同様のことを悩んでいます。
アドラー東北(仙台)で、ちょうど一年前ぐらいに不登校のご相談にいらしたMさん。最初はアドラー心理学勉強会のほうにいらしたのですが、そのうちお子さんの不登校で悩んでおられることがわかり、親の会のほうに参加していただきました。昨年末にSMILEを受講されて、新しい親子関係のあり方、子ども対応のやり方にびっくりされましたが、今はこれからも学び続けたいと思っておられます。いつもお忙しい中時間を見つけては通ってきておられます。
そんなMさんが、仕事を続けることがいい事なのかどうなのかという悩みを打ち明けてくださいました。
お仕事は好きですか?とお聞きしたところ、とても好きだとおっしゃいます。
お仕事を辞めると言う事はお子さんのために好きなことをあきらめると言う事になりますが、それはお子さんはどう思うでしょうね。と問いました。
がっかりするかもしれないし、自分の為に・・と悪い気がするかもしれません。。
お子さんがそう感じることは、あなたが望んでいることですか?
いいえ違います。
もう一つお聞きしますが、仕事を辞めると不登校が改善されるのでしょうか?
いいえ、それもないと思います。
それでも仕事を辞める理由がありますか?
ありません。。
ということで最後は仕事を続けます、とおっしゃって笑顔でお帰りになりました。
誰もが仕事を持って活躍する時代。お子さんのためにと言いながら自分のやりたいことをあきらめるのは、親にとっても子供にとってもいいことは何もないと思います。
学び続けることで家族が救われたと感じています。
アドラー東北(仙台)でアドラー心理学を学び続けているNさん。通い始めたのはお子さんの不登校がきっかけでした。もう2年前になります。感覚の鋭いお二人の御嬢さんとの関係も悪く、経営者でもあり、自分のこととお子さんのことでいっぱいいっぱいになって、親の会にご相談にいらしたのが最初でした。
親の会や勉強会でフォローを受けながら、SMILEやELMを受講され、お子さんたちとの関係はとても穏やかで良いものに変わりました。
その後も通い続けながら、リーダーの資格も取られ、アドラー東北(仙台)のご相談者への対応を自分の勉強とするために今はおいでになっています。
先日そういった資格を取られた方のための講座にいつものようにおいでになったNさんが、ぽつりとこんなことをおっしゃいました。
Nさんはお子さんとの関係が改善したのち、職場の人間関係も改善されていましたが、ご主人との関係は最後までうまくいきませんでした。
でも毎回ご相談者に私が「仲良くなりたい?仲良くなりたくない?」と自己決定を促しているのを見て、「同じ家の中で一緒に暮らしているのに、主人とも仲良くできたらいいな。」とそう思ったんだそうです。
それでご主人にそれを伝えたそうです。そうしたらご主人も「仲良くなりたい」とご返事してくれたんだとか。。
「うちの家族はみんな、先生とアドラー心理学に救われたんだなと思っています。こんなに毎日が幸せで、本当に豊かな気持ちで暮らせるなんて。。」と。
「それはあなたが努力したからです。やり方は教えたかもしれませんが、やる!と決めて実際にコツコツとやり続けたのはあなたです。だからあなたの力なんですよ。」と申し上げました。
これからもずっと来続ける覚悟を持って毎月足を運んでくださっています。
無料レポートを読んで学校へ行きだした、でもそれではまだまだ勇気は足りない
不登校の親の会で最初にお話しするのは、お子さんのこころのコップを勇気で満たしましょうということをお伝えします。その子にとって学校へ行けないのは勇気が持てていないからです。勇気が持てていれば行けるようになります。そのために親御さんに勇気づけを学んでもらう必要があるのです。親の会では簡単な勇気づけの方法をお教えして実際にやっていただきます。そのうえで基本的な勇気づけの子育て法SMILEを学んでいただいて「勇気づける親」になっていただくのです。
親の会でお伝えする簡単な勇気づけは、さわりの部分に過ぎません。これはSMILEのほんの一部をつかっているに過ぎないのです。
無料レポートを読んで学校へ行きだしたという方もおられますが、それはお子さんのコップの底に若干の勇気がたまった状態ですから、すぐに枯渇してしまいます。多少のことでは枯れないほど満々とたたえた勇気のコップを持ち続けてもらうには、親御さんが「勇気づける親」にならなければなりません。
そのためには学ぶことがたくさんあるのです。それが愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILEに集約されているのです。
親はどうしても目先のことに囚われがちだが、目標がはっきりしていると長期的視野と大局を見られるようになる
アドラー心理学の育児の基本は「子育ての目標」を明確に設定し、それにそって自分の対応を考えてやっていくことです。
ここが定まっていないから「ぶれる」とか「その場しのぎの対応をしてしまう」ということが起きるわけです。
最終的に目指すのは「自立し社会のお役にたつ子供に育ってもらうこと。」
それはいつ実現するかは誰にもわかりませんが、親の基本スタンスとして子供とその能力を信じ続けるということが上げられると思います。
他者対応のノウハウなんていうのは小手先の技術であって、基本的に他者を信頼できるかどうか、を常に私たちは試されているのです。
その他者の際たる存在が家族であり、子供であると言えます。
長期的な視野で「自立し社会のお役にたつ人間」になってくれれば、今抱えているであろう「学校に行く、行かない」は目先の問題に過ぎず、そのことが理解できると、方法はいくらでもあると親が寛容さをもって現在の事態を理解できるようになります。
子育てと言う長いスタンスと、社会全体から見たひとりの子どもの人生、大局を見る目を養いたいものですね。
中学生の子どもが不登校になり言い争いが絶えず家庭の中がピリピリ。。キレると暴力をふるい、家の中のものを壊したり暴れる子ども。子育てを失敗したと感じて社会から孤立した気持ちでいた。
夏休み前に親の会にご参加。中学生のお子さんが進学を前に学校に行かなくなり、家庭内が荒れて、わらにもすがる思いで岩手からご参加してくださった。
以前別のところでアドラー心理学を学んだことがあり、小学生の時にはそれで登校しぶりが解消したが、今回は子どもとの関係が悪化するばかりで手の施しようがないと感じておられた。
初回の面接で家庭内の様子をうかがったところ、ご相談者が良かれと思ってしてきたことが子どもに逆効果であり、自分は特別な存在だと思ってしまった節があることをお伝えした。
日々お子さんを勇気づけをすることと同時にまず「家庭内の秩序」を取り戻すことが大事であることをお伝えして、食事等本人を特別扱いしないことに取り組んでいただくことにした。幸いご家族の協力も得られ、SMILEが始まるころにはだいぶ家庭内で暴れたりと言う事も減ってきたようである。
SMILE終了時にはお子さんとの関係はとても穏やかで良好なものに代わり、冷静に進路について親子で会話ができるようになったとのこと。
さらに、自発的に家庭内の手伝いもしてくれるようになったので「こんなに穏やかな日を迎えることができるなんて夢のようだ。」とおっしゃっておられた。
また勇気づけは言葉かけだけではなく、その底には「根拠を求めずお子さんを信頼し続ける」という親としての覚悟が必要であることを学んだとおっしゃっておられた。
大変難しいケースであったが、SMILEを挟んでの親の会のフォローアップの必要性をひしひしと感じた事例である。
学んだあと来なくなるとどうしてもSMILEのテキストで学んだことを自己流に運用しがちなので、その辺のフォローは親の会でがっちりしていきたいと思っている。
昨年末の不登校についてのグラフから考える
実際のところこのグラフを見る限り不登校は増え続けている。教育現場の混乱は察して余りあるものがある。
ただ最近の傾向として様々な選択肢が不登校のお子さんを抱えたご家族に提示できるようになってきてはいる。
最近の仙台での受講生の傾向としてできるだけ学校に戻るにしても地元から遠く離れたところといったことを望むようである。本人もご家族も世間の目から離れたいといった感情がうかがえる。
また田舎に行くほど選択肢がないのは、相変わらずであるが、最終的には子どもが自分のこれからの人生をどう生きるかを考え出せば「どこに行くか」「学校へ行くか行かないか」はあまり問題にはならないと感じている。
「問題のあらまし」
福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学一年生の男子生徒が、いじめを受けて不登校になり、弁護士を通して手記を公表した。
「賠償金があるだろうと言われ抵抗できなかった」と心情を綴り、いじめによる子どもの自殺が相次いでいることを受けて「いじめがなくなってほしい「多くの子どもの少しでも励みになれば」と公開を決意した。
生徒と家族は東日本大震災後の2011年8月に横浜市に自主避難。直後から転校先の私立中学校で名前に「菌」をつけて呼ばれるなど複数の児童からいじめを受け始めた。
市教委の第三者委員会の調査によれば、加害児童ら10人ほどと遊園地やゲームセンターなどへ行くようになり、遊興費のほか食事代や交通費も含めて1回5万円~10万円の費用を10回近く負担。児童2人にエアガンを購入したこともあった。男子生徒は親の現金を持ち出していた。総額150万円以上。
事態に気付いた複数の保護者が学校に連絡。男子生徒の保護者も学校に問い合わせた。学校も調査を始めたが「信用してくれなかった」「無視された」と生徒は手記で述べている。
現在は小学校を卒業しフリースクールに通っている。
「以下手記の一部抜粋」
「加害者からお金を持って来いと言われた。」「メールでも言われた。」「人目が気にならないところでもってこいと言われた。」
「お金を持って来いと言われたときすごいいらいらとくやしさがあったけど、ていこうするとまたいじめがはじまると思って、なにもできずにただこわくてしょうがなかった。」
「ばいしょう金があるだろうといわれ、むかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」
「00、00には、いつもけられたりなぐられたり、ランドセルふりまわされる、かいだんではおされたりして、いつもどこでおわるかわからなかったのでこわかった」
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられると思った。なにもていこうできなかった」
「いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった。」「なんかいも先生にいおうとするとむしされてた」
「いままで何回も死のうと思った。でもしんさいでいっぱい死んだから、つらいけどぼくは生きると決めた。」
「アドラー東北所見」
世の中は理不尽なことが多い。それを小学校の後半から経験しなければならなった本人の辛さは察して余りある。
原発事故で居場所を失ったことも理不尽なら、そのことをタネにいじめにあうことも理不尽である。
しかしこの子は「勇気」を失わなかった。
「不登校」という選択をした。
そして「生きる」という選択をした。
また自分と同じように苦しんでいる子に役立てばと言う「貢献感」を持って告発をした。
小学校5年生でこういう共同体感覚を持てているとは、驚きである。
そこには彼のすべてを受け入れてくれ援助してくれ支えてくれる大人の存在があったことは確かだと思う。
ポイント・キーワードについてまとめてみた。(2017・3・26記)
「問題のあらまし」
滋賀県高島市の市立小でいじめをうけた6年生の女児が心身症と診断されて登校できなくなる問題があり、学校側が、調査方法や構成メンバーなどについて家族らと事前協議をしないまま第三者委員会を設置、調査をはじめたことがわかった。
文部科学省は「第三者委員会の調査を始める前に開始時期や期間のめど、方法などをあらかじめ被害者側に説明するべき」との立場を示し、こうした内容を盛り込んだ「いじめの重大実態の調査に関するガイドライン」を2016年度に全国通知するとしている。
女児の家族らは「国の方針に逆行した対応」と反発。関係者によると第三者委員会は、弁護士、臨床心理士、社会福祉士の3人で構成。第一回の会合を開いた。事実関係や学校と市教育委員会の対応を調査し再発防止策を提言するのが目的とされる。
「アドラー東北所見」
当事者を置き去りにした大人の暴走と感じる。
不登校になった子どもの存在はどこなのか?と問いたい。子どもの気持ちは?どうなのかについては全く配慮されていない。
協力して支援していかなけばならない親と学校側が、事前の話し合いがないということで対立関係になってしまっており、何が優先事項で何が大事なのかが忘れ去られていると感じる。
「原因はいじめであるからそのことについて調査するのは学校側の責任である」、学校側はやるべきことをやっていますというアピールに過ぎないと感じる。これも責任回避の一つの表れであろう。
不登校になってしまった子どもには「心身症の症状が出る」のはよく見られる。現実に対応できない、困難を克服できないと感じると症状がひどくなる傾向がある。
不登校になった原因を追究しても子供を支援することにはならない事例だと思う。原因論の迷路にはまり人間関係も悪くなるだけである。そして当事者の子どもも救われない、何のメリットもない対応と言わざるを得ない。(2017・3・27記)
「問題生徒の情報を配布」
埼玉の中学ー会議で自治会長らに
埼玉県熊谷市の市立中学で1月に開かれた非行防止などを目的とした会議で、問題を抱えているとして生徒13人の氏名やトラブルの内容と言った個人情報を載せた資料を、出席していた学区内の自治会長らに配布していたことがわかった。
熊谷市教育委員会によると、会議は1月に開催。自治会長や民生児童委員のほか、市教委や熊谷署の担当者ら17名が出席した。
その際、同校が非行や不登校などの傾向にある1~3年生の男女13人の氏名と学年をまとめた資料を全員に提供した。
うち非行の問題がある5人については顔写真も付けて「学力が低い」「性的なことへの興味関心が強い」などと記載。会議後に資料が回収される予定だったが、徹底されず一部が持ち帰ったという。
「アドラー東北所見」
こういう学校側の行動を見聞きするたびに学校とは誰のための場所であり、何のための場所なのかとはなはだ疑問を感じる。
また子どもの人格を否定しているように感じるのは、大人の基準でレッテルを貼っていることがあるからであろう。
不登校も非行と同様に問題であると考えている。これはまさに「生徒が悪い」という視点からの教育放棄に等しく責任放棄である。
アドラー心理学で考えれば非行に走っている子どもや不登校になっている子どものために私たち大人にできることは何かということを話し合うだろう。
レッテルを貼った情報を関係者間で共有化したところで「そういう認知でその子を見る」だけである。それを助長することに気が付かないのであろうか。
同じ人間としての温かさを感じない。こういうことに何の意味があるのかと憤りを覚えるだけである。(2017・3・28記)
「いじめの調査を充実せよとの遺族の訴え」
青森・中2自殺・遺族らー文部科学省に要望書
昨年8月にいじめの被害を訴えて自殺した青森市立中学のKさんの父親ら各地の被害者遺族が23日文科省を訪れいじめ調査の充実を求める要望書を提出した。
主に県教育委員会が設置する第三者委員会は調査能力が不十分で有効な再発防止策につながらない他加害者の反省の機会を奪っていると訴えている。
要望書は第三者委員会の問題点として①いじめに対する見識を持っていない委員がいる。②教委と利害関係のある委員が含まれる。③被害者に情報を開示しないことが多い。などを挙げた。
自殺と言った重大事態が起きた場合は関係者の口裏合わせなどを防ぐため発生直後から調査を開始することの重要性を訴えた。
「アドラー東北所見」
子どもを自殺で亡くした親御さんの心中は察してあまりある。文科省に訴えた気持ちも理解でき、現実ではいかんせん駄目であると感じてのことであろう。
しかしながら文科省が何かできるかというと実際には何もできないというのが実態ではないだろうか。
いじめについては自殺した場合の因果関係は証明できないことが多いというのが、数多くの事件報道を見ていての感想である。第三者の力では特定が難しい。しかし一人の大事な命が奪われたことは事実であるのだから「犯罪」として警察力の介入の方が現実的なような気がする。
またいじめられていることを周囲の大人が察知でき、話しを聴けて協力してその子を守るような子供との人間関係の確立を目指す方が大事と思う。
原因追究は警察力に任せ、今親として、または教育に携わる者として再発を防ぐことを目指すのであれば、子供との関係を見直すことの方が大事と考える。
命を絶つ子供は周りに対して何も言わずに黙って命を絶つ。そこに問題がある。なぜ話せないのか、根本的な親子の関係や周囲の大人との関係が改善されていくことを願ってやまない。
不登校になる、学校へ行かないという選択もあると思う。どうしたら子どもの命を守れるのか、何ができるのかを考えてほしいと考えた。
子どもを取り巻く事件が起こったときいつも思うのは「周りの大人と話し合えてさえいれば」ということに行きつくのである。(2017・3・29記)
盛岡中学教員余力なしー指導の悩みを抱え込む
盛岡市の中学校教員が指導上の悩みを抱えこみ、やりがいを感じられない傾向にあることが盛岡市教育研究所の調査で分かった。悩みを誰にも相談しない中学校教員は教科指導で37%、生徒指導で12.2%もおり、いずれも小学校を上回った。教科指導や部活動など仕事量が多いと感じる割合も高い。学校現場は学習指導要領改定を控えており、相談しやすい環境づくりや研修が不可欠。生徒指導もいじめやトラブルの早期把握と情報共有が必要で、学校運営の工夫が求められる。
「アドラー東北所見」
学校教員の慢性的な忙しさは今に始まったことではない。常時現場の教員は追い立てられながら仕事をしている。そういう中で何か生徒にトラブルがあれば対応していかなければならないので、その場しのぎの対応になりがちである。とにかく余力がない。企業であればブラックに等しい状況であると思う。教員に余力がなければ問題は先送りされたまま、現状は維持されていくであろう。教育とは誰のためのものなのか?抜本的な多忙の改善が速やかに求められると思う。(2017・4・3記)
現在不登校体験者の声を動画配信中
お子さんの問題で悩んでおられる親御さんのご相談に乗って早15年になりました。たくさんの方たちが笑顔を取り戻していくことを自分の糧としてアドラー子育てを普及し続けています。
参加したかったけどあきらめていたアドラー東北の講座に参加できるオンライン
オンライン個別相談会
平日・午前・午後・夜の相談受付中
詳細はここをクリック
アドラー子育てといえばSMILE,テキストに沿って基本となる子どもとの向き合い方・態度・技術をじっくり学ぶことができます。月1回4回コース
2023年7月から四回コ―スで開催予定です。
マンツーマンで自分の悩みに沿ってピンポイントで解決策がわかり、同時にアドラー子育て・対人関係法が学べる全国初のアドラー心理学講座ー設定自由の4回コース、空いていればいつでもスタート可
1回の受講料が8000円とお財布に優しい4回コース